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SIS日記

NPO法人SIS(シス)スタッフによるリレー形式の日記です。
「こころが動いたこと」や「共有したいささやかな出来事」など
スタッフの「想い」を定期的に更新していきます。
どうぞお楽しみに!

最後は、自分が自分を理解し、肯定する
 
 
 前回は、瀧本裕喜さんのひきこもり経験を紹介しました。(「不登校新聞」7月1日号より転載)
 
 受験に失敗して予備校に通うため、祖母の家に同居する。亡き祖父からDVを受けていた祖母のネガティブな言動に振り回され、その心理的な支配から脱がれるために、いつしか殺意を抱く自分に気づく。実家に戻ってひきこもり、両親との関係が悪化する。ひきこもっている最中は、ゲーム、読書、そして自問自答だった。
 
 それが、少しずつ変化していった。1つには、会話はないが、親が自分を理解しようという気配が伝わってきたこと。2つには、自問自答の様子が変化してきたこと。「自分は生まれてこなければよかったんじゃないか」という自己否定感主導からのものが変化していった。
 
 ひきこもって7年経ったある夜、夢のなかに「理想の自分」が出てきて、自分と対話したというのです。
 「このままでよくないのはわかってるよね」。
 「外に出て誰かを傷つけてしまうくらいなら、ここにいるほうがいいんだ」。
 「殺意が暴走しないようにひきこもっているんだね。すごい覚悟だね」。
 
 こうして、瀧本さんのひきこもりは終わりました。
 
 
 この瀧本さんのひきこもり経験の話からは、『ひきこもる』ことの本質が顔をのぞかせていると思います。
 
1.『ひきこもる』きっかけは、最初は世界へのネガティブな感覚。大事な何かを失敗した(受験に失敗)、身近な人物(祖母)のネガティブな感情に振り回される。
 
2.『ひきこもる』中で、自問自答が続く。ネガティブな感覚に支配されながらも、繰り返し自己対話を重ねていく。
 
3.『ひきこもる』我が子を見守る家族が、変化する。最初は、とんでもないと引き出そうとするが、『ひきこもる』我が子の内側へと目を転じ、理解しようとする。その気配が、当人に伝わっていく。
 
4.自問自答(自己対話)の中でも変化が起きる。もう一人の自分が、自分を理解しようとする。そして、肯定できていく。『ひきこもる』ことは、終わる。
 
 こうして、瀧本さんにとって『ひきこもる』時期を過ごすのが必要だったことが分かります。そして、見守る誰か(家族)が否定の眼差しでなく、理解と肯定に舵を切ったとき、当人も自分への理解と肯定に向かうのだと思います。
 
経験者は語る・瀧本さんの場合
 
 
 「不登校新聞」7月1日号に、ひきこもり経験者・瀧本裕喜さんの記事が掲載されました。7年間ひきこもった経験を語っています。全文を紹介します。
 
* * *

 僕は18歳から25歳まで、7年間ひきこもった。その理由は、「自分が祖母を殺してしまうのではないかと思ったから」だ。
 18歳のころ、僕は予備校に通うために愛知県の実家を出て、東京にある祖母の家に同居した。
 
 祖母は亡くなった祖父からDVを受けていたようで、積年の恨みが僕に向いたのか、毎日こんなことを言ってきた。「人生なんてつまらない」「生きていたって何も良いことないよ」。
 「あ、そう」と軽く受け流せればよかったのかもしれない。しかし、当時の僕は受験に失敗して落ち込んでいた。
 
 そんなときに「何も良いことはない」と言われ続け、自分の心が祖母のネガティブな感情に支配されていくようだった。
 
 そして祖母からの心理的な支配から脱出するために、僕は祖母に殺意を抱くようになった。
 
 そんな気持ちを必死に抑え込み、祖母とは目を合わさないようにして生活していた。その後ほどなくして、愛知の実家に帰ることになった。
 
 そして帰ってくるなり、僕は自室にひきこもった。祖母への殺意が、両親にも向くかもしれない。
 
 そんな殺意にまみれた自分は、社会に出ないほうがいい。僕は、人を殺さないためにひきこもったのだ。
 
 ひきこもっているあいだにしていたことは3つ。ゲームをするか、本を読むか、自問自答するか、それだけだった。
 「どうして僕は生まれてきたんだろう」、「なぜここにこうしているんだろう」、「生まれてこなければよかったんじゃないか」。何度も同じことが頭をぐるぐるまわった。
 
