女人堂砦   戦国末期以降に結城一族・山川氏が拠った場所   ~茨城県古河市~ | 攻城日記/3rd ~城逢人~

攻城日記/3rd ~城逢人~

中世城館・板碑好きのマニアの日々の記録

古河市、旧三和町の恩名地区の飯沼跡の水田地帯に面した台地端に
女人堂砦はありました
後北条氏滅亡後に結城一族の山川氏が恩名を領し拠点としました
それ以前から山川氏との関わりがあったともいわれます
その場合、本拠地である山川城の南を守る拠点と考えられます
天正になると北条氏の侵攻が本格化した際に
攻略されたのかもしれません

飯沼を水運に利用していたのでしょう城下には船付という
地名が橋の名前となり残ります

主家・結城氏か越前に移封すると山川氏も従いますが
一族が恩名に帰農し砦を屋敷としたと伝わります
現在も子孫が住んでいて本家より譲られた文書が残されているそうです

私有地のため見学はできません
舌状台地となる山林は気になりますが^ ^
山川家の入口には櫓台跡なのか?土塁が崩れたような塚状態の地形が見られます

余談ですが女人堂の由来は平将門の妾・君の御前を
葬った塚が所在したことに関わりがあるのではないでしょうか

 

↓女人堂砦の航空写真(電子国土空中写真1974~78を使用して作図)



参考  三和町史/通史編 

    三和の歴史/三和町立資料館
    中世の豪族山川氏/三和町立資料館
    古河の歴史を歩く/古河歴史シンポジウム実行委員会
    将門伝説ハンドブック/村上春樹