島鉄フェリー:鬼池港 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2022年7月8日は、天草本渡のアマクササンタカミングホテルで目覚めた。今日は、いよいよ兼ねてからの念願だった五島列島訪問の日である。朝6時前に起きて、6時30分には、一階のレストランで朝食を取っていた。

○本当は、このホテルの朝食は、7時からとなっている。朝一番に鬼池港からフェリーで島原へ渡ることを話したら、特別に朝6時30分からの朝食を準備していただいた。こんな無理なお願いは無い。ただただ、ホテルのご厚情に感謝申し上げるばかりだった。

○お陰で、朝7時5分には鬼池港に着いていた。天草から島原へ渡るには、この鬼池港と口之津港間の島鉄フェリーがもっとも便利である。順調に行けば、長崎には10時過ぎには到着すると判断して、このルートを選んだわけである。

○鬼池港には、天草四郎の銅像が建っていた。天草四郎の像は海の彼方、島原を向いていた。その脇に、「天草総合案内」の案内板が設置してあり、それには、次のようにあった。

      天草総合案内

  【天草の自然と歴史】

  ●概況

   天草は熊本県南西部に位置し、藍色の海を隔てて北は長崎県、

  南は鹿児島県と接している。大小120の島々からなり、総面積は

  佐渡、または壱岐・対馬を合わせたものより広い。野生のイルカが

  群れ泳ぐ自然と共生の島しょである。

  ●歴史

   1566年、キリスト教が天草に伝えられ、キリシタンの最高学府である

  天草コレジョが置かれた頃には、キリシタン文化の黄金期を迎える。

  しかし、幕府の禁教令により強い弾圧を受けた教徒らは、天草四郎時貞

  を総大将に殉教の戦いを起こすが制圧される。復興を祈る人々の想いが

  天草を育み、今日にその歴史が語り継がれている。

  ●伝統

   天草下島南端で生まれた牛深ハイヤ節は、全国で歌い継がれている

  ハイヤ節のルーツとして知られている。また、質、採掘量ともに日本一を

  誇る天草陶石と、天草陶磁器の歴史が評価され、2003年3月に天草陶磁

  器は経済産業大臣指定の「伝統的工芸品」に選ばれた。

○鬼池港には、すでに5,6台の車が列を作っていた。昨日、下見に訪れた際、係の方が「先着順です。乗れないことは少ないですが、用心して、7時には来ていたほうが間違いないですよ」とおっしゃっていたのは本当だった。

○お陰で、切符を購入することができた。いよいよ島原半島へ向かって行く。天気も良い。最高の条件で長崎を目指すこととなった。フェリーは7時15分ころにやって来た。出航は7時30分である。