枕詞「天降付く」が教えること:其一百三十二 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

○前回、あひら地名について、考察した。あひら地名の起源は、どう考えても、旧吾平町にあるとするしかない。そこを流れる川は姶良川と言う。その旧吾平町の唯一無二の名所が吾平山陵である。姶良川沿いに存在するから、吾平山陵と称するのであろう。

○その吾平山陵は山陵と称しながら、その実、山陵ではない。そのことは、実際、吾平山陵へ参詣してみない限り、理解されない。吾平山陵は、河合の洞窟である。おそらく、あひら地名は吾平山陵の状況を表現したものと思われる。

○それが河合である。吾平山陵へ参拝するには、四の橋から、三の橋、二の橋と渡って行くしかない。吾平山陵前広場から先には、姶良川に一の橋が架かっているのが見える。ただし、普通の人が行くことのできるのは、吾平山陵前広場までである。

○したがって、あひら地名は、『あ・ひら』ではなくて、『あひ・ら』とするのが語の組成上、正しいと言うことになる。漢字を当てるのも、吾平よりは姶良の方が理にかなっていることが判る。そして、そこには間違いなく河合信仰が存在することも判る。

○河合信仰と言えば、誰でも思い出すのは、鴨神だろう。もっとも有名なのは、京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上鴨神社)ではないか。しかし、奈良には高鴨神社(下鴨神社)と鴨都波神社(上鴨神社)が存在する。こちらの方が古いし、京都の鴨神社と奈良の鴨神社とは、まるでその祭祀様式が同じであることは、両社がもとは同じであることを意味するのではないか。

○鴨神の祭祀様式が上鴨神社と下鴨神社に分かれていることも、興味深い。上鴨神社は山岳信仰であり下鴨神社が河合信仰となっている。京都の鴨神社や奈良の鴨神社では、そういうふうに鴨神について、丁寧な検証がなされていない気がしてならない。

吾平山陵が河合信仰に基づくものであることは、そういう意味で気になる。そう考えると、肝属地名が見えて来る。肝属地名は、まるで不思議な地名だと言うしかない。漢字は肝属・肝付・肝坏と、いろいろと字を変えるけれども、『きもつき』であることに変わりはない。つまり、漢字はあまり参考にならない。

○大隅国が成立した八世紀に、大隅国には肝坏郡、囎唹郡、大隅郡、姶羅郡の四郡が存在した。そのうち、囎唹郡以外の郡地域がはっきりしていないのである。当古代文化研究所では、そのうち、大隅郡を現在の垂水市付近であろことを検証済みである。

○残りは肝坏郡と姶羅郡だが、この区分がまるではっきりしない。この話を続けたいのだが、字数制限が心配になって来たので、次回に繋ぐしかない。