江田神社考 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○前回、日向国の延喜式内社として、江田神社を案内した。参考までに、江田神社のHPが案内する江田神社を載せて、説明した。おおよそ、一般的な江田神社の概念は、こういうところではないか。ウイキペディアフリー百科事典が案内する江田神社も見たが、さしたる内容も無い。

○当古代文化研究所では、江田神社について、いろいろと思うところがある。まず、それは、江田神社が御祭神を伊邪那岐尊・伊邪那美尊としている点にある。伊邪那岐尊・伊邪那美尊は、本来、天上界の神様である。それを祀るのは自由だが、それ程、古い時代に天上界の神様だけを祀る社が本当に存在したのだろうか。

○江田神社のHPでは、祓詞を例に出して案内する。

  【祓詞 はらえことば】

   「掛けまくも 畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原に 御禊祓へ給ひし時に

   生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事 罪 穢有らむをば 祓へ給ひ 清め給へと白す事を

    聞こし食せと 恐み恐みも白す」

○伊邪那岐大神は、「筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原」で禊をしたとおっしゃるけれども、日向国では、「筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原」は、必ずしも、伊邪那岐大神のものではないのである。そういうことを考慮に入れないと、変な話になる。

○どういうことかと言うと、伊邪那岐尊はもともと天上界の神様である。それがわざわざ地上に降り立って禊などをするだろうか。あり得ない話である。だから、禊の場として有名な「筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原」をちょっと借りただけの話である。

○それは禊と言えば、住吉神と相場が決まっている。その住吉神の禊場の一つが「筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原」であるに過ぎない。そういうことは日向国を研究しない限り、判らない。実は住吉神の故郷も日向国なのである。

○そういうことを知らないで、江田神社の話をしたところで仕方のない話である。現在、宮崎市には小戸神社が鎮座ましまし、江田神社も存在する。しかし、古代に大淀川河口周辺に人が住んでいたかと言うと、甚だ厳しい気がする。

○大河の河口には、何処も人は住んでいない。余程の好条件が無い限り、人が住むのは厳しい。だから、大淀川であれば、下北方とか大塚あたりでないと人は住めない。

○そういう意味では、江田は何とか人の住む地域のはずれであったことは間違いない。ただ、人が多く住んでいたのは、あくまで、蓮ヶ池や住吉あたりではないか。おそらく、そこが「筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原」なのであろう。