「暮らしに生かす万葉」~西のはて万葉の里を訪ねて~ | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2022年7月8日から10日にかけて、五島列島福江島を訪問した。その際、福江島の北部に位置する三井楽町にある「道の駅:遣唐使ふるさと館」を、8日9日と、二回訪れた。この「道の駅:遣唐使ふるさと館」には、遣唐使や万葉集に関する案内や展示などがなされていた。

○第一、道の駅に、「道の駅:遣唐使ふるさと館」と命名すること自体が、何とも、珍しい。普通は、地名とか名産などを命名の基準にするのではないか。そういう意味でも、一風変わった名前である。

○その「道の駅:遣唐使ふるさと館」の『万葉シアター』や、遣唐使船模型の展示の横に、事務室があって、旧三井楽町が発刊した、次の冊子を買ってきた。

  ・日本のあけぼの「三井楽と遣唐使」

  ・「暮らしに生かす万葉」~西のはて万葉の里を訪ねて~

○遣唐使や万葉集を売りにする自治体も珍しい。そういう意味では、旧三井楽町は、何とも文化的な自治体である。今回は、買って来た『「暮らしに生かす万葉」~西のはて万葉の里を訪ねて~』を案内したい。

○『「暮らしに生かす万葉」~西のはて万葉の里を訪ねて~』には次の序文が掲載されていた。

      発刊にあたり

   当町では、平成元年からふるさと創生を「西のはて万葉の里・三井楽」と

  定め町づくりに取り組んで参りました。

   古く万葉の時代から「美弥良久」と呼ばれ、「萬葉集」に登場し「かげろ

  ふ日記」などの著名な古歌集に詠まれる日本の西の端の地です。さらには、

  遣唐使船日本最後の寄泊地としてその名を留め、歴史的にも意義深い土地で

  ありました。

   この歴史的背景のもつアイデンティティを確立し、三井楽町の将来像を

  「自然美とロマンあふれる心安らかな町」を目指してのことです。

   以後、今日まで白良ケ浜万葉公園の整備、万葉歌碑の建立、など数多くの

  ハード事業も整備し、また、「西のはて万葉フェスティバル」などのイベント

  も生み出して参りました。

   今日、このようなすばらしい実績を推進するに当たり、当初から事業遂行に

  ご尽力いただいた、故増田佉澄先生(西のはて万葉の里づくり推進会議会長)

  には、深甚なる感謝の念で一杯です。

   はかなくも、去年8月、万葉の里づくり途中半ばにして急逝され無念な思い

  であったことと思います。

   先生が生前、町広報誌などに永く投稿され、地域住民に万葉集を優しく学ん

  でいただきいたいとの願いで「万葉の里を訪ねて」、続いて「暮らしに生かす

  万葉」のシリーズで掲載されておりました。

   先生の遺徳を称え、偲び、また、本町「万葉の里づくり」の参考文献として

  役立てて行きたいとの思いでここに発刊しました。

   ご愛読いただき、万葉の心にふれていただきますれば、幸甚に存じます。

      平成10年8月

            長崎県三井楽町長 立本 正大

○『「暮らしに生かす万葉」~西のはて万葉の里を訪ねて~』が如何なる冊子であるかは、ここに言い尽くされている。何とも立派な序文である。増田佉澄なる人物が如何なる人であるか、寡聞にして知らない。

○グーグル検索やヤフー検索であたっても、『「西のはて万葉の里」雜考』以外、何も出て来なかった。『「西のはて万葉の里」雜考』は、この『「暮らしに生かす万葉」~西のはて万葉の里を訪ねて~』の冒頭を飾る、増田佉澄氏の小論文である。

○増田佉澄氏が如何なる人物であったか。甚だ気になる。ただ、『「暮らしに生かす万葉」~西のはて万葉の里を訪ねて~』を読むと、何となく、増田佉澄氏の人物像は見えて来る。その「萬葉集」への造詣は、尋常ではない。

○『「暮らしに生かす万葉」~西のはて万葉の里を訪ねて~』を、一通りは読んでみた。しかし、この本は、たぶん、そういうふうに読むものではない。折に触れて、各章を楽しんで読むものであるに違いない。そういうふうに、人生を楽しむ本だと感じた。