武将の墓 | 工藤祐経の墓! 叔父に人生を翻弄され、その子孫に暗殺される! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、工藤祐経の墓の紹介です。

 

人物名 墓のある施設 住所
工藤祐経 白糸の滝・音止の滝のそば 静岡県富士宮市上井出

 

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工藤祐経の墓は白糸の滝・音止の滝のそばにあります。
発見難易度★★★☆☆

くるまr駐車場はありません。
白糸の滝に有料駐車場があります。


叔父に全てを奪われた工藤祐経
工藤祐経(すけつね)は伊東荘(静岡)を治めた工藤祐継(すけつぐ)の子です。
父の早世により家を継ぎますが、平重盛に仕えるために上京している間に、叔父・伊東祐親(すけちか)に所領と妻を奪われてしまいます。
全てを失った祐経は安元2年(1176年)、叔父・祐親暗殺を決行しますが失敗。
祐親は運よく難を逃れますが、代わりに祐親の嫡男・河津祐泰(かわづすけやす)が犠牲になりました。

本願を果たせなかった祐経ですが、時代が祐経に見方をします。
源頼朝が挙兵すると、祐親は平家方についたため、富士川の戦いの後に自害。
祐経は所領を取り戻します。

その後、祐経は源頼朝の有力御家人となり、頼朝に重用されました。

曾我兄弟の仇討ちによって命を落とす
建久4年(1193年)5月の頼朝の富士の巻狩りの際、今度は河津祐泰の子・曾我祐成(すけなり)と時致(ときむね)の兄弟が工藤祐経暗殺を企てます。

※富士の巻狩りの際、源頼朝が指揮した陣所源頼朝が宿した狩りの館はこちら。

夜半、曾我兄弟は富士の巻狩りの陣中、祐経の宿所に侵入し、酒の席にあった祐経を討ち果たしました。
この「曾我兄弟の仇討ち」は後に日本三大仇討ちの一つとなりました。

祐経の子は跡を継ぎ、子孫は日向へ領地を拝領。
後に戦国大名となります。

 

 

工藤祐経の墓全景。

 

 

案内板。

 

 

工藤祐経の墓。お堂になってます。

 

 

お堂内の墓石。

 

 

お堂の後ろ。石で囲われた部分は何でしょうね?こちらが本来の墓でしょうか?

 


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