「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」
お城めぐりの旅、岩殿城の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」の史跡めぐりの旅
ともリンクしていますので、よろしくお願いします。
城名(別名) | 住所 | 関連する人物 |
---|---|---|
岩殿城 | 山梨県大月市賑岡町 | 小山田信茂、武田勝頼 |
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岩殿城は武田家家臣・小山田氏の城です。
駐車場があります。
駐車場があります。
武蔵・相模に備えた堅城・岩殿城
岩殿城は峻嶮な岩殿山に築かれた山城です。
現地の案内板によりますと、
9世紀末、岩殿山に天台宗の円通寺が創建。
10世紀初めには三重塔、観音堂、僧房などの建物が並び門前町として栄える。
13世紀に入ると、天台系聖護院末の修験道の場として栄え、その支配は甲斐の山梨、八代東部、駿河の富士付近まで及ぶ。
16世紀に入り、武田、小山田氏の支配を受け、岩殿城として武蔵・相模に備える軍事拠点とされた。
1582年、武田氏が滅ぶと徳川氏の城となる。
17世紀はじめに廃城。
…となっています。
武田勝頼、岩殿城を目指す
高遠城陥落の報を受け、新府城では即座に軍議が開かれます。
軍議は迅速にまとまり、勝頼は新府城を焼き払い、小山田信茂が推す岩殿城を目指すこととなりました。
高遠落城後~岩殿城を目指すまでの武田勝頼の動向について、詳しくはこちら 。
※勝頼が岩殿城を選んだ経緯は「武田三代軍記」、「甲陽軍鑑」、「甲乱記」などに記されていますが、ここでは省略します。
詳しくは上記の「武田勝頼の動向について」をクリックください。
勝頼はこの堅城・岩殿城を目指すことになりましたが…。
その先はまたの機会に。
…さて、岩殿城の登城レポです。
縄張図。縄張図は山頂にあります。
岩殿山遠望。なかなか登る気が失せる風景ですよね
城への入口。
岩殿山ふれあいの館。城の登り始めにあります。
城門跡。自然石が行く手を阻みます。
城門の巨石には加工跡が見られます。
番所跡。
岩殿山山頂。上画像縄張図の現在地と書かれた位置です。
山頂からは夕方にもかかわらず運よく富士山が見えました。富士山を見るなら午前中がいいらしいです。
眼下を見下ろす。岩殿城が峻嶮な城であることが分かります。
馬洗い池と亀ヶ池(飲用)。
本丸跡。
空堀。
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