「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」 、武将な寺社街道史跡めぐりの旅、
燃える新府城を振り返り勝頼夫人が涙したという場所、回看塚の紹介です。
武田勝頼vs織田信長、「信長怒涛の甲州征伐~勝頼滅びへの道~天目山の戦い」
ともリンクしていますのでよろしくお願いします。
史跡名 | ゆかりの武将 | 住所 |
---|---|---|
回看塚(みかえりづか) | 武田勝頼、勝頼夫人 | 山梨県甲斐市宇津谷 |
誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(_ _ )m
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回看塚は涙の森のほど近くにあります。
駐車場はありません。
![くるまr](https://emoji.ameba.jp/img/user/na/namida-egao/88449.gif)
前回のブログ記事の涙の森 とさほど離れていませんが、こちらは甲斐市になります。
涙の森からは650Mほどです。
案内版によると、勝頼夫人は、塩川を越え、この地を通りかかった時に後ろを振り返り、煙のあがる新府城 を眺め、涙を流しながら歌を詠んだといいます。
位置的に見て塩川を越えたのは涙の森到達よりも前の事になりますので、
塩川を渡り涙の森で燃える新府城を見て涙し
回看塚で後ろを振り返り煙の上がる新府城を見て再び涙した。
ということになります。
涙の森から650Mほど進んだ所でまた立ち止まり、後ろを振り返って涙したんですね(T_T)
案内板によると、この回看塚で勝頼夫人は悲しみ以下の歌を詠んでいます。
「春がすみたちいづれどもいくたびかあとをかへして三日月の空」
…「三日月の空」ですから、この地で読んだ歌ではなく、新府城を夜明けに出立したころに読んだような気もするんですんけどね。
それともまだこの地で三日月が見えたんでしょうかね。
ちなみに夜はもっと先の柏尾(勝沼)に逗留してますので、夜の三日月の可能性はないです。
この歌が記された「三河後風土記」にはいつ読んだという記載がないので何とも言えませんが…。
回看塚全景。金網の中です(T_T)
案内板。
石碑。大正12年に建立されました。
回看塚より新府城方面を眺める。新府城は右端あたりです。
この風景を勝頼夫人が眺めた時は右端より煙があがっていたのでしょうね。
この風景を勝頼夫人が眺めた時は右端より煙があがっていたのでしょうね。
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