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SIS日記

NPO法人SIS(シス)スタッフによるリレー形式の日記です。
「こころが動いたこと」や「共有したいささやかな出来事」など
スタッフの「想い」を定期的に更新していきます。
どうぞお楽しみに!

英一郎氏のツイッター発言から見えてくるもの
 
 
 そこで、家庭内暴力をふるっていた熊沢容疑者の長男・英一郎氏に焦点を当てて考えてみます。
 
 週刊誌などの報道によれば、殺害された英一郎氏がいくつかのツイッターを残しているとのことです。ツイッターの存在それ自体は確かな事実として残っているものであり、私たちはそれを手がかりとして事件への経緯を探ることができそうです。
 
 それによれば、目を引くツイッターがいくつかあります。

・「私が勉強を頑張ったのは愚母に玩具を壊されたくなかったからだ」
 
・「中2の時、初めて愚母を殴り倒した時の快感は今でも覚えている」
 
・「殺人許可証とかもらったら真っ先に愚母を殺す」
 
・「庶民が、私の父に直接会話なんて、一億年早いわ」
・「何が産んでくれた? 勝手に親の都合で産んだんだから死ぬ最期の一秒まで子どもに責任を持てと言いたいんだ私は」
 
 から順番に見ていきましょう。母親が、息子のオモチャを壊していた。それが、何度もあったようです。何のためか? 勉強に励む姿をつくるために、息子がそこから外れないように、コントロールするためです。コントロールするのに邪魔なものの象徴でしょう、オモチャは。
 
 「たかがオモチャ」なのではないのです。好きで、気に入って、時間をかけて作って(プラモデルらしい)遊ぶ自分を、目を細めて見てくれるのでなく、目を吊り上げて目の前で壊し、勉強机に向かえと命令される。それが繰り返されるのです。
 
 。「殴り倒した時の快感」と書いているのは、中2の時でなく、成人して後のこと、たぶんそれも最近のことかと思われます。そして、「真っ先に殺す」と書いているのですから、相当な憎しみが介在していることが窺えます。
 
 反面、のように父親の存在を誇るかのようにしている姿はどう考えたらよいのでしょう。一見、母親と父親への見方が正反対のように見えますが、このことは後から述べたいと思います。正反対でなく、同根だと私は思います。
 
 そして、。「死ぬ最期の一秒まで責任を持て」と。これは、究極の、心の底からの真情であるように思えるのです。
 
 AからEまでを、切り離せない一つながりの心象風景として捉えると、この事件の本質が見えてくると思います。
 
 まず、母親が度々オモチャを壊していたこと。それは、英一郎氏が子ども(おそらく小学生)の頃、気のまま自在に過ごしたり、好きな時、好きなように、好きなだけ遊んだりすることが母親にとっては許せなかったのでしょう。むしろ、憎んでいたのではないかと思われます。それこそ、「先に、先に(前に、前に)」手を打って勉強することが父親の名に恥じない(息子の)務めだったからです。
 
 英一郎氏は、子ども期に、地(じ)のまま、気のままであることを(母親から)憎まれてきました。まだ子どもで、逆らえなかった英一郎氏はコントロールされるしかなかった。それが、の言葉に表されていると思います。
 
 そうだとすると、英一郎氏は自分の地(じ)を封じる。地(じ)でない自分を演じる。だから、不本意と緊張の連続です。いつもそのことにエネルギーを使う。そこから必然的に自分本来が持つ地(じ)のエネルギーは低下せざるを得ない。英一郎氏が、暴力を振るう時に『俺の人生何だったんだ、どうなってんだ』と言ったのは、自らの地(じ)と、コントロールされて生きてきた姿とが内面で分裂し、修復不能なほどになっていたことを示していると思います。
 
 この、本来のエネルギー低下であったが故に、イジメと出会った時のダメージは相当なものだったと思われるのです。
 
 いや、別の報道によれば、英一郎氏は中学生の時ににあるような父親自慢を同級生にしたということです。それも、同級生によれば場違いな……。そうすると、彼は自前のエネルギー低下を父親自慢で穴埋めしようとして逆にイジメを自らが誘発した可能性があります。
 
 (庶民が、私の父に直接会話なんて、一億年早い)のような発言は、ぽっかり空いてしまった自らの地(じ)を埋めるのは、社会の序列ヒエラルキーの最上部に居る父親を持つことを誇示することでした。そして、誰かから「それは親であって、お前じゃないだろ」と突っ込まれ、逆ギレし、ますます孤立したのです。
 
 こうして、英一郎氏は家庭でも学校でも、地(じ)に根ざしたエネルギーを奪われ、孤立し、その根源が母親にあるらしいという感覚から反撃を開始しはじめたと思います。そして、当の母親も、父親である熊沢容疑者も、その(反撃・家庭内暴力)の出所が分からなかったと思います。「勉強させて、熊沢家にふさわしい学歴をつけさせることの何が悪かったのか。どこでもやっていることではないのか」くらいの捉えだったでしょう。
 
