○清明・寒食節文学を続けているけれども、今回案内するのは、李清照の「浣溪沙・淡盪春光寒食天」詞である。『浣溪沙』は、詞牌名である。
浣溪沙(词牌)
浣溪沙,唐代教坊曲名,后用为词牌。分平仄两体,字数以四十二字居多,还有四十四字和四十六
字两种。最早采用此调的是唐人韩偓,通常以其词为正体,另有四种变体。全词分两片,上片三句
全用韵,下片末二句用韵。此调音节明快,为婉约、豪放两派词人所常用。代表作有晏殊的《浣溪沙·
一曲新词酒一杯》、苏轼的《浣溪沙·照日深红暖见鱼》、秦观的《浣溪沙·漠漠轻寒上小楼》、辛弃疾的
《浣溪沙·常山道中即事》等。
http://baike.baidu.com/item/%E6%B5%A3%E6%BA%AA%E6%B2%99/1339433
○李清照は、日本でも結構知られた女流詞人である。
李清照
李清照(りせいしょう、1084年 - 1153年)は、北宋末期・南宋初期の詩人。斉州章丘(現在の山
東省済南市の県級市章丘市)の人。夫は政治家の趙明誠。中国史上を代表する女流詞人として知ら
れている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%B8%85%E7%85%A7
○その李清照の「浣溪沙・淡盪春光寒食天」詞は、次の通り。
【【原文】
浣溪沙・淡盪春光寒食天
李清照
淡盪春光寒食天
玉爐沈水嫋殘煙
夢回山枕隱花鈿
海燕未來人斗草
江梅已過柳生綿
黄昏疏雨濕秋千
【書き下し文】
浣渓沙・淡く春光を盪かす、寒食の天
李清照
淡く春の光を盪かす、寒食の天、
玉爐は水に沈み、残煙は嫋やかに、
夢に回る、山に枕し、花の鈿を隠す。
海の燕は未だ来らざるに、人は斗草し、
江の梅は已に過ぎたるに、柳は綿を生じ、
黄昏の疎らな雨が、秋千を湿らす。
【我が儘勝手な私訳】
今日は寒食節の日で、空中では、ちょうど春の陽光を軟らかく蕩かすようであり、
川では、香炉が沈み、残煙を揚げているかのように、優しい蒸気が揚がっている。
思わず、私は夢の中で回想してしまう、山を楽しみ生活していた時代のことを。
海にいまだ燕が訪れないと言うのに、人々は早くも若菜摘みに興じ、
川縁の梅の木の花は完全に散り去って、今では柳樹が綿毛を生じて、
夕暮れ時には春雨が降って、全てのものをしっとりと湿らせている。
○ある意味、繊細と言う言葉がもっともふさわしい詞ではないか。如何にも女流詩人の詞として似つかわしい。なかなか男性詩人ではこういう表現は難しいのでは。おそらく中国の清明節や寒食節の季節と言うのは、こういう状況下にあるのではないかと思わせる詞である。
○この詞を通じて、『斗草』と言う中国の習俗も、初めて知った。
斗草
斗草又称斗百草,是汉族民间流行的一种游戏,属于端午民俗。其最初的源起已无处可寻,最早
见于文献是在魏晋南北朝时期,唐朝后斗百草愈渐成为妇女和孩童的玩意儿。梁代宗懔的《荆楚岁
时记》载:“五月五日,谓之浴兰节。荆楚人并踏百草.又有斗百草之戏。”
http://baike.baidu.com/view/256316.htm
○こういうことは、中国の人には、当たり前のことなのかもしれない。しかし、外国人にはなかなか理解できないことである。こうやって、一つずつ学習するしかないのである。