武将の墓 | 島津忠宗の墓-2 - 感応寺!父・久経とともに元寇と戦う!島津4代当主 | 地図付 | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

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人物名 墓のある施設 住所
島津忠宗 感応寺 鹿児島県出水市野田町下名5735

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島津忠宗の墓は感応寺にあります。
発見難易度★☆☆☆☆
墓(五廟社)は、案内版があるので分かります。

くるまr駐車場があります。


父ともに元寇と戦った島津家4代当主

島津忠宗(しまづただむね)は、島津久経(しまづひさつね)の子で、島津家4代当主です。
元服し、鎌倉幕府の執権・北条時から偏諱を賜わり、忠と名乗りました。
弘安4年(1281年)の弘安の役では、父・久経とともに兵を率い、元寇と戦っています。
弘安7年(1284年)、父の死により家督を継ぎ、島津家4代当主となりました。

島津家の祖・忠久創建の感応寺。廃仏毀釈によって破壊される
感応寺は、建久5年(1194年)、島津初代・忠久によって創建されました。
臨済宗の開祖・明菴栄西(みょうあんえいさい)を迎えた禅寺で、最盛期は七堂伽藍を誇る大寺院でした。
しかし、 明治の愚行・廃仏毀釈によって廃寺となります。
明治13年(1888年)、梅嶺和尚によって再建され今に至ります。

寺には島津忠久から貞久まで5代の墓があり、五廟社として祀られています。

※鹿児島県内の廃仏毀釈は徹底的で、県内の全ての寺院が破壊されました。
なので、鹿児島には古いお寺が一切ありません。
残念ですねーショボーン

 

感応寺入り口に建つ仁王像。
廃仏毀釈でお寺が破壊されたため、鹿児島には野ざらしの仁王像がたくさんあります。

 

 

鐘楼。

 

 

見事な蘇鉄。

 

 

本堂。

 

 

軒下と屋根瓦には島津家の家紋が。

 

 

島津家5代の墓・五廟社へは案内版が出ているので迷うことはありません。

 

 

五廟社。島津忠久から貞久まで5代が祀られています。

 

 

島津5代の墓。

 

 

島津忠宗の墓。

 

 

神号が刻まれています。

 

 

本立寺跡の島津忠宗の墓はこちら。

 

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