中甑 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○2020年11月2日、上甑島里から県道352号線で長目の浜を経由して、中甑までやって来た。瀬上からは県道338号線で、中甑で、更に県道351号線となる。中甑が存在するのは、上甑島であって、中甑島ではない。他所から来た者には、何とも紛らわしい地名である。

○ある意味、中甑は甑島の中心とも、言えよう。少なくとも、上甑島と中甑島の中心が中甑であることは、間違いない。ただ、中甑は過疎が激しく、次第に上甑島の中心は里に移りつつある。見た限り、そんな気がした。甑島全体が過疎の波に洗われている。

○中甑集落は中甑港を中心に存在する。港町は何処も狭いのが通例だが、中甑集落は小川を中心に、比較的広く、奥行きもある。ただ、全体としては、やはり、狭い。今は港湾が整備され、港周辺は広々と感じるが、もともとの中甑集落はもっと小さかったものと思われる。

○ウイキペディアフリー百科事典が案内する中甑は、次の通り。

      上甑町中甑

上甑町中甑(かみこしきちょうなかこしき)は、鹿児島県薩摩川内市大字。旧甑島郡甑島郷中甑村、甑島郡上甑村大字中甑郵便番号は896-1201。人口は487人、世帯数は256世帯(2015年10月1日現在)。「上甑村郷土誌」によると1977年(昭和52年)時点での面積は13.46Km2である。

甑島列島に属する上甑島の南部に位置しており、2004年(平成16年)の市町村合併までは上甑村村役場が置かれ上甑村の中心部であった。

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、上甑島及び中甑島の全域にあたる中甑村、中野村、江石村、平良村、小島村、瀬上村、桑之浦村、里村の区域より上甑村が成立し、それまでの中甑村は上甑村の大字「中甑」となった。1892年(明治25年)には下甑村大字手打(現在の下甑町手打)に置かれていた甑島分署が中甑に移転。1899年(明治32年)には川内区裁判所上甑出張所が置かれ、1948年(昭和23年)には甑島区検察庁が置かれた。

  上甑町中甑 - Wikipedia

○つまり、明治時代までは、

  中甑村、中野村、江石村、平良村、小島村、瀬上村、桑之浦村、里村

が上甑島と中甑島の村落の全てであったことが判る。今回、この中で訪れていないのは、江石村と桑之浦村である。

○中甑へ着いたのは、11月2日の午後2時で、まだ昼食を取っていなかった。食べるところを探していたら、中甑港の待合所みたいなところがあって、レストランを設置しているようだった。中へ入ってみると、コシキテラスと言う地域活性化施設だった。

○そのコシキテラスで、昼食をいただいた。それがまた、何ともお洒落なハンバーガーを食べることができた。甑島へ行く際に、何も無いからと、あれこれ買い物をして来たが、それが恥ずかしいくらい、お洒落なハンバーガーだった。たいへん美味しかった。

○コシキテラスの前は港である。外へ出たら、ちょうど、赤い大きな船が入って来るのが見えた。港に居た方に聞いたら、フェリーではなくて、貨物船だとおっしゃる。中甑港にはフェリーは発着しないらしい。