光のマントラについて | 猫は地上の天使です

猫は地上の天使です

スピスピです★カルトお断り★因果応報★
酷いパクりをこっそり赤ペン★鏡を置きます★

自分自身を助けて、その延長線上で周囲の人も、

助けられる人になる様なヒントとして、

テレパシーについて

直感について

神社や寺院、聖地について

という記事を書きました。

 

霊的な情報というのは、

丹田で受け取る感覚的なもので、

思考であれこれ考えると、

上手に受け取れなくなるものです。

霊的な感覚を大事にして、直感や閃きに従って、

内なる声を聴きながら選択する様になると、

偶然の一致なども増えてきます。

 

例えばある霊的なエネルギーについて、

”××町(住んでいる地域)” ”とある霊的エネルギー”

という内容で検索したことがあるのだけど、

「〇〇(私の本名)××町のとある霊的エネルギーが乱れている」

という一文が一番上の検索結果に表示されたことがあります。

名前は検索キーになっていないのにも関わらず、

私の本名と自分が住んでいる地域が一緒になって検索出来た、

そんな偶然があるのでしょうか。

吃驚しました。

その一文は見知らぬ人のツイートで、

よく調べてみると自分が住んでいる地域に下宿している大学生で、

ツイッター上で友達とゲームについての会話をしていました。

ゲームの台詞か何かをふざけて自分の住んでいる地域に置き換えたのかな?

私の本名はその人のアカウント名だったんだよね。

私には関係のない全然知らない人の会話なんだけど、

その一文を読んだ時にとある霊的なエネルギーと、

自分が住んでいる地域がどのように関わっているのか、

思い付く限り調べて、関連しそうな神社、寺院を回りました。

その中には、ある名称で呼ばれている建物が含まれていて、

行く度に目にするので、

今度はその建物について調べてみました。

自分が住んでいる周辺の地域に多くあり、

行ける範囲で参拝することにしたんだけど、

最初に行なった時に、印刷した地図を見ながら歩いていると、

目の前にニコニコしたお婆さんが現れて、

頼んでもいないのに、「どこへ行くの?」と聞いてきて、

その建物のある場所を伝えると、案内してくれたのです。

私はその時これはとても重要なポイントにある建物で、

参拝して回る必要がある、

あー逃げられないやつだと思いました。

分かりますかね?

あるエネルギーとかある建物とか、

それ自体もかなりぼかして曖昧にわざと書いています。

なので分かりにくいと思うのですが、

こんな偶然ある訳ないでしょうということが、

度々起こってくるのです。

その建物の名称もある場所も、めっちゃ怖いです。

名称は暗号なんでしょうね。

マニア以外に積極的にそこを訪れる人はいないと思います。

重要な聖地である暗号なんですね。

これは詳しく書けません。

 

私がお伝えしたいのは、

霊的な情報を受け取ってそれが本当に、

現実的にどういう意味があるのかを、

一つ一つ検証確認して欲しいなということです。

単なる妄想なのか、真実なのか、見極めて下さい。

テレパシーにしても、

動物や虫たちが何故か現れて不可思議な行動を取る、

という様に現実的に目に見える形で、

他の人とも共有できる事実として起きてきます。

それを確認して欲しいのです。

洗濯機を開けたらカミキリムシ(天牛)が入っていたとか、

車にカエルが入っていたとか、

家の前をフクロウが飛んで行ったとか。

そういう話をこのブログでも書いていますけど、

書き切れないほど沢山そういったことがあるのです。

ちなみに天牛という文字を見ると何を連想しますか?

私は牛頭天王=素盞嗚尊様ですね。

天の牛ですから。

 

例えば分かれ道でカラスが鳴いている、

直感でこっちだと思う方に進んでみて、

そこで何が起きるのか?

私の場合は古い祠とかお地蔵さんがずらっと並んでいる、

薄暗い道に導かれるとかよくあります。

(怖いよね)

まさかなと思って進むと本当にあったまじかとなるのです。

祠でもお地蔵さんでも一つ一つ観音経を唱えて行きます。

これは本当にネガティブなエネルギーを転写した場所、

昔、悪霊や得体の知れない何かを祀っていた場所、

といった感じの心霊スポットになっている様な場合もあり、

恐怖心を克服していないと行なえないことだと思います。

なので準備が出来た人しか呼ばれないので、

興味本位で探し回って参拝しようとかは思わないで下さいね。

ネガティブなエネルギーに同調してしまうと、

取り憑かれた様になってしまったり、

あちこちに怨霊結界を張ってありますので、

掛かってしまうことがあります。

 

以前参拝した古い小さな神社では、

拝殿からふと本殿を覗くと、

天井から無数の蛇がぶらさがっているイメージが湧きました。

ぎょっとしてしまったのだけど、

だから参拝する必要があるのだなとすぐ気持ちを切り替えて、

観音経を唱えました。

こういった時は合図があるまで唱え続けます。

私は霊感がないので詳しくは分からないのだけど、

物質的な領域での役割を肉体を持つ私が行ない、

霊的な領域での役割をガイド達が行なうという、

共同作業になります。

 

神社や寺院、聖地などは、

目には見えないエネルギー網の交差点上にあり、

光のエネルギーが降ろされていると書きましたが、

龍脈とか断層なんかにも関係しているんだよね。

私は地図を見たり地理的なことを考えるのが苦手なので、

詳しくは分からないし説明も出来ませんが、
そういうアプローチでも霊的な関係が見えて来ると思います。
 

これも行間を読んで頂きたいのですが、

呼ばれた様に感じた神社をいくつか参拝して、

繋げてみると、

龍脈に沿っていたとかね、

なんちゃらプレートの境目とかね、

そういう偶然の一致が起こります。

なんの知識もないのにこんな偶然ある?

という感じで、深堀りすると流石に、

責任が重く感じたり、怖く感じたりするので、

こういう場合はただ自分の出来ることに集中して、

思考は脇に置きます。

その時、その時は興味や好奇心の方が勝って、

行ってみたい、実際に見てみたいという気持ちで、

参拝しに行くんだけど、

後から振り返ると、

何らかの導きがあったんだな、

何かをやらされているというか…。

そういったことが起きますが、

これは私が住んでいる周辺の地域だけに行なっているので、

あなたはあなたの住んでいる地域で行なって欲しいんですよね。

あと歩き回っていると、あーこれが霊道かとか、

エネルギースポットみたいなのとか分かってきます。

その都度、サイン、合図もありますし、

経験しながら理解していくものになりますので、

こちらで書いているもの、

ご紹介した記事というのはあくまでもヒントになります。

感覚であーこっちかなと分かるようになったり。
現実的に全部確認出来ますので、
それを積み重ねていきます。
 
この記事では聖地を参拝する際に、

唱えて欲しいマントラをご紹介します。

 

私は夢で、宇宙から自分へ降りて来るエネルギーを、

右回り(時計周り)の螺旋状で体内に入って来るイメージをしながら、

マントラを唱える様にと伝えられました。

頭頂から入ってきて、体内を巡って、

出て行くイメージがありますね。

 

