赤錆色の水面が特徴的な長瀬川(酸川)左岸に所在した
堀切館は猪苗代町史ではすでに遺溝が失われたとしています
館のあったとされる堀切集落の川沿いの民家には
土塁と思われる高さ1・5mほどの土盛りがあります
長瀬川と平行して設けられているので堤防?とも
思えますが遺溝にもみえます
土塁状の土盛に植わっている木の樹齢などから考えるに
かなり古いものであることには違いありません
かつては2郭の船着場や堀、土塁など残されていたといいます
磐梯山の噴火の影響、開田、国道115号線の開通、
河川改修により明確な遺溝が失われたのは確かなようです
堀切館は永正年間(1504~1520)に大堀監物が築いたと
伝わります
戦国末期、天正の頃(1573~1591)には猪苗代家臣の
堀切内匠が居城したといわれます
主郭と南側に2郭が設けられ、東の台地には家臣団の
住居がである町とよばれる場所があったと伝わります
↓堀切館の航空写真(電子国土空中写真1961~69を使用して作図)
※地形から構造を想像しました