三大秘法禀承事を拝したてまつる

一、「夫れ法華経の第七神力品に云く」より「寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」までの文。

 この文は、略して三大秘法を明かされている。文底深秘の大法を会得しないで、この御文を拝すると、文上脱益の本尊を中心とするおそれがある。そのゆえは「答えて云く夫れ釈尊初成道より四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠を説かせ給いし涌出品まで秘せさせ給いし」の御文に執着を強くするからである。


 されば次下の「実相証得の当初修行し給いし」の御文は、″第一番成道の釈尊が実相証得の当初修行し給いしところのもの″と読むならば、これ文上であって、我本行菩薩道にあたる。しかして、たとえ文上と読むといえども、我本行菩薩道は、その水因初住の文底の南無妙法蓮華経を修行したことになる。


 また、文底深秘の大法の眼あけてみれば、実相証得の当初とは久遠元初であること、明らかである。そのゆえに次下の寿量品とおおせられたのは、観心本尊抄における文底三段の正宗分の一品二半にあたるのである。
 ゆえに、寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なりとおおせられるのは、寿量品の肝心文底秘沈の大法本地難思の南無妙法蓮華経の三大秘法のことである。このゆえに、神力品の経中の要説の四事たる如来一切の所有の法は甚妙なる南無妙法蓮華経、如来の一切の自在の神力は戒壇、如来一切秘要の蔵は本尊、如来一切の甚深の事は題目となる。


一、「教主釈尊此の秘法をば三世に隠れ無き普賢文殊等にも譲り給はず」より「道暹律師云く『法是れ久成の法なるに由る故に久成の人に付す』等云云」までの文。
 この御文は付嘱の儀式と付嘱の人をお示しあそばされている。しかも、その付嘱は久遠元初の儀式であり、久遠元初の人である。そのゆえは所居の土は寂光本有の国土、その本有とは、これ久遠元初である。


「能居の教主は本有無作の三身なり」本有無作の三身は久遠元初の自受用報身である。この儀式をもって、文上第一番成道の教主釈尊なりとすれば、色相荘厳有作の仏とならなければならぬ。ゆえに、文底下種久遠と断ぜざるをえない。
 また「所化以て同体なり」とのおことばと、次下の「かかる砌なれば久遠称揚の本眷属・上行等の四菩薩を寂光の大地の底よりはるばると召し出して付属し給う」のおことば等、よくよく心肝に染むるならば、次の血脈抄のおことばがはっきりするであろう。

 「久遠名字より已来た本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」(御書全集八五四㌻


一、「問て云く其の所属の法門仏の滅後に於ては」より「所謂寿量品に云く『是の好き良薬を今留めて此に在く汝取て服す可し差じと憂うる勿れ』等云云」までの文。

 この御文は三大秘法の南無妙法蓮華経の流通の時を明かされている。しかも、この秘法が末法に限る経文として、是好良薬今留在此をお示しなされたのに深意がある。大聖人が「余が内証の寿量品」とおおせられた寿量品の文底の眼をあけて拝すべきである。是好良薬は南無妙法蓮華経であることはいうまでもない。今留とは、だれ人のためにとどめられたのか。これは失心者のためである。すなわち毒気深入失本心故の人のためである。


 しからば、この本心を失える者とはいずれの時の人か、正法か、像法か、末法の人か。このことばは「我今衰老死時已至」の時である。われ衰老して死の時至るとは、釈迦仏法が衰老して、その功徳が死の時、いたったのである。しからば死至の時は末法をさすことはいうまでもない。ゆえに、この妙法が末法出現の文証となる。また御義口伝に「在此の此は日本国なり」
と断ぜられているのでも、なお明らかであろう。


 ー「問て云く寿量品専ら末法悪世に限る経文顕然なる上は私に難勢を如う可らず然りと雖も三大秘法其の体如何」より「大梵天王・帝釈等も来下して蹋給うべき戒壇なり」までの文。

 この御文は、三大秘法の法体を明らかにせられている。すなわち、
 1 本尊
 「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」
 寿量品に建立するところの本尊とおおせある、この文の建立の二字に意をとどむべきである。また五百塵点の当初とは、いうまでもなく久遠元初を意味し、文底の深意たるこというまでもない。此土有縁とは、この娑婆世界に有縁ということで、深厚本有とは、純粋にして宇宙本然のすがたであり、無作三身とは無作の法身、無作の報身、無作の応身にして、教主とは南無妙法蓮華経の教主で、釈尊とは文底の釈尊である。すなわち、人をたずぬれば日蓮大聖人、法をたずぬれば南無妙法蓮華経である。