とにかくマントラ!マントラ!とその当時、

10年以上前ですが言われたんですね。

それでこちらもある方のブログ記事を印刷して、

書き写して覚えて唱えるようにしました。

 

マントラを唱えることで周波数転換を行なえます。
 
光のマントラ その1 『延命十句観音経』

闇からの攻撃から自分自身の身を守るために、
もしくは、自分自身の心の内をよく反省し、
自らの心と魂に光を当て、これを浄化し、
自分自身と、その周囲にも光を放ち清めるように、
光のマントラを唱えることは、
外界からの救世主をあてにするのではなく、
自分自身が即、救世主になるという
宇宙への高らかな宣言です。

つまり、あなた自身が、
“あなたが長らく待ち望んでいた救世主であった”
という気づきへの意図です。

今日から取り上げる幾つかの“光のマントラ”の中で、
どれを選んで唱えるか、もしくは、それ以外のマントラであっても、
あなたの直観的に、シックリと来るものをお選びになり、
心ゆくまで唱え続けられると宜しいのではないでしょうか。

『延命十句観音経』は、
42文字からなる観音経です。

これを、天使界からの解釈を含めて、
天使たちとともに翻訳させて頂きます。


観世音 南無仏 (かんぜおん なむぶつ)
与仏有因 与仏有縁 (よぶつういん よぶつうえん)
仏法相縁 常楽我浄 (ぶっぽうそうえん じょうらくがじょう)
朝念観世音 暮念観世音 (ちょうねんかんぜおん ぼねんかんぜおん)
念念従心起 念念不離心 (ねんねんじゅうしんき ねんねんふりしん)


観世音菩薩を 光の道の拠りどころとして信じて従います

私たちは皆誰もが 天上界の諸々の住人たちと同じように
宇宙の法則の名のもとに 因果の法則によって お互いに繋がっております

天上界の住人たちとの縁を持ち 宇宙の法則を実践することにより
私たちは 心に平安と静寂を保ち 嬉々として微笑みながら
楽観のうちに 日常を生活してゆけます

朝に観世音菩薩と念じて 夜に観世音菩薩と念じます

これは 天上界の住人たちと同様な 
善なる思考をもとにした 内なる心から起こるものであり
このような念が 心から離れることは決してありません
 
光のマントラ その2 『光明真言』

密教に伝わる、23文字 + 休止符からなる
梵字による、大日如来さんのマントラです。

空海さんは金星からやって来たマスターでした。

インドから伝来した密教を、
中国(唐)の恵果和尚から伝授された空海さんは、
あるとき、恵果和尚にこのように尋ねたことがあったそうです。

「大日如来とは、何処に、
どのようにして、存在しているのですか?」

すると、恵果和尚は、

「ここにも、あそこにも、
大なるものの中にも、小なるものの中にも、
宇宙のあらゆるすべての中に、
いらっしゃるお方なのです」

と答えたそうです。


これを、天使界からの解釈を含めて、
天使たちとともに翻訳させて頂きます。


おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら
まに はんどま じんばら はらばりたや うん


このそれぞれの直訳は、

あぼきゃ = 不空なるものよ
べいろしゃのう = 毘盧遮那仏よ
まかぼだら = 大印あるものよ
まに = 摩尼宝珠
はんどま = 蓮華
じんばら = 光明
はらばりたや = 放ちたまえ

となるそうです。

法華経では、内なる神を
蓮華の蓮の実に例えたといいます。


オーン(宇宙の根源を表す聖音)

宇宙の法則の名のもとに 善なる思考において
いかなることも成就させ 実践する存在よ

智慧と叡智と慈悲と光明とを あまねく照らし出す存在よ

宇宙のすべての多次元領域に行き渡り
宇宙の根源からの光を照らす道標となる存在よ

この世界の真・善・美をよく知り
蓮華が泥中においても綺麗で清浄な花を咲かせるように
現実社会においての争いや嫉妬 怒りや傲慢 強欲に支配されることなく
綺麗で清浄な花を咲かせるような生き方を心掛けます

私たちは生まれながらにして この肉体の身体の内に
神性が宿っていることを いつでも想い出し それを意識します

智慧と叡智と慈悲と光明とをお放ちくださり
この身からも放たれるように照らしてください

フーン(休止符)
 
光のマントラ その3 『弁財天真言』

前回の空海さんの質問に答えた恵果和尚の言葉は、
大日如来さんのようなマスター、もしくは、
それを超える高次元領域の存在は、
宇宙の多次元領域において、どの領域にも、
過去・現在・未来においても、
同時に存在することが出来るということを意味しています。


弁財天 = サラスヴァティ で、水の神さまです。

古今東西、西洋の神も、東洋の神も、
キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、
などで知られる神々も、文化や言語の違いにより
名前を変えただけの同一神であることが多々あります。

どうでもいい余談話ですが、
東京都武蔵野市にある吉祥寺駅から近くに
井の頭公園という大きな公園がありまして、
ここの井の頭池で、男女のカップルがボートを漕いだりして
デートをすると、ゆくゆく別れるという都市伝説があります(笑)

その都市伝説の由来はというと、
池のほとりに祀られている弁財天さんが
嫉妬をするからだといいます。

神さまとは、そのように、心の狭いお方でしょうか。

一昨日の1日の明け方に、ここの弁財天さんに、
どうしても、何があっても来てくださいと呼ばれまして、
居ても立ってもいられなくなり、そそくさと参拝に出掛けました。

それはそれは、あでやかで、優雅な佇まいの弁財天さんが
お出迎えしてくださいました。

何故、何の根拠があってそのようなことを云うのかしら?
人間って、もう、勝手なんだから… と、
弁財天さんが笑いながら、お伝えくださいました。

『弁財天真言』は、主に、学問と芸術分野において
光明を差し込めるためのマントラだと云えるでしょう。

これを、天使界からの解釈を含めて、
天使たちとともに翻訳させて頂きます。


おん そらそばてい えい そわか

Om sarasvatyai svaha


オーン(宇宙の根源を表す聖音)

智慧と叡智と学問と 
文芸 音楽 芸術を司る至高の女神よ

この身を満たして流れるように

満ち溢れる光と祝福あれ
 
光のマントラ その4 『不動明王真言』

マントラというものについて、
空海さんの言葉を借りて云うならば、

「真言とは摩訶不思議なものであり、
それを唱え続けることにより、
“悩み”や“迷い”を即座にして取り除くものであります。
一字に千の真理を含んでおりますので、
心を込めて真言を唱えるのならば、
あなたの身に、直ちにして奇跡が起こるでありましょう」

