戦乱の旅-甲州征伐 | 3月10日、武田勝頼一行天目山へと出立。田野へ陣取る | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)
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武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」 史跡めぐりの旅、
3月10日の朝の武田勝頼の動向を紹介します。

3月10日、武田勝頼、天目山へ向け出立。田野へ陣す。
3月4日から鶴瀬宿 または駒飼宿 に滞在し小山田信茂の迎えを待っていた武田勝頼でしたが、小山田信茂の裏切りにあい兵は討ち死および逃亡してしまいます。
それにより、500〜700人いた家臣はわずか41人あるいは43人に減ってしまいました。
岩殿城 へ向かうのを断念した勝頼一行は、甲州一の険阻と言われる天目山をめざし、3月10日に出立します。
※3月4日からの動向はこちら をご覧ください。

以下、3月10日の勝頼の様子を記した史料です。
要約し抜粋します。

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「甲陽軍鑑」

3月10日、
鶴瀬の奥、民家が七、八軒ある田野という村を目指して出立。
家臣は逃げ出し、馬に鞍を置く者もいないので、侍大将の土屋惣蔵と秋山紀伊守が鞍を置き馬を引き出した。
亀の甲の槍は、阿部加賀守と勝頼守役の温井常陸守とでかついだ。

田野の勝頼の陣へ小宮山内膳が罷り越す。

「武田三代軍記」

3月10日朝、
鶴瀨から田野へ向かう。
下人1人もおらず、馬の鞍置く者なく、侍大将の土屋惣蔵と秋山紀伊守が鞍を置き馬を引き出した。
亀の甲の槍は、安部加賀守と温井常陸守とでかついだ。

田野の勝頼の陣へ小宮山内膳が罷り越す。

「三河後風土記」

3月10日、
天目山に向け出立。
下人おらず、土屋惣蔵昌恒と秋山紀伊守光次が馬の口を取る。
安部加賀と温井常陸とで槍をかついだ。

鶴瀬より笛吹川に沿い北に向かい、天目山の麓、田野郷に陣取る。
甘利甚五郎、大熊新右衛門を偵察にだし、籠るべき場所を探させた。

田野の勝頼の陣へ小宮山内膳信友が罷り越す。

…以上が3月10日の武田勝頼の動向です。
遂に勝頼、田野の地へ到着です。
いよいよ、クライマックスですね。

勝頼の陣に罷り越した小宮山内膳信友とははてなマーク
この人物、泣かせるほどの忠義者です。
次回、小宮山内膳信友について詳しく紹介 しますね。


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