武将の墓 | 千葉家累代16代の墓 - 大日寺!かつて下総に君臨した桓武平氏の一族!| 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、千葉家累代16代の墓の紹介です。

 

人物名 墓のある施設 住所
千葉家累代16代 大日寺 千葉県千葉市稲毛区轟町2丁目

 

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千葉家累代16代の墓は大日寺にあります。
発見難易度★☆☆☆☆
本堂に向かって左手にあります。


くるまr駐車場があります。


平安から戦国時代まで下総に勢力を誇った千葉家

千葉氏は桓武平氏系の武家で 平安から戦国時代まで長きに渡り下総を中心に勢力を誇りました。
戦国時代には北条氏康と婚姻関係を結んで小弓公方や安房里見と争いますが、1590年(天正18年)、豊臣秀吉の北条征伐により北条家が滅亡すると、千葉家もそれに連座する形で所領は没収され、名家は滅んでしまいました。

千葉家16代の墓が並ぶ大日寺
寺は千葉頼胤(よりたね)が源頼朝以下三代を供養するために建長6年(1254年)に松戸に創建。
弘安7年(1284年)、頼胤の子・胤宗(たねむね)によって千葉に移されました。
昭和20年(1945年)の空襲により全山焼失。
その後、現在地に再建されました。

千葉家の墓と言われる五輪塔は、初代・常兼(つねかね)から17代・胤宣(たねのぶ)までのもので、活躍した時代でいうと平安中期から室町中期までになります。
残念なことに、銘文の多くは判読出来ず、また全山焼失の際に記録も無くなり、16代・胤将の墓以外、どれが誰の墓なのか判断出来ないそうです。

※大日寺に祀られている千葉家歴代

初代・千葉常兼(つねかね)
2代・千葉常重(つねしげ)
3代・千葉常胤(つねたね)

    千葉常政(つねまさ)

5代・千葉成胤(なりたね)
6代・千葉胤綱(たねつな)
7代・千葉時胤(ときたね)
8代・千葉頼胤(よりたね)

10代・千葉胤宗(たねむね)
11代・千葉貞胤(さだたね)
12代・千葉氏胤(うじたね)
13代・千葉満胤(みつたね)
14代・千葉兼胤(かねたね)
15代・千葉胤直(たねなお)
16代・千葉胤将(たねまさ)
17代・千葉胤宣(たねのぶ)

 

 

山門。

 

 

本堂。

 

 

本堂屋根には千葉家の家紋・九曜紋が。月星では無いですけど。

 

 

千葉家累代の墓。

 

 

別角度から。誰の墓だか分かるとよかったんですけどね。残念ショボーン

 

 

16代・千葉胤将の墓。

 


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