杜甫:賀公雅呉語 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○杜甫に『飲中八仙歌』詩がある。

      飲中八仙歌   杜甫
  知章騎馬似乘船   知章が馬に騎るは船に乗るに似たり
  眼花落井水底眠   眼花み 井に落て水底に眠る
  汝陽三斗始朝天   汝陽は三斗にして始めて天に朝し
  道逢麴車口流涎   道に麴車に逢へば口に涎を流す
  恨不移封向酒泉   恨むらくは封を移して酒泉に向はざるを
  左相日興費萬錢   左相の日興 万銭を費やす
  飮如長鯨吸百川   飲むこと長鯨の百川を吸ふが如し
  銜杯樂聖稱避賢   杯を銜み聖を楽しみ賢を避くと称す
  宗之瀟灑美少年   宗之は瀟灑たる美少年
  擧觴白眼望青天   觴を挙げ 白眼もて青天を望む
  皎如玉樹臨風前   皎として玉樹の風前に臨むが如し
  蘇晉長齋繡佛前   蘇晋は長斉す 繍仏の前
  醉中往往愛逃禪   酔中 往往にして逃禅を愛す
  李白一斗詩百篇   李白は一斗 詩百篇
  長安市上酒家眠   長安市上 酒家に眠る
  天子呼來不上船   天子呼び来れども船に上らず
  自稱臣是酒中仙   自ら称す 臣は是れ酒中の仙と
  張旭三杯草聖傳   張旭は三杯 草聖伝ふ
  脱帽露頂王公前   帽を脱し頂を露はす 王公の前
  揮毫落紙如雲煙   毫を揮ひ紙に落せば雲煙の如し
  焦遂五斗方卓然   焦遂は五斗 方に卓然
  高談雄辨驚四筵   高談雄弁 四筵を驚ろかす

○その冒頭を飾っているのが賀知章である。別に、杜甫には『遣興』と言うのがあって、その中に賀知章が出現する。杜甫の『遣興』は幾つか存在して、それを中国の検索エンジン百度、「百度百科」は、次のように説明している。

  《遣興》:為唐代偉大詩人杜甫創作的五言詩。此詩作于杜甫被俘,被迫遠離親人的時期,描写了作者
  在戦争中的遭遇,抒発了対児子的思念之情。

○杜甫の『遣興五首』は、次の通り。

    【遣興五首】:杜甫
  天用莫如竜  有時系扶桑  頓轡海徒湧  神人身更長
  性命苟不存  英雄徒自強  呑声勿復道  真宰意茫茫

  地用莫如馬  無良復誰記  此日千裏鳴  追風可君意
  君看渥窪種  態与駑駘異  不雑蹄噛間  逍遥有能事

  陶潜避俗翁  未必能達道  観其着詩集  頗亦恨枯槁
  達生豈是足  黙識蓋不早  有子賢与愚  何其掛懐抱

  賀公雅呉語  在位常清狂  上疎乞骸骨  黄冠帰故郷
  爽気不可致  斯人今則亡  山陰一茅宇  江海日凄涼

  吾怜孟浩然  裋褐即長夜  賦詩何必多  往往凌鮑謝
  清江空旧魚  春雨餘甘蔗  毎望東南雲  令人幾悲咤

○『遣興五首』の中で、天地の次に、杜甫は陶淵明・賀知章・孟浩然の三詩人を採り上げている。それほど、杜甫にとって、賀知章は気になる人物であった。ここでは、その賀知章の詩を考えてみたい。

    賀公雅呉語
       杜甫
    賀公雅呉語
    在位常清狂
    上疎乞骸骨
    黄冠帰故郷
    爽気不可致
    斯人今則亡
    山陰一茅宇
    江海日凄涼

  【書き下し文】
    賀公は呉語が雅びなり
           杜甫
    賀公は呉語が雅びなり、
    位に在つて、常に清狂。
    上疎して、骸骨を乞ひ、
    黄冠して、故郷に帰る。
    爽気は致すべからず、
    斯の人、今は則ち亡し。
    山陰の一茅宇、
    江海は日に、凄涼なり。

  【我が儘勝手な私訳】
    賀公は呉語が雅びなり
           杜甫
    賀知章の喋る会稽訛りには、何処か風流なところがあった。
    宮仕えしながらも、常人とは妙に違う雰囲気を持っていた。
    その賀知章は、皇帝に奏上して、老齢を理由に官を退き、
    道士となるべく、故郷会稽に帰って行った。
    賀知章の豪邁的気概は、きっと宮仕えに合わなかったに違いない。
    その賀知章も、今は亡き人となっている。
    賀知章の故郷会稽、山陰の賀知章の侘び住まいには、
    江海が日に凄惨たる情景を見せているのではないか。

○苦しい生活環境の中、異境の地にあって、杜甫は都を思い、陶淵明・賀知章・孟浩然を懐かしみ、愛児に慰められる。いくら、陶淵明の潔さを羨み、賀知章の達観に憬れ、孟浩然の超俗を目指したところで、結局、杜甫は杜甫でしかない。それが杜甫:「遣興五首」詩には、よく出ている。『天用莫如竜』や『地用莫如馬』は、そのことをうまく表現している。最後は『驥子好男児』と、愛児に慰められるしかないのであろう。