自己肯定感の充足・回復を企図する「ひきこもり」
決して、ひきこもりが事件を起こすわけではないと、私は考えます。事件が起きるとしたら、それは何か別の要因によってだと思います。
たとえば、急激な、あるいは甚大な、自己肯定感への低下・侵害などです。
ひきこもりは、はんたいに、自己肯定感の充足・回復を企図するものです。ただし、当人にとって、最初からその「企図」が自覚的に意識されているかどうかは別問題です。最初は、とりあえず、とにかく「退避」することで、これ以上の自己否定感の拡大・深化を免れるようにするのであり、それから時間をかけて自己対話を重ね、充足・回復を遂げるものです。
時間をかけて自己対話を重ねるなかで、自己否定への「揺り戻し」がさまざまに繰り返されるでしょう。その過程では、社会生活へのコミットメントが最小限になるだろうと思います。「する・できる」が目に見えて縮小し、それが「揺り戻し」として跳ね返ってくるからです。
本日は、ひきこもりに関する素描のみで終わります。
川崎市登戸の殺傷事件、農水省元次官による長男殺害事件を受けて、ひきこもり経験者の方々が考えられたことを発信しはじめました。次回から、それらの発言を紹介しながら表題のことについて考えていこうと思います。 (つづく・鮮)
