言葉は「外国語」??
アメリカ・タイム誌にて「世界で最も影響力をもつ100人」に選ばれた自閉症者テンプル・グランディン。彼女は、自閉症者としても、動物愛護活動家としても講演をしたり、著作を発表したりしています。
今回は、彼女の半生を聞き書きしてまとめた『自閉症と生きる』(サイ・モンゴメリー著・杉本謡美訳・汐文社刊)を紹介します。
テンプルは、動物にどう向き合うかを伝える講演のなかで『動物には感情があるだけではありません。動物の行動のほとんどすべてが、感情にもとづいているのです。』と言っています。
動物には言葉がなく、恐れや痛み、喜びや好奇心があっても伝えることができなければ、それは無いことと同じか、たいしたことはないという考え方があるのに対して、それは違うのだと次のように言っています。
『動物は、“絵”でものごとを記憶したり、考えたりするのです。ある特定の映像。ある特定の音。いいひとの声。悪いひとの声。なにか悪いことがあったときの記憶などです。』
“絵”でものごとを記憶したり、考えたりする』というテンプルの言葉は、とても奥深く大事なことを示していると思います。まず、子どもの頃のテンプルは、動物たちと同じように、ほかの子どもが複雑な文をつなげて話ができても、しばらくは自分の言葉をうまく言葉にすることができませんでした。それでも、考えることはたしかにできていたのだと言います。
テンプルは、自分もふくめた自閉症者は、実際の感覚から得られた映像の記憶を使って考えるのであって、ものごとの意味をおおまかにとらえた抽象的な概念や言葉をもとにして考えているのではないのだと言います。
つまり、自分のまわりに起きるさまざまな情報は“絵”を通してキャッチされ、考えをつくるための「母国語」となるのに対して、言葉というのは「外国語」として登場してくるのです。(つづく・小木曽)
