上甑町瀬上・浦内・小島 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○甑島の長目の浜が存在するのは、上甑島の北側の、荒波が打ち寄せるごろた石のころがる海岸線である。その総延長は4キロメートルにも及ぶ。その長目の浜から南へ、標高50メートルほどの峠を越えると、途端に風も治まり、平地が続く。その先には深い入り江が出現する。

○そこが上甑町瀬上であり、浦内、小島などの集落が散在する。この浦内灣には西に桑之浦港が存在し、東が浦内となる。今回は浦内まで来たが、桑之浦港までは行くことができなかった。浦内灣は甑島で最も深い入り江となっている。長目の浜も漁業権は瀬上にあるらしい。

○浦内灣は、穏やかな内海である。如何にもチヌが釣れそうなところである。今回の旅行でも、もちろん、釣り具と餌は持参した。一応、名目は甑島周遊の旅で、研修目的だが、時間が許せば、竿くらい出したい。そう思っていた。甑島全体が、何処でも、立派な釣り場だらけなのである。ここに竿を持参しないで、何処で釣りをする。甑島は釣り人の聖地なのである。

○浦内には小学校跡地が寂しく存在した。運動場はソーラー発電所となっていた。「真珠のうらうち」の記念碑が建っていてた。

      真珠のうらうち

   昭和二十二年、浦内灣で、鹿児島大学水産学部堀口教授の指導のもと、

  真珠母貝の試験養殖が開始され、昭和二十四年、第一区画漁業権を設定し、

  本格的に真珠母貝と真珠養殖が始まり、現在に至ってゐる。

          上甑村

          平成十一年二月

○甑島自体が、現在は、大変な過疎の波が押し寄せている。こういう産業がどうなっているか、気になるところである。ここは東シナ海の只中だから、場所的には最高の環境にあるのではないか。

○浦内灣でも釣りをしてみたい衝動に駆られた。しかし、今回の旅行は研修目的であることを忘れてはならない。泣く泣く断念した。

○小島集落の先には、立派な小島トンネルが存在した。トンネルを抜けると、そこは中甑港だった。