鬼池・鬼島・魚貫 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2022年7月8日、島鉄フェリーで、天草の鬼池港から島原の口之津港に渡った。その際、鬼池地名が非常に気になった。鬼池とはまた、何とも奇妙な名である。何故、こういう地名が発生したのか。甚だ気になるところである。

○そういう意味では、天草には別に鬼島地名も存在する。鬼池もなかなか凄まじい地名だが、鬼島地名も凄い地名である。ちなみに、鬼池地名が存在するのは、天草市五和町鬼池でで、鬼島地名が存在するのは、上天草市大矢野町鬼島になる。

○もっとも、鬼池地名の読みは「おにいけ」だが、鬼島地名の読みは「きじま」である。どうしてこういう地名が発生したのか。大いに気になる。現段階では、まるで学習不足で、鬼池地名や鬼島地名について、あれこれ述べることには躊躇する。

○そういうことは、これから、少しずつ学習することにして、ここでは、現段階での、当古代文化研究所としての、私見を述べておくに留めたい。つまり、全くの空想に過ぎないことを最初に断って置きたい。

○天草の鬼池地名や鬼島地名を考える上で、当古代文化研究所が気になったのが、牛深の魚貫地名である。魚貫と書いて「おにき」と読む。これもまた変わった地名である。ただ、牛深では、魚貫地名は大きな地名である。

○魚貫を「おにき」と読むのであれば、「おにいけ」は鬼池ではなくて、魚池となる。同じように、「おにしま」は鬼島ではなくて、魚島となる。そう考えると、魚池や魚島なら、天草に存在するに相応しい地名であることが判る。

○もともと、天草そのものが変わった地名である。天草と書いて「あまくさ」と読む。「あま」は海の意であり、「くさ」は民の意である。つまり、天草とは、「海の民」の謂いなのである。当古代文化研究所では、そのことが気になって、天草訪問を繰り返している。

○このブログのテーマは、「海の民の肥国をさるく」としている。その「海の民」が天草であることは言うまでもない。肥国とは、もともと、そういう国なのである。そういうことを考えるために、このブログを書いている。

○昔話に桃太郎の話がある。桃太郎が目指すのが鬼ヶ島の鬼退治となっている。その鬼ヶ島に居たのは鬼ではない。もともと鬼ヶ島の謂いは「魚の島」なのである。そう考えると、桃太郎は山幸彦であるに過ぎない。

○当古代文化研究所は、これまで、中国浙江省の寧波に七回訪問している。浙江省舟山群島の普陀山にも六回参詣している。吐噶喇列島にも三回訪問している。三島村硫黄島にも六回訪れている。甑島にも四回訪問している。すべて、遣唐使船南島路を確認する作業のためである。

○天草がそういう遣唐使船南島路の一部であることは間違いない。そういう意味で、もっともっと天草について学習し、検証を重ねて行きたい。そういう中で、鬼池地名や鬼島地名、魚貫地名は、気になる地名である。