阿波岐原の住吉神社 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○前々回、ブログ『日向国式内社:江田神社』を案内し、前回は『江田神社考』を案内した。

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『日向国式内社:江田神社』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12627466953.html

  ・テーマ「日向国の邪馬台国」:ブログ『江田神社考』

  https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12627697936.html

○ブログ『江田神社考』で指摘したように、天上界の神様である伊邪那岐尊を、何故、このような片田舎である「筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原」で祀ることとなったのであろうか。常識的には、考えられない話である。天上界の神様なら、天上界で禊をするのが普通だろう。

○それには、「筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原」がどういう場所であるかを知らなくてはならない。日向国では、ここは、もともと住吉神の禊の場だったと考えられている。住吉神自体が伊邪那岐尊の禊から誕生した神様なのである。

○確認の爲、ウイキペディアフリー百科事典が案内する住吉三神を案内しておく。

      住吉三神

   『日本書紀』では主に底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒

  男命(うわつつのおのみこと)、『古事記』では主に底筒之男神(そこつつのおのかみ)・中筒之男神

  (なかつつのおのかみ)・上筒之男神(うわつつのおのかみ)と表記される3神の総称である。住吉大

  神ともいうが、この場合は住吉大社にともに祀られている息長帯姫命(神功皇后)を含めることがあ

  る。

   伊邪那岐命と伊邪那美命は国生みの神として大八島を生み、またさまざまな神を生んだが、伊邪那

  美命が火之迦具土神を生んだときに大火傷を負い、黄泉国(死の世界)に旅立った。その後、伊邪那

  岐命は、黄泉国から伊邪那美命を引き戻そうとするが果たせず、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐

  原」で、黄泉国の汚穢を洗い清める禊を行った。このとき、瀬の深いところで底筒之男神が、瀬の流れ

  の中間で中筒之男神が、水表で上筒之男神が、それぞれ生まれ出たとされる。

  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%90%89%E4%B8%89%E7%A5%9E

○したがって、住吉三神誕生の地が「筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原」であることは、間違いない。少なくとも「古事記」や「日本書紀」では、そのように案内している。だから、前回、『江田神社考』でも述べたように、「筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原」に斎き祀られている神は住吉三神しか居ない。

○おそらく、それを祀る場所が江田だったのではないだろうか。それで延喜式では、江田神社となっている。実際は住吉神社とするのが自然である。

○2020年7月29日に、江田神社とともに、住吉神社にもお参りして来た。現在、住吉神社はフェニックス自然動物園の片隅に追いやられている格好になっている。もともと、この地域一番の神社であったにしては、何とも悲しい現実である。

○ただ、住吉神はもともと水神であって、川の神だと考える方が自然である。住吉三神と言えば、底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神だとされる。誰もがそれで何も疑問を唱えない。

○どう考えても、住吉三神は上流・中流・下流で斎き祀られる神様の名だろう。それなら、底筒之男神・中筒之男神・上筒之男神となならない。常識的な表記では、上水流男神・中水流男神・下水流男神とするのが自然だろう。少なくとも、日向国では、そうなる。

○今年、2020年は、「日本書紀」誕生1300年の記念すべき年だと言う。しっかりと「日本書紀」を読んで、1300年前に、人々が何を考えたか。それを考えることが「日本書紀」誕生1300年の記念すべき年を祝うことになるのではないか。

○住吉神がどういう神様であるかは、日向国でしか判らない。せっかく、そういう条件が揃っていると言うのに、誰も「日本書紀」を読まないし、住吉神について、考えようともしない。

○次回は、その住吉神について、考えてみたい。