武将の墓 | 千葉胤将の墓 - 大日寺!鎌倉公方に仕えた千葉家16代当主!| 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、千葉胤将の墓の紹介です。

 

人物名 墓のある施設 住所
千葉胤将 大日寺 千葉県千葉市稲毛区轟町2丁目

 

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千葉胤将の墓は大日寺にあります。
発見難易度★★★☆☆
一族の墓は本堂に向かって左手にあります。


くるまr駐車場があります。


千葉家16代当主・千葉胤将

千葉胤将(ちばたねまさ)は千葉胤直(たねなお)の子で、千葉家16代当主です。
永享4年(1432年)生れ。
嘉吉元年(1441年)、父の出家によって家督を継ぎ、鎌倉公方・足利成氏に仕えました。
宝徳2年(1450年)、江の島合戦にて長尾景仲および太田資清の連合軍と戦っています。
享徳3年(1454年)、病に倒れ死去。

千葉家16代の墓が並ぶ大日寺
寺は千葉頼胤(よりたね)が源頼朝以下三代を供養するために建長6年(1254年)に松戸に創建。
弘安7年(1284年)、頼胤の子・胤宗(たねむね)によって千葉に移されました。
昭和20年(1945年)の空襲により全山焼失。
その後、現在地に再建されました。

千葉家の墓と言われる五輪塔は、初代・常兼(つねかね)から17代・胤宣(たねのぶ)までのもので、活躍した時代でいうと平安中期から室町中期までになります。
残念なことに、銘文の多くは判読出来ず、また全山焼失の際に記録も無くなり、16代・胤将の墓以外、どれが誰の墓なのか判断出来ないそうです。

※大日寺に祀られている千葉家歴代

初代・千葉常兼(つねかね)
2代・千葉常重(つねしげ)
3代・千葉常胤(つねたね)

    千葉常政(つねまさ)

5代・千葉成胤(なりたね)
6代・千葉胤綱(たねつな)
7代・千葉時胤(ときたね)
8代・千葉頼胤(よりたね)

10代・千葉胤宗(たねむね)
11代・千葉貞胤(さだたね)
12代・千葉氏胤(うじたね)
13代・千葉満胤(みつたね)
14代・千葉兼胤(かねたね)
15代・千葉胤直(たねなお)
16代・千葉胤将(たねまさ)
17代・千葉胤宣(たねのぶ)

 

 

 

山門。

 

 

本堂。

 

 

本堂屋根には千葉家の家紋・九曜紋が。月星では無いですけど。

 

 

千葉家累代の墓。

 

 

別角度から。誰の墓だか分かるとよかったんですけどね。残念ショボーン

 

 

16代・千葉胤将の墓。

 


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