武将の墓 | 北条氏照の墓-2 - 伝心庵跡!秀吉の大軍に屈し小田原城下で自刃! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、北条氏照の墓-2の紹介です。

 

人物名 墓のある施設 住所
北条氏照 伝心庵跡 神奈川県小田原市栄町2丁目7−8

誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(_ _ )m
スマホで地図が表示されない場合、一度前の記事に戻ってもらい再度次の記事を読み込みすると表示されるようです。

北条氏照の墓は、小田原駅から小田原城に向かう途中の伝心庵跡にあります。
発見難易度★★☆☆☆

周辺に有料駐車場があります。


北条家の領土拡大に大貢献するも、秀吉の大軍には勝てず

北条氏照は北条3代当主・北条氏康の三男です。
天文11年(1542年)生れ。
武蔵の守護代・大石定久の養子となり、大石氏の居城・滝山城を居としました。

 

永禄12年(1569年)には、滝山城にて武田信玄を相手に籠城戦を繰り広げています。

天正6年(1578年)、上杉謙信の死後に起きた家督争い“御館の乱”の際には、兄で4代当主の北条氏政の名代として弟・北条氏邦と共に実弟である上杉景虎の援軍に向かっています。

本能寺の変の後、北条氏は上野へと侵攻し、甥で北条5代当主の北条氏直、弟・北条氏邦とともに織田家重臣・滝川一益(たきがわかずます)と神流川で合戦を繰り広げています。

その後、北条氏の領土拡大とともに居城を八王子城へと移しますが、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐において城は落城。
氏照は兄の北条氏政とともに小田原城下にて自刃しました。

 

 

北条氏照の墓所。

 

 

墓所全景。真ん中の小さな五輪塔の左側が北条氏照の墓。その右隣は兄の北条氏政のもの。

 

 

北条氏照の墓。

 

 

生害石。この石の上で北条氏照・氏政兄弟は自刃した。

 

 

傘塔婆型の墓碑。

 

 

武将と姫の墓めぐり TOPページへ戻る
その他の北条氏照の墓をはじめ、日本全国の武将の墓を紹介しています。

 

アメブロ以外の方のご意見・ご質問等はこちらまで。
※返信までに時間を要する場合、お答えできかねる場合もございます。ご了承ください。

ライン宣伝07ラインスタンプ作りました。
喜怒哀楽を兜の前立てで表現した可愛い「武将の日々と日常なサムライスタンプ」
かわいい「たぬきサムライのスタンプ」などなど。
気に入ったら使ってくださいね。よろしくお願いします。
スタンプはこちらから。

ブログランキングへ参加中です。ご協力お願いしますm(_ _ )m
パクリはやめましょう!
このブログの記事や画像の無断使用、転載は絶対やめてくださいね。
ご使用等に関してはこちらまでお願いします。

この記事作るのにいろんな史料を調べたり、現地に行って写真撮ったり、時間・お金がたくさんかかってます!
ズルしちゃだめですよ。

© 2010-2024 siro-sengoku-bushou.