当事者の側に居ること、当事者になること
カンディンスキー
「介護」をめぐる傾聴講座報告のつづきです。Tさんが、「伴走者のような存在でありたい」と書いていることが大切なことだと思います。
今回は、Tさんの報告を受けて、10月14日の傾聴講座には参加できなかったものの、自らの介護体験を経て思われたことを後から投稿された方がいますので、紹介します。
自分の話で恐縮ですが、父の生前に介護というモノを経験しまして、事ある毎に自分に置き替えて、自分の老後を考えさせられる貴重な時間を過ごしました。
確かに自分も大変でしたが、ただただその時思っていたのは、どのようにしてあげたら幸せでいられるかなぁ〜? といろいろ考えながら側に居ましたが、父本人が、自分の現在を受け入れてるようでしたので、少しは安心しての介護でした。
それでも体が思うように動けない事が、すごくストレスになってるようで、時々凹んでるように見えました。
それがすごく可愛そうで言葉になりませんでした。
自分が当事者になった時の事は、想像してるだけで、こんな時はこうしよう!とか、
ああなったらこんな風に考えよう!とか思ってるだけで、実際にそうなったらワガママの局地に立ってるかもしれません。
ああなったらこんな風に考えよう!とか思ってるだけで、実際にそうなったらワガママの局地に立ってるかもしれません。
周りに迷惑をかけないようしながら、どのように生きるか? 徐々に終活をしながら考えていこうと思ってます。 (I)