といいます。

そもそも、真言とは、分かりやすく
訳してはいけないものだと云われています。

それは、ある一定の周波数領域に達した者に密かに教える
ですので、秘密の教え = 密教 と云われます。

『エメラルド・タブレット』のような古文書が、
これもまた、ある一定の周波数領域に達しないと
暗号を読み取れないのと同様なことが云えます。

そういった意味で、今週取り上げたような記事を
ブログで更新することは命懸けです。

あと幾つかご紹介させて頂くかもしれませんが、
大変に恐縮でありながら、
このような機会を与えて頂きまして、
どうもありがとうございます。

もう、すべてが感謝でしかないです。

そんな、幾つかご紹介したマントラの中でも、
最強のマントラとして知られているのが、
この『不動明王真言』だと云われています。

不動明王さんは、大日如来さんの姿を変えた化身ですが、

仏教 = キリスト教 = ヒンドゥー教 

のそれぞれに当てはめますと、

不動明王 = 大天使ミカエル = インドラ

と同一存在ということになるでしょうか。


不動明王さんは、実の姿は、涙を流しています。

悪霊や低級霊など闇の存在に加担する者に対して、
うぬらは、私に、このような姿をさせてまでしても、
分からぬのかと、涙を流しながら、あえて、
暴悪者のように、大憤怒者のように、
怒り狂った形相をしてまで煩悩を断ち切り、
悪霊を打ち砕き続けているのです。

その激しい怒りの最中で、慈悲の涙を流されている、
何とも辛いお仕事を任されているのだということを知ったとしたら、
不動明王さんに対する観方も、変わってくるのではないでしょうか。

これを、天使界からの解釈を含めて、
天使たちとともに翻訳させて頂きます。


のーまく さんまんだー ばーざらだん せんだー
まーかろしゃーだー そわたや うんたらたー かんまん

Namah samanta-vajranam, canda-maharosana
sphotaya hum trat ham mam


このそれぞれの直訳は、

のーまく = 帰依する
さんまんだー = あまねく
ばーざらだん = 諸々の金剛尊
せんだー = 暴悪者よ
まーかろしゃーだー = 大憤怒者よ
そわたや = 砕破せよ
うんたらたー = 憤怒の聖語
かんまん = 不動尊の種子(菩薩の象徴)

となるそうです。


あまねく諸々の金剛尊を信じて従います

あらゆる悪霊を取り除くために
激烈 激昂たる大憤怒の形相をもって現したる不動明王よ

あらゆる煩悩と悪霊と障害と妨害とを打ち砕いてください

ハーン マーン (不動明王を菩薩の象徴として表す)
 
光のマントラ その5 『観音経 普門品 [第二十五]』

地球のアセンションとともに、
地球人類が、アセンションを達成させるためには、
私たち一人ひとりが、観音と一体化して、
“観音そのもの”になるということが必須です。

また、そのようでなければ、
アセンションを果たすことは困難です。

観音経(かんのんぎょう)の、
普門品(ふもんぼん)・第二十五章は、
最もポピュラーで、よく知られている部分でしょう。

ここには、いつ如何なるときにおいても、
リラックス状態にあることの大切さが書かれています。

私たち一人ひとりが、
高い意識と周波数を保持し続けるためには、
安らかなリラックス状態にあることが必須です。

この中で、繰り返し述べられています、
「念彼観音力」(ねんぴー かんのんりき)
という神聖なる言霊が、清廉清浄で、
純粋素直な真心と想いから発せられるとき、
私たちは、高次元領域における
意識と周波数に合わさります。

もしくは、高次元領域に住んでいる、
善なるスピリチュアル・ガイドたちと繋がり、
それはまさに、光のSOS信号を送信するかのように、
天上界、または、地球内部の彼ら彼女らに、
支援と救助を要請することになります。

その、光のネットワークを通じて、
私たちは、それこそ、説明不可能な
摩訶不思議な方法と手段とによって、
あるときは、身近な人から、またあるときは、
初めて知り合い、出会った人などから、
偶然を装うかのように、光の支援と援助とを、
受け取ることになります。

また、この章のタイトルであります普門とは、
あらゆるすべての場所が仏と出会う門であり、
仏の領域、世界に入る門であるということです。

いまは、あらゆる場所において、
天の岩戸が開かれているのですから、
そのあらゆる場所で観音と出会い、遭遇することで、
観音と共鳴、観応するという
シンクロニシティ体験が起きることは、
かなり高い確率であると云えます。

この観音経・普門品・第二十五章を、
天使界の住人たちとともに、
原文の後に、宇宙の法則をもとに解釈をし、
翻訳をさせて頂きたいと想います。


宇宙の波に乗り遅れるな、Kagariを踏み台にして、
新しい地球へと向かう、銀河の門をくぐってゆけ!



妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 [第二十五]

これは、人智を超越した仏の真なる教えであり、
すべての人々が、生きていること即、
悟りの境地にあるのだということを
蓮の華にたとえた、釈迦の言葉であります。

その中で、観世音菩薩は、過去現在未来を問わず、
いま・この瞬間において、いつも、あらゆる場所とあらゆる人々に、
シンクロニシティ(共鳴、共時性)体験を促すように
現れるのであるということを述べたところの、
『法華経』の中の第二十五番目の章であります。


爾時無尽意菩薩 即従座起 偏袒右肩 合掌向仏 而作是言

そのとき、完全無比で、完全無欠なる
菩薩への道を極めようとする求道者は、
敬意を表すかのように、右肩を出し合掌して、
仏陀に面と向かいまして、申し上げました。


世尊 観世音菩薩以何因縁 名観世音 

尊きお方よ、観世音菩薩とは、どのような意味において、
観世音と名づけられているのですか。


仏告無尽意菩薩 善男子 若有無量百千万億衆生 
受諸苦悩 聞是観世音菩薩 一心称名 観世音菩薩 
即時観其音声 皆得解脱 

仏陀は、無尽意菩薩に対して告げられました。

善き者よ、もし百千万億人という多くの人々がいて、
諸々の苦悩の中に身を置いていたとしても、
この観世音菩薩の声を聞き、純粋素直な心で、
その呼ばれた声に耳を傾け、その御名を唱えるのであれば、
観世音菩薩は、瞬時にして、あなたの純粋素直な声に
シンクロニシティを起こし、必ずや、
あなたの苦悩や執着心、不安や恐怖といった
ネガティヴなメビウスの輪から、解き放ってくださります。


若有持是観世音菩薩名者 設入大火 火不能焼 
由是菩薩威神力故 若為大水所漂 称其名号 即得浅処

もし、この観世音菩薩の御名を唱えて、
純粋素直な心持ちと安らかなリラックス状態とを
保持し続けるように心掛けるのであれば、
たとえ、世界を焼き尽くすような大火炎に覆われることがあっても、
火災の不安や恐怖に惑わされることは全くないでしょう。

また、大洪水や大津波などに流されることがあっても、
この観音菩薩の御名を唱えるのであれば、落ち着きを取り戻し、
安らかなリラックスの中にいる、あなたの周波数が、
高次元のスピリチュアル・ガイドたちとシンクロニシティを起こし、
水害の及ばない浅い場所まで、あなたを運んでゆくでしょう。


若有百千万億衆生 為求金 銀 瑠璃 
しゃ(いしへんに車)こ(いしへんに渠) 瑪瑙 珊瑚 琥珀 
真珠等宝 入於大海 仮使黒風吹其船舫 飄堕羅刹鬼国
其中若有乃至一人称観世音菩薩名者 是諸人等 
皆得解脱羅刹之難 以是因縁 名観世音 

