○2021年元旦のNHKの番組『邪馬台国サミット2021』について、正月二日三日と続けて書いた。一応、『邪馬台国サミット2021』についての話はこれで終わった。ただ、当古代文化研究所が「三国志」から読み解いた邪馬台国や卑弥呼がどういうものかについては、全く触れていない。それも不親切と言えば不親切である。
○『邪馬台国サミット2021』について、当古代文化研究所では、あれだけ批判しているのだから、当然、それ相応の検証もこれまで行っている。したがって、もう二三回、『邪馬台国サミット2021』批判について、詳細な検証を加え、説明し、補足しておきたい。
○前回、「魏志倭人伝」の主題が倭国三十国の案内にあると述べた。また、それは次のように案内されることも紹介した。
【渡海三国】
・狗邪韓国・対馬国・壱岐国
【北九州四国】
・末廬国・伊都国・奴国・不弥国
【中九州二十国】
・斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・邇奴国・好古都国・不呼国
・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・
・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・(奴国)
【南九州三国】
・投馬国・邪馬台国・狗奴国
○加えて、魏国の帯方郡から邪馬台国までの道程も、「魏志倭人伝」は実に丁寧に案内している。ただ、それは陳壽一流の表現方法に拠っているから、簡単に読み解くことはできない。また、一回読み解くと、それは実に他愛のないものであることも、確かである。所謂、コロンブスの卵みたいなものか。しかし、それを、何時、誰が読み解いたかを忘れてはなるまい。それは次のように案内される。
帯方郡⇒狗邪韓國=七千餘里
狗邪韓國⇒對馬國=千餘里
對馬國⇒一大國=千餘里
一大國⇒末盧國=千餘里
末盧國⇒伊都國=五百里
伊都國⇒奴國=百里
奴國⇒不彌國=百里
不彌國⇒投馬國=千五百余里
投馬國⇒邪馬壹國=八百余里
○その邪馬台国を代表する風景を今回は案内したい。邪馬台国の風景など、「魏志倭人伝」の何処にも記録されていないではないか、とおっしゃるかも知れない。しかし、「魏志倭人伝」が指示したところへ赴くと、そこには間違いなく邪馬台国を代表する風景が存在する。それが邪馬台国三山である。
○邪馬台国三山など、聞いたこともない、とおっしゃるに違いない。その通りである。邪馬台国三山は当古代文化研究所が命名したものである。次の山々が邪馬台国三山である。
・うねびやま=霧島山(1700m)
・かぐやま=桜島山(1111m)
・みみなしやま=開聞岳(924m)
○畝傍山・香具山・耳成山なら、邪馬台国三山ではなくて、大和三山ではないか、とおっしゃるかも知れない。その通りである。奈良県橿原市に存在する次の山々を大和三山と言う。
・畝傍山(199m)
・香具山(152m)
・耳成山(140m)
○誰もが大和三山は本物だと信じて疑わない。しかし、あれはレプリカであって、本物ではない。第一、標高200mにも満たない山々が国名を冠せられた山であるはずがなかろう。それに、奈良県橿原市に存在する大和三山は、格別、特殊な山であるわけでもない。実に平々凡々な山々に過ぎない。
○当古代文化研究所では、これまで、奈良県橿原市を7回訪れ、実際に大和三山へ登り、そのことを確認している。
第一回 1992年3月28日
第二回 2003年8月11日
第三回 2005年5月10日
第四回 2009年3月29日
第五回 2010年4月3日
第六回 2011年5月3日
第七回 2017年9月5日
○大和三山がどういう山か。そのことについては、次のブログで詳細な検証を加えている。
・テーマ「大和三山」:122個のブログ
○邪馬台国三山についても、同様である。
・テーマ「邪馬台国三山」:54個のブログ
○判るように、ここに邪馬台国が存在したことは、間違いない。何故なら、邪馬台国三山がそこに存在するからである。奈良県橿原市の大和三山は、邪馬台国三山のレプリカに過ぎない。当古代文化研究所では、30年以上掛けて。そのことを追及し続けている。
○2020年正月5日に、2020年初登山として、霧島山高千穂峯へ登っている。
・テーマ「日向国の万葉学」:ブログ『2020年初登山:高千穂峯』
2020年初登山:高千穂峯 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)
2020年は8月15日にも、登っている。
・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『高千穂峰登山』
○2020年9月26日に、開聞岳に登っている。
・テーマ「指宿探訪」:ブログ『開聞岳登山:2020年9月26日』
開聞岳登山:2020年9月26日 | 古代文化研究所 (ameblo.jp)
○桜島は私の釣り場である。年中、釣りで訪れている。ブログに書くほどのことでもない。邪馬台国三山は我が家から近い。霧島山と桜島山は遠望できる。さすがに開聞岳までは見えないけれども。
◎これが邪馬台国を代表する風景であることは言うまでもない。だから邪馬台国三山なのである。時代が下ると、それが大和三山へと変容する。ただ、大和三山はレプリカに過ぎない。本物が邪馬台国三山なのである。是非、日向国を訪れ、邪馬台国三山を眺めて欲しい。実に雄大な風景であるから。ある意味、これが日本を代表する風景でもあった。そういうふうに「古事記」は記している。次回は、そういう話をしたい。