関根豪族屋敷   中世の地侍の屋敷跡   ~茨城県古河市~ | 攻城日記/3rd ~城逢人~

攻城日記/3rd ~城逢人~

中世城館・板碑好きのマニアの日々の記録

仁連地区の地方主要道17号線沿い、ひかり保育園の北隣が
関根豪族屋敷であります
民家敷地となりますが屋敷を囲む水堀、暗渠となる堀跡を
見ることができます
土塁に関しては確認できませんでした
※内堀と外堀の二重の堀が残るとされています

確認した水堀は幅3mほどで見ごたえあります
立地や構造からみて開発領主の館と考えられそうです

長者屋敷という別名があります

関根豪族屋敷がいつ頃構えられたのかは不明です
戦国期には関根内匠が主で弓の名手として知られていました
梁田氏に従う地侍で天正6年(1580)に多賀谷氏が仁連を
攻めた際にこれを迎え撃ち討ち死にしたと伝わります
仁連の大志堂の墓地には関根内匠の墓と伝わる宝篋印塔が
存在するそうです
屋敷地は子孫が北と南に分割して居住したといいます

 

↓関根豪族屋敷の航空写真(電子国土空中写真1974~78を使用して作図)


参考 三和町史/資料編 通史編

   三和町郷土史/中村俊夫
   三和の歴史/三和町立資料館