もし、ここに百千万億人もの人々がいて、
金、銀、瑠璃、シャコ貝、瑪瑙(メノウ)、珊瑚、琥珀、真珠
などの宝を求めて、異国へ向けて大海に入ったとき、
たとえ、船が暴風に吹き煽られ、
悪魔のいる魔界の国に漂着したとしても、
その中で、もし一人でも、観世音菩薩の御名を
唱える者がいるのならば、その他に乗船している多くの人々は、
我を取り戻し、平常心に返ることで、人々の周波数が、
高次元のスピリチュアル・ガイドたちとシンクロニシティを起こし、
不安や恐怖から解き放たれ、魔界の国の災難苦難から
逃れる術や、方法手段を見出すでしょう。

そのような意味において、観世音と名づけているのです。


若復有人 臨当被害 称観世音菩薩名者
彼所執刀杖 尋段段壊 而得解脱 

もし、いま・この瞬間に、殺害や被害に合いそうなとき、
観世音菩薩の御名を唱えることが出来たならば、
加害者や犯人が持つ武器や、凶暴凶悪で、悪魔のような想念は、
途端に、壊れ崩れはじめて、あなたは、間一髪、
危機一髪な状況から、解き放たれるでしょう。


若三千大千国土満中 夜叉羅刹 欲来悩人 
聞其称観世音菩薩名者 是諸悪鬼
尚不能以悪眼視之 況復加害 設復有人 

また、この3次元物質世界の、
何千億兆倍以上の規模の広さの
宇宙の多次元領域の世界では、悪霊や邪気邪霊、
悪魔的宇宙生命体も、たくさんいるわけですが、
あなたが、苦悩やネガティヴ思考に陥りますと、
その類のものたちが、不安や恐怖などのネガティヴを餌に、
あなたのもとにやって来てしまいます。

そのとき、あなたが、観世音菩薩の御名を唱える声を、
その類のものたちが耳にすると、あなたの周波数が、
高次元のスピリチュアル・ガイドたちとシンクロニシティを起こし、
それらの類たちとの意識と周波数が異なってしまうことから、
あなたに対して、憎悪の怨念を向けることが出来なくなり、
危害や被害、妨害などを加えることが出来なくなります。


若有罪 若無罪 ちゅう(きへんに丑)械枷鎖 検繁其身 
称観世音菩薩名者 皆悉断壊即得解脱

また、有罪者や、無罪でありながら冤罪を被っている者が、
たとえ、手かせ足かせ、首かせなどの鎖で
がんじがらめになっていたとしても、
観世音菩薩の御名を唱えることが出来るのならば、
あなたの周波数が、高次元のスピリチュアル・ガイドたちと
シンクロニシティを起こし、それらの鎖は、
ことごとく断ち切られて崩壊してゆき、
有罪者は罪が軽くなるように取り図られ、冤罪を受けている者は、
疑惑を退ける解決策を見出すでしょう。


若三千大千国土満中怨賊 有一商主
将諸商人 齎持重宝 経過険路 其中一人 作是唱言

また、宇宙の多次元領域の世界の中で、
怨念や悪想念、盗賊、強盗などが
あなたの周囲にひしめいていて、
一人の商人が、その他多くの商人たちと共に、
貴重な宝を持ち運びながら、険しい旅路を辿っていたとき、
その中の一人が、次のことを唱えるようにと言いました。


諸善男子 勿得恐怖 汝等応当一心称観世音菩薩名号 
是菩薩 能以無畏 施於衆生 汝等若称名者 
於此怨賊 当得解脱

諸々の善き者たちよ、怖れることなど何もありません。
あなたがたも、純粋素直な心で、観世音菩薩の御名を
唱えてみたら如何でしょうか。

この菩薩は、必ずや、
不安や恐怖心を無くさせるように、
あなたがたを導くでしょう。

あなたがたが、もし、その御名を唱えるのであれば、
あなたがたの周波数が、高次元のスピリチュアル・ガイドたちと
シンクロニシティを起こし、怨念や悪想念、盗賊、強盗
などから襲われるだろうと想われる心配、
不安や恐怖から、解き放たれます。


衆商人聞 倶発声言 南無観世音菩薩 称其名故 即得解脱

多くの商人たちは、これを聞き、互いに声を発して、
「南無観世音菩薩」と唱えるでしょう。

そのように、御名を唱えるが故に、
怨念や悪想念、盗賊、強盗などの
不安や恐怖から、即座にして、解き放たれるのです。


無尽意 観世音菩薩摩訶薩 威神之力 巍巍如是

無尽意菩薩よ、偉大なる観世音菩薩というお方の、
数多の神々も畏怖するという、
偉大なる摩訶不思議な宇宙の法則は、
完全無欠で、完全無比な、完璧たる宇宙根源の所業であります。


若有衆生 多於淫欲 常念恭敬観世音菩薩 便得離欲 

もし、世間一般の人々の中で、性欲、淫欲、
物欲などが強過ぎて依存症を起こし、苦悩のうちにあるのならば、
日常生活の中で、いつも、観世音菩薩を心に思い浮かべて、
敬意を持ってお慕いしていることで、いつの間にか、
それらの欲から、想いが離れてゆくことが可能になります。


若多瞋恚 常念恭敬観世音菩薩 便得離瞋

もし、腹立ち、煮えくり返り、怒りや憤怒が強過ぎるのならば、
日々、常にいつも、観世音菩薩を心に思い描き、
敬意を持ってお慕いしていることで、いつの間にか、
それらの怒りから離れてしまうことが可能になります。


若多愚痴 常念恭敬観世音菩薩 便得離痴

もし、愚痴や、悪口、陰口、悪い噂話が多過ぎるというのならば、
常日頃から、いつも、観世音菩薩を心に思い出し、
敬意を持ってお慕いしていることで、いつの間にか、
それらの愚痴から離れてしまうことが可能になります。


無尽意 観世音菩薩 有如是等大威神力 
多所饒益 是故衆生 常応心念 

無尽意菩薩よ、観世音菩薩は、これらのように、
諸々の神々たちも畏怖するという
偉大なる宇宙根源の魔法のような法則により、
あらゆる多くの場所にご利益をもたらすのです。

ですから、世間一般の多くの人々は、いつも、常に、
心に、観世音菩薩を思い浮かべていることが大切であります。


若有女人 設欲求男 礼拝供養観世音菩薩
便生端正有相之女 宿植徳本 衆人愛敬

もし、ある女性が、男の子を授かりたいと願い、
観世音菩薩を礼拝して供養するのであれば、
それは叶えられることでしょう。

もしくは、女の子を授かりたいということであれば、
自らが蒔いた種を刈り取るという霊的真理の如くに、
容姿端麗で、顔の相が善い、世間一般の多くの人々からも
敬愛される子が生まれることでしょう。


無尽意 観世音菩薩 有如是力 若有衆生 
恭敬礼拝観世音菩薩 福不唐捐

無尽意菩薩よ、観世音菩薩には、これらのような、
摩訶不思議な魔法がありますから、
もし世間一般の多くの人々が、
観世音菩薩を心に想い抱き、
敬意を込めて礼拝をするのであれば、
あなたに、必ずや、福徳と祝福とがもたらされるでしょう。