 親はなんとかして僕を部屋から出そうとしてきた。父に暴力を振るわれたこともある。しかし僕は部屋からほとんど出ず、家族とはひとことも口をきかなかった。
 
 家族との会話がなくても、僕はいつも家族を感じていた。ドアの開け閉めのしかたや音で、親の心理状態を察していた。
 
 両親が家を出たあとにリビングに降り、雑多に置かれている本を見ては、両親が今何を考えているか把握した。ひきこもり関係の本が多数置いてあったが、ひきこもりを犯罪者のように扱っている本もあった。
 
 「早く社会復帰してほしい」という親の希望はつねに感じていた。しかし、どうしようもできない自分を責めるしかなかった。そうした状況が何年も続いた。
 
少しずつ変化が 
 ひきこもって5年がすぎたころ、僕は親の変化を感じた。リビングに置いてある本からひきこもりについて否定的なものが消え、ひきこもりについて理解しよう、という本が増えてきたのだ。
 
 また、親は心理学系のセミナーなどにも参加しているようだった。少しずつ、親の気持ちが自分に近づいている、と僕は思った。 
 
 ひきこもって7年がたったある夜、決定的なことがあった。夢を見たのだ。「理想の自分」と「ひきこもっている自分」が対話する夢だった。
 
 「理想の自分」がこのように語りかけて対話は始まった。
 「このままでよくないのはわかってるよね」。
 「外に出て誰かを傷つけてしまうくらいなら、ここにいるほうがいいんだ」。
 「殺意が暴走しないようにひきこもっているんだね。すごい覚悟だね」。
 
 理想の自分は、ひきこもっている自分を全力で理解しようとしていた。そして対話の最後に、ひきこもっている自分は何かを見つけたように言った。
 
 「自分が変われば世界が変わるんだね」と。
 
 こうして親の変化と自分自身との対話がきっかけになって、僕はひきこもることをやめた。
 結局、自分の一番の理解者は自分だった。理想の自分がひきこもっていた自分を理解しようとしてくれなかったら、今もひきこもっていたかもしれない。
 
 心がボロボロになっても、人を傷つけないために、最後に残った倫理観から僕はひきこもることを選んだ。
 
 その選択を肯定されたとき、僕のひきこもりは終わったのだ。(ひきこもり経験者 瀧本裕喜さん・38歳)
 
自己肯定感の充足・回復を企図する「ひきこもり」
 
 
 決して、ひきこもりが事件を起こすわけではないと、私は考えます。事件が起きるとしたら、それは何か別の要因によってだと思います。
 
 たとえば、急激な、あるいは甚大な、自己肯定感への低下・侵害などです。
 
 ひきこもりは、はんたいに、自己肯定感の充足・回復を企図するものです。ただし、当人にとって、最初からその「企図」が自覚的に意識されているかどうかは別問題です。最初は、とりあえず、とにかく「退避」することで、これ以上の自己否定感の拡大・深化を免れるようにするのであり、それから時間をかけて自己対話を重ね、充足・回復を遂げるものです。
 
 時間をかけて自己対話を重ねるなかで、自己否定への「揺り戻し」がさまざまに繰り返されるでしょう。その過程では、社会生活へのコミットメントが最小限になるだろうと思います。「する・できる」が目に見えて縮小し、それが「揺り戻し」として跳ね返ってくるからです。
 
 本日は、ひきこもりに関する素描のみで終わります。
 
  川崎市登戸の殺傷事件、農水省元次官による長男殺害事件を受けて、ひきこもり経験者の方々が考えられたことを発信しはじめました。次回から、それらの発言を紹介しながら表題のことについて考えていこうと思います。 (つづく・鮮)