 2 題目
 正法・像法の題目は、竜樹・天親・南岳・天台のごとく、自行のみにして理行の題目であるが、末法大聖人の題目は自行化他にわたる題目である。


 3 戒壇
 大聖人御意の戒壇は本門の戒壇を意味し、叡山の戒壇のごとく僧侶のための戒壇ではない。かれは迹門の戒壇であり、これは文底深秘の戒壇である。またかれは理の戒壇であり、これは事の戒壇である。ゆえに全世界の一般大衆の信心の中心であり、依怙依託となる場所である。しかも、これは滅後の弟子にその建立を命ぜられたもので、その時機については次のごとくおおせられている。
 

 イ、仏法王法冥合のとき。
 ロ、王臣一同が正法に帰依したとき。
 ハ、有徳王、覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さんとき。
 ニ、勅宣、御教書の申し下されたとき。


 また、この建立せらるべき場所については、「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か」とおおせられている。

 次に、「時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり」とは、われら末弟等にこの戒壇建立を御命令になっていることがはっきりわかる。


 また、この戒壇がいかに尊厳であるかについては、「三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹋給うべき戒壇なり」とおおせられている。
 

一、「此の戒法立ちて後」より「此の法門は義理を案じて義をつまびらかにせよ」までの文。
 

 この御文は、大聖人の御心にある事の戒壇と叡山の戒壇とを峻別せられている。すなわち叡山の戒壇は理の戒壇であるがゆえに、たとえ清浄無比なりとするも利益がないと断ぜられて、そのうえに慈覚・智証より以来、真言の謗法がはいりこんだがゆえに、大謗法の山となったことを嘆かれている。


一、「此の三大秘法は二千余年の当初」より「芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」までの文。
 

 この一文こそ、仏法の奥底、生命の不思議を厳然とお説きあそばされている。天台の「霊山の一会儼然として未だ散らず」の不思議な一言に通じる。かつまた、これにもまさる力強いものである。この一言は、文底深秘の仏法に通じない邪義のやからには、とうてい理解しえないのである。方便品に云く「唯仏与仏乃能究尽」と。少しばかりにても、この境涯に達したものでなければ、とうてい理解はできないであろう。


 吾人は断じて宣言する。日蓮大聖人は二千余年の当初、地涌千界の上首としてたしかに教主大覚世尊より口決相承なされたのである。
 また、このことは、疑い多くして難信難解で、大覚世尊が法華経を難信難解と説かれたのと同一義であろう。これを信ずれば仏の因となり、これを疑えば地獄の因となることを、一言付記しておく。


一、「問う一念三千の正しき証文如何」より「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり」までの文。


 ここに一念三千の法門をお出しあそばされたのは、所以は事の一念三千というも、三大秘法の南無妙法蓮華経というも、その法体は同一のゆえである。しこうして、この一念三千に二種あり、一つは底下凡夫理性所具の一念三千と、二つに大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千である。
 この二種の一念三千、二種にして一、その一なるを名づけて南無妙法蓮華経というのである。この南無妙法蓮華経は大覚世尊証得のものと、はっきりおっしゃっているところに気をつけねばならない。されば、この南無妙法蓮華経を、大聖人は、末法の幼稚な者のために流布せられるのであるから、「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり」とおおせられるのである。


一、「予年来己心に秘すと雖も」より「秘す可し秘す可し」までの文。

 「此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し」とおおせあるのは、この三大秘法の南無妙法蓮華経の法門が、大聖人の仏法の根幹なることを十分に意味している。この三大秘法の法門こそ文底深秘の法門で、この御文章のいかに荘厳であるかを深く味わうべきである。


 また「一見の後・秘して他見有る可からず口外も詮無し」とは、太田金吾殿へのきびしき御命令ととるべきである。いかにそのころの人々が大聖人の教学に徹しなかったかがよくわかる。また、このことによって、御正筆の現存しない理由も推測できるであろう。このことについては、現法主堀米日淳上人(総本山第六十五世)が「大白蓮華」第十三号より詳述せられているから参考にせられたい。
                             (昭和三十一年六月一日)