是故衆生 皆応受持観世音菩薩名号

これらのようなことがあるのですから、
私たちは皆、観世音菩薩の御名を、
心に刻み、強く揺るぎなく保持し続けることが肝要です。


無尽意 若有人 受持六十二億恒河沙菩薩名字 復尽形供養飲食 
衣服 臥具 医薬 於汝意云何 是善男子 善女人 功徳多不

無尽意菩薩よ、もしある人が、62億恒河沙という砂粒の数ほど、
菩薩の御名を唱えて、もしくは、命懸けで、
飲食物、衣服、寝具、医薬品などすべてを、
菩薩のお方に、供養として捧げたとしたならば、
あなたは、どのように想われるでしょうか。

このような善き男性、もしくは、善き女性は、
果たして、多くの福徳や祝福をもたらされるでしょうか。

(恒河沙 [こうがさ] → 数の単位で、一恒河沙=10の96乗)


無尽意言 甚多 世尊 仏言

無尽意菩薩は、尊きお方よ、それは甚だ多いことでしょう
と申し上げました。それに対して、仏陀は申し上げました。


若復有人 受持観世音菩薩名号 乃至一時礼拝供養 
是二人福 正等無異 於百千万億劫 不可窮尽

もしまた、ある人が、観世音菩薩の御名だけを、
純粋素直な心で唱えていて、もしくは、
ただ一時だけ、礼拝と供養とをしたとしても、
このそれぞれ二人の福徳と祝福とは、
あらゆるネガティヴから解き放たれ、安らかな
リラックス状態の、高い周波数に置かれているが故に、
平等に等しく、異なる違いはないのです。

その福徳と祝福とは、未来永劫、
永遠に尽き果てることは全くないでしょう。


無尽意 受持観世音菩薩名号 得如是無量無辺 福徳之利

無尽意菩薩よ、観世音菩薩の御名を心に深く保持し続けて、
敬意の念を持って想い抱き続けるのであれば、このように、
計り知れないほどの、福徳と祝福とが、もたらされるのです。


無尽意菩薩 白仏言 世尊 観世音菩薩 云何遊此娑婆世界 
云何而衆生説法 方便之力 其事云何

無尽意菩薩は、仏陀に対して申し上げました。

尊いお方よ、観世音菩薩は、如何にして、
私たちの3次元物質界を自由自在に歩き回っているのでしょうか。
また、如何にして、世間一般の多くの人々に
教えを説いているのでしょうか。
それらは、どのような方法、手段を用いているのでしょうか。


仏告無尽意菩薩 善男子 若有国土衆生 
応以仏身得度者 観世音菩薩 即現仏身 而為説法

仏陀は、無尽意菩薩に告げられました。

善き者よ、世間一般の人々は、その人に合った、
その人に相応しい世界に住んでいます。

ある人が、仏陀の姿に、ご縁を観じているのであれば、
観世音菩薩は、あなたの前で、仏陀の姿を現して、
語り掛けて来るのです。


応以辟支仏身得度者 即現辟支仏身 而為説法

また、アセンデッド・マスターたちの姿に、
ご縁を観じているのであれば、観世音菩薩は、
あなたの前で、アセンデッド・マスターたちの姿を現して、
伝え掛けて来るのです。

(イエス・キリストのようなキリスト“サナンダ”意識の姿に、
ご縁を観じているのであれば、観世音菩薩は、あなたの前で、
イエス・キリストの姿を現して、伝え掛けて来るのです。)


応以声聞身得度者 即現声聞身 而為説法

また、仏陀の弟子たちの姿に、ご縁を観じているのであれば、
観世音菩薩は、あなたの前で、仏陀の弟子たちの姿を現して、
呼び掛けて来るのです。


応以梵王身得度者 即現梵王身 而為説法

また、ヒンドゥー神であるブラフマー神の姿に、
ご縁を観じているのであれば、観世音菩薩は、
あなたの前で、ブラフマー神の姿に変化して、
語り掛けて来るのです。


応以帝釈身得度者 即現帝釈身 而為説法

また、ヒンドゥー神であるインドラ神の姿に、
ご縁を観じているのであれば、観世音菩薩は、
あなたの前で、インドラ神の姿に変化して、
伝え掛けて来るのです。


応以自在天身得度者 即現自在天身 而為説法

また、魔王の姿に、ご縁を観じているのであれば、
観世音菩薩は、あなたの前で、魔王の姿に変化して、
呼び掛けて来るのです。


応以大自在天身得度者 即現大自在天身 而為説法

また、ヒンドゥー神であるシヴァ神の姿に、
ご縁を観じているのであれば、観世音菩薩は、
あなたの前で、大シヴァ神の姿に変化して、
語り掛けて来るのです。


応以天大将軍身得度者 即現天大将軍身 而為説法

また、ヒンドゥー神である転輪聖王の姿に、
ご縁を観じているのであれば、観世音菩薩は、
あなたの前で、転輪聖王の姿に変化して、
伝え掛けて来るのです。


応以毘沙門身得度者 即現毘沙門身 而為説法

また、毘沙門天の姿に、ご縁を観じているのであれば、
観世音菩薩は、あなたの前で、毘沙門天の姿に変化して、
呼び掛けて来るのです。


応以小王身得度者 即現小王身 而為説法

また、私たちの3次元物質界に居る王のご縁で、
教えを説かれる境遇を持つのであれば、
観世音菩薩は、あなたの前で、王の姿を通して、
語り掛けて来るのです。


応以長者身得度者 即現長者身 而為説法

また、私たちの3次元物質界に居る
人格と品格を備えた成功者のご縁で、
教えを説かれる境遇を持つのであれば、
観世音菩薩は、あなたの前で、
人格と品格を備えた成功者の姿を通して、
伝え掛けて来るのです。


応以居士身得度者 即現居士身 而為説法

また、世間一般の人々と同じ日常生活の中で、
霊的真理と宇宙の法則をよく学んだ者のご縁で、
教えを説かれる境遇を持つのであれば、
観世音菩薩は、あなたの前で、
人格の優れた在家者の姿を通して、
呼び掛けて来るのです。


応以宰官身得度者 即現宰官身 而為説法

また、徳の優れた役人、要職者のご縁で、
教えを説かれる境遇を持つのであれば、
観世音菩薩は、あなたの前で、徳の優れた役人、
要職者の姿を通して、語り掛けて来るのです。


応以婆羅門身得度者 即現婆羅門身 而為説法

また、司祭者や神官、聖職者などのご縁で、
教えを説かれる境遇を持つのであれば、
観世音菩薩は、あなたの前で、司祭者や神官、
聖職者の姿を通して、伝え掛けて来るのです。


応以比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷身得度者 
即現比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷身 而為説法

また、男性の僧侶、女性の僧侶、
男性の信徒、女性の信徒などのご縁で、
教えを説かれる境遇を持つのであれば、
観世音菩薩は、あなたの前で、
僧侶や信徒の姿を通して、呼び掛けて来るのです。


