先ず最初に訪れた先は
臨済宗 妙心寺派の大本山である
正法山 妙心寺さん‼️
まぁ、一口にお寺と言っても どちらかと言えば
お寺さん達の集合体と言うべきか、お寺の団地みたいなところ(^^;)
今回、妙心寺《京の冬の旅 スタンプラリー》でエントリーされて
公開されてらっしゃるのは こちら💁🏻♂️の二宇さんのみ
その中の
壽聖院(じゅしょういん)さんには
戦国時代大好きな僕が 生涯『推し活』中の武将
石田三成公 いや正確に言えば
三成公が 父正継公のために 菩提所として創建された寺院でございます。
ご存知の通り 三成率いる西軍が関ヶ原の戦いにて敗れたので
こちらの寺院も大きく縮小され 今の所に三成の嫡男 石田重家が出家して
現在まで 石田一族の菩提寺として存続しております。
この頃通常、敗戦の将の一族は 全員処刑が当たり前だったのですが
当時はまだ 豊臣秀頼もおり、重家も秀頼側近の立場だったから
珍しく存命が許されたのかもしれませんね。
ともあれ 貴重なご位牌や直筆の書面など(撮影NG)
間近で拝見することが出来たのが とても感動 致しました🥹
まぁ、肖像画も見せてくださいましたが
やはり 三成さんのパパさんと言えば
あの大河ドラマ『 葵 徳川三代 』で演じてらっしゃいました
内藤武敏さんの印象が 強く残っておりまする、、、
ちょうど朝に降った雪が残っており
三成さんの主君 秀吉公にちなんでひょうたんをモチーフにされたらしく
ちょうど趣きのある 雪化粧となりましたヽ(´ー`)
本来なら ここの看板にゃん子に
挨拶して退出しようと思っておりましたが あいにく
暖かいお部屋にてお休みされていると 御朱印を書いてもらった
ご住職さんに教えて頂きました、、、 🤣🤣🤣
最後に 許可を頂き
石田一族が眠ると言われる
お墓に挨拶して あとに致しました🙂
( 石田三成の遺髪が納められているそうです。 )
そんな訳で 天気も回復してまいりましたので
次なる場所へ
同じく臨済宗 大徳寺派の総本山
龍宝山
大徳寺の 塔頭の一つである
三玄院(さんげんいん)さん
皆さんもそうだと思いますが ここはいつも『拝観謝絶』の札が
(この日は公開に伴い ひっくり返してありました *)
あとで お寺関係の方に 聞いたところ
なんでも 約50年ほど お寺としては非公開だったのだとか、、、
そんな訳で やはり三成フリークとしは
是が非でも 今回、訪問しておかないと思いやってまいりましたヾ(๑╹◡╹)ノ"
未知なる山門をくぐり
禁断の境内へ
っと
撮影が許されている範囲はここまで!!🤣💦
今回、公開されているのは
江戸中期の絵師 原 在中(はら ざいちゅう)の襖絵や
禅寺では珍しく東向きに設えた 枯山水庭園 『 昨雲庭 』( 作庭者 不明 ) など
見どころはございましたが 、、、
本来、三成公他 有名どころの戦国武将のお墓は未公開
あのへうげもので有名な 織部さん好みと呼ばれている 茶室 『 篁庵 』なども
一度は 公開して欲しいのですが いろいろと問題があって難しいみたいですね 、、、笑''
最後にかなりマニアックな疑問
ここ三玄院は もともと開祖 春屋宗園(しゆんおく そうえん)大師に帰依した
石田三成 森 忠政(蘭丸の弟) 浅野 幸長(よしなが)の3人が建立したと伝わる禅宗寺院
ただ浅野 幸長だけは 創建した1589年当時、まだ元服前だったはず
( 初陣が1590年の小田原の役と記録されている )
ひょっとしたら その時ちょうど京都奉行職だった親父さんの
浅野長政が 息子のためにと名を連ねられたのでは?
まぁ、その方が後に三成を襲撃した七将に入っているのも納得出来るし、、、
とにかく、今回 公開となる要因の一つに
1話で見るのをやめちゃった あの大河ドラマ『どうする家康』絡みと
言われておりますが . . .
生きている内に 三玄院さんへ拝観出来たことは とてもラッキーでした😊
* 三玄院 特別公開は2023年3月13日までとなっています。