「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、曾我兄弟の墓の紹介です。
人物名 | 墓のある施設 | 住所 |
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曾我兄弟 | 曾我八幡宮近くの山中 | 静岡県富士宮市 |
発見難易度★★★☆☆
![くるまr](https://emoji.ameba.jp/img/user/na/namida-egao/88449.gif)
近くの曾我八幡宮に駐車場があります。
工藤祐経と河津祐泰の暗殺
工藤祐経(すけつね)は 父の早世により家を継ぎますが、平重盛に仕えるために上京している間に、叔父・伊東祐親(すけちか)に所領と妻を奪われてしまいます。
全てを失った祐経は安元2年(1176年)、叔父・祐親暗殺を決行しますが失敗。
祐親は運よく難を逃れますが、代わりに祐親の嫡男・河津祐泰(かわづすけやす)が犠牲になりました。
その後、工藤祐経は源頼朝の有力御家人となり、頼朝に重用されました。
曾我兄弟の仇討ち
父・河津祐泰を討たれた曾我祐成(すけなり)と時致(ときむね)の兄弟は、成人し、父の仇、工藤祐経の暗殺を企てます。
建久4年(1193年)5月の頼朝の富士の巻狩りの際、夜半に工藤祐経の宿所へと忍び込んで襲撃。
工藤祐経をはじめ、酒の席を共にしていた王藤内(おうとうない)を殺害し、その他、騒ぎを聞きつけた武将数人に怪我を負わせます。
しかし、その騒ぎの中、曾我兄弟の兄・祐成は討ち死に。
弟・時致は捕らえられ、首を晒されました。
この「曾我兄弟の仇討ち」は後に日本三大仇討ちの一つと呼ばれるようになります。
※富士の巻狩りの際、源頼朝が指揮した陣所、源頼朝が宿した狩りの館はこちら。
工藤祐経の墓はこちら。
寺社名 | ゆかりの武将 | 住所 |
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曾我八幡宮 | 曾我祐成、曾我時致 | 静岡県富士宮市上井出 |
![くるまr](https://emoji.ameba.jp/img/user/na/namida-egao/88449.gif)
曾我兄弟の英霊を祀る曾我八幡宮
曾我八幡宮は曾我兄弟の孝心に感銘を受けた源頼朝の命によって建立されました。
曾我八幡宮のある地は、曾我兄弟の兄・祐成が討たれた場所だといいます。
主神は応神天皇で、曾我兄弟はその相殿として祀られています。
江戸時代には歌舞伎や芝居で「曽我物語」が演じられ、曾我八幡宮は兄弟ゆかりの品を江戸に運び、出開帳を行ったそうです。
史跡名 | ゆかりの武将 | 住所 |
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曾我兄弟の隠れ岩 | 曾我祐成、曾我時致 | 静岡県富士宮市上井出 |
![くるまr](https://emoji.ameba.jp/img/user/na/namida-egao/88449.gif)
近くの白糸の滝に有料駐車場があります。
工藤祐経の墓の近くにある曽我兄弟の隠れ岩
曽我兄弟の仇敵・工藤祐経の墓の近くには曽我兄弟の隠れ岩と呼ばれる史跡があります。
曽我兄弟は、工藤祐経を討つ前にこの岩陰に隠れて密談をしたのだそうです。
近くには密談の際に不思議と音が止んだといわれる音止の滝もあります。
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