応以長者 居士 宰官 婆羅門 婦女身 得度者 
即現婦女身 而為説法

また、人格と品格を備えた成功者としての女性、
人格の優れた在家者としての女性、
徳の優れた役人、要職者としての女性、
司祭者や神官、聖職者としての女性などのご縁で、
教えを説かれる境遇を持つのであれば、観世音菩薩は、
あなたの前で、それらの女性の姿を通して、
語り掛けて来るのです。


応以童男 童女身得度者 即現童男 童女身 而為説法

また、少年や少女のご縁で、
教えを説かれる境遇を持つのであれば、
観世音菩薩は、あなたの前で、
少年、少女の姿を通して、
伝え掛けて来るのです。


応以天 龍 夜叉 乾闥婆 阿修羅 迦楼羅 緊那羅 
摩ご(めへんに侯)羅伽 人非人等身得度者 即皆現之 而為説法

また、天上界の神々、龍神、精霊、
ヒンドゥー神で音楽の神であるガンダルヴァ、
闘争の神の阿修羅、ヒンドゥー神のガルダ、
もしくは、天狗、ヒンドゥー神で音楽の神である緊那羅、
ヒンドゥー神で音楽の神であるマゴラカなどの諸々の眷属神や、
人型ではない自然霊、精霊、天使や妖精などの姿に、
ご縁を観じているのであれば、観世音菩薩は、
あなたの前で、天上界の神々、自然霊精霊などの眷属神、
天使界の住人の姿に変化して、呼び掛けて来るのです。


応以執金剛神 得度者 即現執金剛神 而為説法

また、仁王の姿に、ご縁を観じているのであれば、
観世音菩薩は、あなたの前で、
仁王の姿に変化して、語り掛けて来るのです。


無尽意 是観世音菩薩 成就如是功徳
以種種形 遊諸国土 度脱衆生

無尽意菩薩よ、この観世音菩薩は、
このようにして、福徳と祝福とを成就させているわけです。

あらゆるものに姿かたちを変化させて、
あらゆる世界を歩き回って、
世間一般の多くの人々に、
救いの手を差し伸べています。

(これらのように、観世音菩薩は、
三十三の形に身を変化させます)


是故汝等 応当一心供養観世音菩薩 

ですから、あなたがたは、純粋素直な心掛けにより、
観世音菩薩を心に想い抱いて、供養することが肝要です。


是観世音菩薩摩訶薩 於怖畏急難之中 能施無畏 

この偉大なる観世音菩薩は、不安や恐怖心という、
緊急を要する苦難困難の最中においても、
必ずや、不安や恐怖を無くさせ、あなたがたを
安らかなリラックス状態にしてくださいます。


是故此娑婆世界 皆号之為施無畏者

このことが故に、私たちの3次元物質界では、
観世音菩薩というお方を、安らぎをもたらす者と
名づけているのです。


無尽意菩薩 白仏言 世尊 我今当供養観世音菩薩

無尽意菩薩は、仏陀に申し上げました。

尊きお方よ、私は、いま・この瞬間にも、
観世音菩薩を供養いたします。


即解頸衆宝珠瓔珞 価直百千両金 而以与之 作是言 
仁者 受此法施 珍宝瓔珞

そして、首に掛けていた高価で貴重な宝を差し出して、
次のように申し上げました。

素晴らしく優れたお方よ、この心底からの想いとして、
これを受け取って頂けないでしょうか。


時観世音菩薩 不肯受之 無尽意 復白観世音菩薩言

そのとき、観世音菩薩は、これを受け取ることを拒否しました。

無尽意菩薩はまた、観世音菩薩に申し上げました。


仁者 愍我等故 受此瓔珞

素晴らしく優れたお方よ、私たちのような、
智慧の及ばない者を不憫に想い、
この宝を受け取ってくださいませんか。


爾時仏告観世音菩薩 当愍此無尽意菩薩 及四衆 天龍 
夜叉 乾闥婆 阿修羅 迦楼羅 緊那羅 摩ご(めへんに侯)羅伽 
人非人等故 受是瓔珞

そのとき、仏陀は、観世音菩薩に告げられました。

それはまさに、この無尽意菩薩や、あらゆる信仰信者、
天上界の神々、龍神、精霊、ガンダルヴァ、阿修羅、ガルダ、
天狗、緊那羅、マゴラカなどの諸々の眷属神や、
人型ではない自然霊、精霊、天使界の住人たちを、
不憫に想うからこそ、この宝を受け取って頂きたいのです。


即時観世音菩薩 愍諸四衆 及於天 龍 人非人等
受其瓔珞 分作二分 一分奉釈迦牟尼仏 一分奉多宝仏塔

そのとき、即時にして、観世音菩薩は、
諸々の信仰信者、天上界の神々、眷属神、精霊たちを不憫に想い、
その宝を受け取り、二つに分け、一つは釈迦牟尼仏に捧げて、
もう一つは多宝仏塔に捧げました。

(人の姿を取って、人の言葉を語る釈迦牟尼仏、
釈迦牟尼仏の悟りの本体であります多宝仏塔、
宇宙の真理と法則を働かせる観世音菩薩をもって、
三位一体をあらわします)


無尽意 観世音菩薩 有如是自在神力 遊於娑婆世界
爾時無尽意菩薩 以偈問曰

無尽意菩薩よ、観世音菩薩は、このように、
自由自在に摩訶不思議な宇宙の法則を働かせて、
あなたがたの3次元物質界を歩き回っています。

そのとき、無尽意菩薩は、
詩によって、質問を繰り返しました。


世尊妙相具 我今重問彼 仏子何因縁 名為観世音

尊きお方よ、あなたは、
素晴らしくも素敵で美しいお姿をされています。
私はいま、度重ねて、彼の観音について、
ご質問をさせて頂きたく存じます。

仏の御子であります、観世音菩薩とは、
どのような由来により、観世音菩薩と、
名づけられたのでしょうか。


具足妙相尊 偈答無尽意 汝聴観音行
善応諸方所 弘誓深如海 歴劫不思議

見目麗しい姿を完成された尊きお方は、
詩によって、無尽意菩薩に答えられました。

あなたは、観音という働きを、最善なるもとに、
あらゆる場所において働いているのである
ということを聴いてください。

その偉大なる誓いは、海のように深くて、
どれほど永い年月を重ねたとしても、
あなたがたの3次元物質界の人の尺度では、
計り知れないものであります。


侍多千億仏 発大清浄願 

なぜかと申し上げますと、
千億という数多の仏のために働かれて、
私たち一人ひとりに、清廉清浄な魂の働きを
呼び起こさせるものであるからです。


我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦

わたしはあなたのために、簡単に説明いたしましょう。

観音という御名を耳で聞いて、その姿を目で見て、
心に想い抱いて、決して忘れることがないのであれば、
高次元領域に働きを及ぼすシンクロニシティ体験によって、
必ずや、あらゆるすべての苦悩は消え失せてしまうでしょう。


仮使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池 

たとえ、悪魔や悪霊による悪想念によって、
大火災の火孔に突き落とされたとしても、
彼の観音の力を念じるのであれば、あなたは、
高次元領域とシンクロニシティを呼び起こして、
火孔は、池のような安らいだ浅瀬に変わるでしょう。


