城めぐり | 川越城! 太田道灌親子が築城!江戸時代の本丸御殿が今も現存! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

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お城めぐりの旅、川越城の紹介です。

 

城名(別名) 住所 関連する人物
川越城(河越城、初雁城、霧隠城) 埼玉県川越市郭町2丁目13−1 太田道真、太田道灌、扇谷上杉氏、北条氏綱、大道寺氏、酒井重忠

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日本100名城スタンプ No.19
登城年月:2011年06月
登城順:84/100
川越城は太田道真・道灌親子によって築城されました。
江戸時代は江戸の北を守る要衝として譜代や親藩の大名家が治めました。
開館:午前9時~午後5時
入館料:100円
休館日:月曜日、第4金曜日、年末年始


くるまr駐車場があります。
100名城スタンプは本丸御殿にあります。
本丸御殿休館日は川越武道館に設置。


江戸の北を守る要衝・川越城
川越城は、長禄元年(1457年)、上杉持朝(うえすぎもちとも)の重臣・太田道真(どうしん)・道灌(どうかん)親子によって築かれました。
持朝の子・上杉定正によって太田道灌が殺害されると、以降は上杉氏の居城となります。
1537年(天文6年)、北条氏綱により城は落とされ、北条氏の重臣・大道寺氏が入城します。
以降、川越城は北条氏の武蔵支配の拠点となりました。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の北条征伐により北条家は滅亡。関東は徳川家康の領地となり、川越城には家康家臣・酒井重忠が入りました。
川越城は江戸の北を守る要衝にあり、 酒井家の後も譜代や親藩の大名家が統治しました。
 

現存する本丸御殿
現存する本丸御殿は嘉永元年(1848年)に建てられました。
そのうち、現在残る建造物は玄関・大広間と家老詰所のみです。
とはいえ、御殿は現在、高知城、二条城、掛川城にしか現存しておらず、たいへん貴重なものです。

天守の代わりとなっていた富士見櫓
本丸御殿から少し離れた場所に富士見櫓跡があります。(上地図参照)
川越城には天守閣はなく、城中で一番高い場所にあった富士見櫓が天守の代わりとされていました。
富士見櫓は三層であったそうです。
場所は右地図参照

 

 

大手門跡。城は画像左手方面。

 

 

中の門跡。

 

 

中の門跡に残る堀。

 

 

富士見櫓跡。三層の櫓が建っていました。

 

 

御殿玄関。

 

 

御殿玄関を北側より。

 

 

御殿を北側より。右手が家老詰所。

 

 

御殿屋根には葵の紋が。

 

 

使者の間の杉戸と欄間。

 

 

豪華な引手。

 

 

豪華な釘隠。

 

 

広間廊下。

 

 

家老詰所。

 

 

家老詰所。ご苦労様です。

 

 

家老詰所から見た中庭越しの御殿広間。左手は坊主部屋。

 

 

家老詰所から中庭。

 

 

おトイレ。今と変わりませんね爆  笑

 

 

江戸の情緒を色濃く残す川越の町並み。



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