枕詞「天降付く」が教えること:其一百三十一 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

 

○神代三山陵の所在地になるところの地名が肝属で、その肝属地名を案内する妥当な説明を見たことがない。川の名が肝属川で、山は肝属山地、平野も肝属平野と呼ぶ。ただ、前回案内したように、肝属川の源流は高隅山となっている。上流は鹿屋川である。さらに面倒なのは、肝属川水系の最長流は串良川である。

○肝属川が流れている平野が肝属平野である。それに対して、肝属山地は肝属川の南部地域を占める山地となっている。真実の神代三山陵比定地である、甫与志岳・国見山・吾平山陵が存在するところである。そういう意味では、肝属地名の起源は、どうやら、肝属山地に発するのではないか。

○当古代文化研究所では、そういうふうに考え、いろいろと検証を重ねて来た。結果、肝属地名が枕詞ではないかと思い当たった。それが『かもつきのあひら』である。

枕詞『かもつきのあひら』など、聞いたことも無いとおっしゃるかも知れない。その通りである。これまで、誰もそういうことを問題にした人は居ない。ただ、枕詞を研究していると、枕詞『かもつきのあひら』が成立することが判る。つまり、枕詞『かもつきのあひら』は、当古代文化研究所が発見したものである。

○もっとも、あひら地名そのものが何とも難しい。鹿児島では、「吾平」と表記するし、また「姶良」とも書く。しかし、吾平は『あ・ひら』で、姶良は『あひ・ら』で、語の組成がまるで違う。あひら地名は、『あ・ひら』なのか、もしくは『あひ・ら』が正しいのか。せめて、それくらいははっきりさせないと、話のしようもない。

○ところが鹿児島では過去に吾平町が存在したし、現在も姶良が存在していいる。なおかつ、旧吾平町には吾平山陵が存在するが、そこを流れる川は姶良川と言う。まるで混用されていると言うしかない状況なのである。
○結論から先に述べると、あひら地名としては、『あひ・ら』が正しい。何故、そう言えるかと言うと、あひら地名の起源を考えるしかない。この辺りで、あひら地名の起源を考える上で、もっとも重要な場所と言うか、もっとも神聖な場所があひら地名の起源なのではないか。
○そう考えると、あひら地名の起源が見えて来る。それは、どう考えても吾平山陵だろう。旧吾平町で、吾平山陵よりも崇高な場所は、ちょっと考えられない。その吾平山陵の状況を説明するのがあひら地名なのである。
○それは吾平山陵へ参詣すれば、見えて来る。当古代文化研究所では、これまで、何度も吾平山陵へは参詣しているし、ここ最近では、毎年吾平山陵へは出掛けている。吾平山陵があひら地名の起源であるとは、次のようなことである。
○吾平山陵へお参りすると、まず一の橋を渡る。次に二の橋が見えて、それを渡る。その先に三の橋があって、それを渡ると、吾平山陵前の広場に達する。広場の前には姶良川が流れていて、吾平山陵はその姶良川の向こうにある。そこには四の橋が架かっているけれども、普通の人は、四の橋の手前から参拝することになっている。
○つまり、吾平山陵は河合なのである。そういう河原に存在する洞窟が吾平山陵である。したがって、吾平山陵と言いながら、その実、吾平山陵は河合の洞窟だと言うことになる。だから、あひら地名は『あひ・ら』が正しいと言うことが判る。話は続くのだが、字数制限が気になる。次回に繋げたい。