或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没

あるいは、大海に漂流してしまい、
魔界の諸々の悪霊、邪気邪霊たちの
災難苦難に合ったとしても、
彼の観音の力を念じるのであれば、あなたは、
高次元領域とシンクロニシティを呼び起こして、
決して、荒波にのみ込まれてしまうことはないでしょう。


或在須弥峯 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住 

あるいは、3次元物質世界の中心であります、
日本列島の富士山の山頂から、
誰かに突き落とされるようなことがあったとしても、
彼の観音の力を念じるのであれば、あなたは、
高次元領域とシンクロニシティを呼び起こして、
虚空で、霊的太陽に包まれながら、
あなたを安住の場所へと運んでゆくでしょう。


或被悪人逐 堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛 

あるいは、悪人に害を被られて追い立てられ、
金剛のように、途轍もなく堅い岩盤の山から、
墜落してしまったとしても、
彼の観音の力を念じるのであれば、あなたは、
高次元領域とシンクロニシティを呼び起こして、
身も心も、毛一本でさえ、傷つかないように守られるでしょう。


或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心

あるいは、悪の盗賊などに追い囲まれ、
刀や銃で脅され、害を加えられそうになったとしても、
彼の観音の力を念じるのであれば、あなたは、
高次元領域とシンクロニシティを呼び起こして、
悪の賊たちは、即刻にして、不安や恐怖心を無くしてしまい、
慈悲のある心に突き動かされるでしょう。


或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊 

あるいは、政治的な困難苦難や冤罪に合ったとして、
いま、まさに、処罰され処刑を受けて、
生命の危機に瀕することがあろうとも、
彼の観音の力を念じるのであれば、あなたは、
高次元領域とシンクロニシティを呼び起こして、
いわれの無い罪の裁きは、ことごとく、
雲散霧消してしまうでしょう。


或囚禁枷鎖 手足被ちゅう(きへんに丑)械 念彼観音力 釈然得解脱 

あるいは、手かせ足かせ、
首かせなどの鎖でがんじがらめにされても、
彼の観音の力を念じるのであれば、あなたは、
高次元領域とシンクロニシティを呼び起こして、
憎悪の念が氷解するが如く、あなたを解き放ってゆくでしょう。


呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人

呪いや恨み、諸々の毒薬で、
生命に害を及ぼされそうになっている者は、
彼の観音の力を念じるのであれば、あなたは、
高次元領域とシンクロニシティを呼び起こして、
あらゆるすべての呪いや恨み、毒などは、
その発信者のもとに、著しく跳ね返ってゆくでしょう。


或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害 

あるいは、悪魔悪霊、諸々の邪気邪霊に遭遇したとしても、
彼の観音の力を念じるのであれば、あなたは、
高次元領域とシンクロニシティを呼び起こして、
異なる意識と周波数の領域に置かれるために、
あなたに対して、危害を加えることは全く不可能になるでしょう。


若悪獣囲繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無辺方 

もし、悪獣に囲まれてしまい、
その牙や爪に襲われそうになったとしても、
彼の観音の力を念じるのであれば、あなたは、
高次元領域とシンクロニシティを呼び起こして、
安らかなリラックス状態に置かれて、
不安や恐怖心のネガティヴな想念が消え去ることで、
悪獣たちは、あなたの元から、即座に、
遥か遠方に、逃げ遠ざかってしまうでしょう。


がん(むしへんに元)蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 
念彼観音力 尋声自回去

蜥蜴や蛇、蝮や蠍などの猛毒が、
煙火の燃えるが如く、あなたに迫ってきたとしても、
彼の観音の力を念じるのであれば、あなたは、
高次元領域とシンクロニシティを呼び起こして、
それらの猛毒を持ったものたちは、即座に、
自ずから平常に戻り、あなたを襲うことは無くなるでしょう。


雲雷鼓掣電 降雹じゅ(樹のひだりがみずへん)大雨 
念彼観音力 応時得消散 

雷雲が轟き、稲妻が走り、
雹やあられ混じりの豪雨に降られたとしても、
彼の観音の力を念じるのであれば、あなたは、
高次元領域とシンクロニシティを呼び起こして、
悪天候は即座にして、消え去るでしょう。


衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦 

世間一般の人々が、災難苦難、災厄に見舞われて、
数々の苦悩が、身に迫ってきたとしても、
観音の摩訶不思議な智慧と宇宙の法則により、
高次元領域とシンクロニシティを呼び起こして、
必ずや、世間一般の苦悩から、救い出されるでしょう。


具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身

3次元物質界の人智の及ばない
摩訶不思議な宇宙の法則を伴っていて、
私たちの想像も及ばないほどの智慧を働かせて、
途轍もなく広大無辺な宇宙の多次元領域の世界において、
観音が、その身を現さないということは、全く持ってありません。


種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅

種々様々な悪想念のアンダーグラウンドな世界、
メビウスの輪に閉ざされた苦悩と
尽きることの無い飢餓の地獄のような世界、
輪廻転生という尽きることの無い
老いと病と死の連鎖による世界の、
どのような苦悩の世界からも、ことごとく、
解き放たれるでしょう。


真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰 

真実の目で観て、清廉清浄なる目で観て、
偉大なる智慧である宇宙の法則を通した目で観て、
あらゆるすべてのものを悲しみ、慈しむ目で観通しながら、
いつでも願い、いつでも祈り続けることが肝要であります。


無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間

清廉清浄なる魂の光は、いつ如何なるときにおいても、
霊的太陽に照らされて、諸々の悪想念の闇を引き裂き、
必ずや、風火のような悪想念の災いを防ぎ、
どこまでも果てしなく、私たち一人ひとりを照らします。


悲体戒雷震 慈意妙大雲 
じゅ(樹のひだりがみずへん)甘露法雨 滅除煩悩焔 

観音の悲しみが表に現されて、
雷が震えるような戒めとなり、
慈しみの心が、絶妙な大雲のように、
あらゆるすべてのものを包み込み、
宇宙の法則のもとに恵みの雨が降り注ぎ、
煩悩の炎を消し去ってしまいます。


諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散 

訴訟を起こされ裁きの場所に赴いても、
争いの群れの中にいて、不安と恐怖心で
押し潰されそうになっていても、
彼の観音の力を念じるのであれば、
あらゆるすべての怨念や悪想念は、
ことごとく、退散してしまいます。


妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念

観音に、あなたの周波数を引き上げ、合わせることによって、
摩訶不思議な音に包まれることになります。

それは、自我を超えた、無我の境地に入り、
永久不偏の精錬清浄な魂の声であり、
寄せては返す海の潮騒のように安らかで清涼な、
うねりとゆらぎの音を耳に聴くでしょう。

