普陀落山・小宝島 | 古代文化研究所

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古代文化には、多くの疑問や問題が存在する。そういうものを日向国から検証していきたい。

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○小宝島が普陀落山であることを確認する旅が、今回の吐噶喇往還の旅の主たる目的であった。多くの写真を撮ることが出来、ほぼ、その目的は果たせたように思う。

○「ウィキペディアフリー百科事典」が案内する補陀落は、次の通り。

      補陀落
   補陀落(ふだらく、名称については後述)は、観音菩薩の住処、あるいは降り立つとされる山であ
  る。補陀落山とも称す。
  【名称】
   「補陀落」は、サンスクリット語(梵語)の「ポタラカ」、「ポータラカ」(Potalaka)の音訳で
  ある。『華厳経』入法界品や『千手経』、『陀羅尼集経』など、多数の経論に見られる。
    ・他の音写:補陀洛迦、普陀落、普陀洛など多数
    ・漢訳:光明山、海鳥山、小花樹山など
  【概要】
   伝説によると、インドのはるか南方の海上にあり、八角の形状をした山であるといわれる。興福寺
  の南円堂の円形はこれを模している。
   玄奘は『大唐西域記』で、インドの南島に実在すると記しており、その場所を特定しようとする試
  みや研究もある。観音信仰が隆盛になると、その霊地として「補陀落」の名称が各地で広まった。特
  に中国では現在の浙江省にある舟山群島を補陀落(普陀山)として遠隔地にまで観音信仰が広がった。
   また、日本でも熊野や日光が補陀落になぞらえられ、信仰を集めた。なお、日光という地名は、補
  陀落~二荒(ふたら)~二荒(にこう)~日光となったという説もある。中世には、観音信仰に基づ
  き、熊野灘や足摺岬などから小船に乗って補陀落を目指す、「補陀落渡海」が盛んに行われた。
   なお、チベットも観音信仰の地として知られるが、ラサにあるポタラ宮の名も、「補陀落」と同じ
  く、サンスクリット語の「ポタラカ」に由来する。

○観音菩薩についても、「ウィキペディアフリー百科事典」で案内すると、次のようにあった。

      観音菩薩
   観音菩薩(かんのんぼさつ、繁体字:觀音菩薩)、梵名アヴァローキテーシュヴァラ(梵: अवलो
  कितेश्वर, Avalokiteśvara)は、仏教の菩薩の一尊であり、特に日本において古代より広く信仰を集め
  ている尊格である。「観世音菩薩」または「観自在菩薩」ともいう。「救世菩薩」(くせぼさつ・ぐ
  せぼさつ)など多数の別名がある。一般的には「観音さま」とも呼ばれる。
  【起源】
   「観音菩薩」という名称の由来は、後述のようにサンスクリット(梵語)のアヴァローキテーシュ
  ヴァラの意訳から生じたとする説が有力である。しかし、エローラ石窟群、サルナートなどインドの
  仏教遺跡においても観音菩薩像と思しき仏像が発掘されていることから、その起源は中国への仏教伝
  来よりも古いものとも考えられ、ゾロアスター教においてアフラ・マズダーの娘とされる女神アナー
  ヒターやインド神話のラクシュミーとの関連が指摘されている。
  【名称の由来】
   梵名のアヴァローキテーシュヴァラとは、ava(遍く)+lokita(見る、見た)+īśvara(自在者)
  という語の合成語との説が現在では優勢である。玄奘三蔵による訳「観自在菩薩」はそれを採用して
  いることになる。
   鳩摩羅什の旧訳では観世音菩薩と言い、当時の中国大陸での呼称も、観世音菩薩であった。これに
  は、観音経(妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五)の趣意を取って意訳したという説がある。ま
  た、中央アジアで発見された古いサンスクリット語の『法華経』では、「avalokitasvara」となって
  おり、これに沿えばavalokita(観)+ svara(音)と解され、また古訳では『光世音菩薩』の訳語もある
  ことなどから、異なるテキストだった可能性は否定できない。さらに、「世」の文字が唐の二代皇帝
  太宗李世民の名(諱)の一部であったため、避諱の原則により、唐代は「世」の文字は使用できなくな
  った。そのため、「観音菩薩」となり、唐滅亡後も、この名称が定着した。
   玄奘三蔵以降の新訳では観自在菩薩と訳している。「観自在」とは、智慧をもって観照することに
  より自在の妙果を得たるを意味する。また衆生に総てを畏れざる無畏心を施す意で施無畏者、世を救
  済するので救世大士ともいう
  【信仰・位置づけ】
   観音経などに基づいて広く信仰・礼拝の対象となっている。また、般若心経の冒頭に登場する菩薩
  でもあり、般若の智慧の象徴ともなっている。浄土教では『観無量寿経』の説くところにより阿弥陀
  如来の脇侍として勢至菩薩と共に安置されることも多い。観音菩薩は大慈大悲を本誓とする。中国で
  は六朝時代から霊験記(『観世音応験記』)が遺され、日本では飛鳥時代から造像例があり、現世利
  益と結びつけられて、時代・地域を問わず広く信仰されている。持物として水瓶をもつ。そこには功
  徳水という、いくら使ってもなくならない水が入っているという。
   観音の在す住処・浄土は、Potaraka(補陀落)といい、『華厳経』には、南インドの摩頼矩咤国の
  補怛落迦であると説かれる。

○日本に於ける観音信仰は大きい。しかし、本来、それがどういうものであったかを知る人は少ない。今年、3月に、中国、舟山群島普陀山を訪れた。普陀山は中国観音信仰の聖地である。ここから日本に観音信仰が伝来したことは間違いない。

○その普陀山で、最も神聖とされる光景が、普陀山から眺める洛迦山である。普陀山を訪れると、普陀洛渡海を含めて、もともとの観音信仰がどういうものであったかを知ることが出来る。

○その普陀山から眺める洛迦山の光景と、全く同じ光景を日本で見ることが出来る。それが宝島から眺める小宝島である。だから、宝島は「三寶の島」の謂いであることを理解する。同様に、小宝島は「普陀洛山」であることが理解される。

○宝島でも、小宝島でも、そういう経緯を完全に見失っている。何しろ、吐噶喇列島自体が『日本最後の秘境、吐噶喇列島』と呼ばれる時代なのであるから。それは仕方のないことなのかもしれない。