 だから、「殺すぞ!」という息子の迫真性への恐れが、隣接する小学校の子どもにも向かうのではないかと考えたのではないでしょうか。いや、もしかしたらそれは少し違って、息子からの「殺すぞ!」に込められているものが、実は自らのあり方に由来している事実から逃げるための口実だったのかもしれません。
 
 ともあれ、100万人と言われるひきこもりの中に、「つくられたひきこもり」「追い込まれたひきこもり」が存在することが言えます。「ひきこもりは、自立にかかわる本人のつまずき」という捉えを見直す必要があります。    (つづく・鮮)
 
「先に(前に」)と足元の闇
 
 
『元農林水産事務次官の熊沢英昭容疑者(76)が東京都練馬区の自宅で長男の英一郎さん(44)を刺殺した事件で、動機の一つには壮絶な家庭内暴力があったことがわかった。
 英一郎さんが実家に戻りたいと電話してたのは5月25日だった。その翌日26日から、家庭内暴力がはじまっていた。
「熊沢容疑者や母親は、アザができるほど殴られた。その際、『俺の人生何だったんだ、どうなってんだ』となどと言っていたといい、二階の部屋に閉じこもるようになった。英一郎さんは一階でパソコンやゲームをして過ごしていた。その後も断続的に家庭内暴力が続き、ライターの火を押し付けるほどエスカレート。ついに熊沢容疑者は『今度暴力を振るったら、こちらがやられてしまう。もう刺すしかない』などと妻に話していたようだ。そこへ川崎の事件もあって凶行に及んだようだ」(捜査関係者)』
 
 以上は、「週刊朝日オンライン限定記事」からの抜粋です。
 
 川崎市登戸の殺傷事件と、この農水省元次官による長男殺害事件とが続いて、世間では「ひきこもり高齢化問題」(いわゆる80-50問題など)に話題が沸騰した感があります。
 
 そこで、この二つの事件が何を物語っているのか、犠牲となった方々に哀悼の意を表しつつ、共に考えてみたいと思います。時が経っても忘れてはいけない問題が、そこにはあるような気がするからです。
 
 まず、熊沢英昭容疑者のことです。
 
 事件の数時間前、自宅近くにある小学校の運動会について、殺害された英一郎氏が「うるさい。ぶっ殺すぞ」と言い、注意した熊沢容疑者と口論になり、熊沢容疑者が暴行を受けた。そこから、「川崎の事件のように子どもに危害を加えてはいかないから」(供述要旨…報道より)として英一郎氏を刺し殺したということです。
 
 熊沢容疑者は、なぜ実際に起きてもいないこと(子どもへの危害)を恐れて英一郎氏を殺害したのか。こういう疑問が、まずわいてきます。英一郎氏が何か凶器でも持って小学校の方へ向かい、その行動を実際に見て制止したようなことではないのです。
 
 「現実には起きていないが、起きるに違いないと思い、未然に防ごうとした」ということなのでしょうが、てっとりばやく言えば「先に(前に)」手を打ったということです。
 
 「先に(前に)」手を打つというこの話は、熊沢容疑者に関して二つのことが言えそうです。一つは、彼はそうして生きてきたのではないだろうか。おそらく、官僚として。その階級社会を確実に上り詰めるために。「先に、先に(前に、前に)」と……。こういう想像ができます。
 
 二つ目は、そういった「先に(前に)」というような体質があるとして、では足元はどうだったろうと思います。前川喜平氏のように文科省次官を辞める前も辞めてからも、自らの足元にあるような貧困や格差から落ちこぼれる若者達に心を寄せる人物を引き合いに出したくなりますが、ここは先を急ぎましょう。熊沢容疑者の足元には、まるでモンスターと化したような長男・英一郎氏が存在していたのです。そして、中学から始まった家庭内暴力が、なぜ、どこから起きてきたのか、最後まで熊沢容疑者には分からなかっただろうと思うのです。
 
 熊沢容疑者の、その足元の『分からなさ』がこの事件の核にあるように思います。それはまるで、正体が見えない足元の闇から何者かに不意に襲われる恐怖から逃げ惑い、「先に、先に」と走り、闇雲に決着をつけた悲劇のように思えるのです。
 
 そこで、その足元の『分からなさ』とは何だったのかを考える必要が出てきます。それは、いったい何だったのでしょう。    (つづく・鮮)
 
白濁の中に生きる 
 
 
 さて、「介護」の風景。どんな風に詠われているでしょうか。
 
 
☆白濁の中に生きるや 声かけて むつき替ふるも はははめざめず (山口恵子)
 
 
☆横抱きにしてベッドまで運ぶ母 野菜に近き軽さなりけり (小高 賢)
 
 
☆海を産んだような顔をして祖母は眠る 春の真昼を晩年として (後藤由紀恵)
 
 
☆時間をチコに返してやらうといふやうに父は死にたり時間返りぬ (米川千嘉子)