それは、世間一般の雑音から、遥かに遠く離れた、
深淵なる宇宙根源の光から発信されている音です。

このことが実際にあるのですから、
常日頃から、観音を心に思い描いていることが
肝要であります。


念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙 

心に疑惑の念を起こしてはなりません。

観世音菩薩という、清廉清浄な偉大さは、
あらゆるすべての苦悩や死、災厄において、
必ずや、心強い味方となるでしょう。


具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼 

観世音菩薩は、あらゆるすべての学びを完成されて、
慈しみの眼によって、私たち一人ひとりを見守られています。

その福徳と祝福とにおいては、
海のように深く、計り知れないものがあり、
それは、私たち一人ひとりを高い周波数に上昇させてゆきます。

このようなことでありますから、
観音を礼拝し、供養することが肝要であります。


爾時 持地菩薩 即従座起 前白仏言 

そのとき、高次元領域と3次元物質界の仲介者であります、
持地菩薩は、即座に身を起こして、仏陀の前に出て、申し上げました。


世尊 若有衆生 聞是観世音菩薩品 自在之業 
普門示現 神通力者 当知是人 功徳不少

尊きお方よ、この観世音菩薩について
教え説かれる内容で聴かれます、
自由自在に宇宙の法則を働かせ、いま・この瞬間に、
ありとあらゆるすべての人と場所に現れます、
摩訶不思議な魔法を呼び起こすお方について、
まさに、これを信じる人は、その福徳と祝福とは、
決して、少なくないのであるということを知る必要があるでしょう。


仏説是普門品時 衆中八万四千衆生 皆発無等等 
阿耨多羅三藐三菩提心

仏陀は、この普門の内容を教え説いたとき、
そこに集まっていた八万四千というほど多くの人々は、
私たち一人ひとりが、比較する必要もなく平等であるという
悟りの境地に想いを抱き、心を躍らせたのです。
 
光のマントラ その6 『ガネーシャ聖天真言』

ここ数日、ガネーシャさんが出て来て、
何度も何度も催促されていました。

仕舞いには、テレビの画面いっぱいに
「ガネーシャ」の文字が、
ドカーンと表示されてしまったので、
観念して、この記事を書いておくことにしました。

きっと、このブログを読まれている方々の中に、
必要とされている方がいらっしゃるのでしょう。

私が、ガネーシャさんと、リアルに、
ハッキリと遭遇をしたのは、確か、
西暦2007年の初頭のことでした。

それは、夢の中でしたが、現実以上にリアルでした。

中心に、ヴィシュヌさんがいて、
その周りに円を描くように、ラクシュミさんや、
ガネーシャさん、その他にも、ヒンドゥー神だと想われる、
天女のような方々が取り巻いていました。

それは、ヴィシュヌさんの周りで
華やかに踊っているようでいて、
彼ら彼女らがいる場所の光景も、
色彩豊かな草木や花々が咲き、川が流れていて、
まるで、動く曼陀羅を観ているようでした。

私は当時、ヒンドゥー教のことはよく知りませんでしたし、
いま現在も、その宗教について、大してよく知りません。

ですから、なぜ、そのような形で、
夢の中に出て来たのかは、謎でした。

私の宇宙での出生自体が謎ですから、
謎が謎を呼ぶ、類は友を呼ぶ、
ということにしておきます。

ガネーシャさんのエネルギー体の色は、
ピンク色であり、稲荷神として知られています、
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)さんと、
似ていると云えるかもしれません。

天上界の神々が、過去に人間だったという方が
多かったとは云えども、ガネーシャさんのような存在は、
その例には含まれないでしょう。

つまり、根っからの象頭人の生命体としての、
アセンデッド・マスターであり、
多次元領域宇宙を、過去・現在・未来に渡って、
存在しているでしょう。

ガネーシャさんは、もちろん、
性別はありませんが、どちらかと云えば、
女性性意識が強いです。

このガネーシャさんに対して唱える真言を、
天使界の解釈を含めて、天使界の住人たちとともに
翻訳をさせて頂きたいと想います。


おん きりく ぎゃく うん そわか

Om hrih gah hum svaha


オーン (宇宙の根源を表す聖音)

あらゆる煩悩を解き放ち 
宇宙の法則という智慧を完成された
幸福と学問の神ガネーシャよ

我が身に円満のうちに 満願成就いたしますように
 
神社や寺院を参拝する時に唱えているのが、
延命十句観音経です。
お寺だけじゃないので怒られそうですよね。
無理にオススメしていることではないです。
人間的なルールの話ではないのです。
 
以前、ひたすらマントラを唱え続けていれば、
全てが上手く行くという考えの人にツイッターで、
フォローされていたんだけど(ブロ解した)
マントラはあくまでも道具の様なものなので、
唱えていれば救われるとかはないです。
超高級ラケットを購入しても、
初心者がプロ並みにテニスが出来る訳ではないですよね。

 

横に長い紙を拡げて拝殿で読み上げている方とか、

時々見かけます。

祝詞でしょうか?

好きな様にしていいと思うんですけど、
もし自分が祀られている神様だとしたら、
誰かが自分に向かって一心不乱にお祈りしているのを見て、

どう感じますか?

自分はそこで宇宙エネルギーを守護する為に、
降りてきているだけで、
何かを人間にお願いされてもお祈りされても、
どうすることもない立場です。
よしよしそんな風に崇めてくれるなら、
特別に目を掛けてやろうと思いますか?
天上界の神々の一柱だとして、
そんな風に贔屓しますかね?
また別の人は「いつも守って下さって有難うございます」
と心からの感謝をし敬虔な思いが伝わってきます。
そんな時、どう感じるでしょうか?
あなたも仲間だね、私たちと共同作業をしているんだね、
そんな風に感じませんか?
先日の記事でご紹介しましたが、
神に護られる人というのはどういう人でしょうか?

 

自然霊たちも上下関係みたいな感覚はないです。
宇宙法則に従いますので、天上界の指示の元、
動き回っています。
龍が憑いているだのなんだの妄言を吐く人もいますが、
絶対に人間に従うことはないです。
妄想ですので、騙されないで下さい。
 
霊的な道を進む時に必要なのは、事実と妄想を分けることです。
実際に経験してそこから理解すること、
現実的にそれがどのように反映されているのか確認すること、
これを怠ってはいけないです。
 
以前、息子を虐める同級生がいたんだけど、
カラスが沢山集まってきて、
その子に襲いかかるようにずっと追っかけ回していた、
ということがありました。
霊的な領域では嘘や誤魔化しが通じません。

だからこちらが真摯な気持ちで向き合えば、

敵視されることもないし、
仲間だねと思われて思わぬ助けを受けることになります。
 
生霊が飛んできた時には、
不動明王真言を唱えます。
これも夢で指導されたんだけれども、
寝ている時に攻撃してくることもあるのね。
(霊的な領域にいる為)
それをガイド達が防ぐのではなくて、
傍で実践訓練として指導してくるのです。

マントラを唱えて!と言われるので、

夢の中でも咄嗟に唱えられる様に、

しっかり覚える必要がありますよね。
 
子どもたちが小さい頃は、
ガネーシャ聖天真言を覚えて唱えました。
簡単ですよね。
私が一番最初に覚えた真言でもあります。
ちなみにガネーシャさんは、霊的な最終課題をクリアすると、
印を下さる方で、
学び続けているといつか呼ばれると思います。
 
先日、娘が友達と初詣に行くと言うので、
駅から近くて綺麗で、
伊勢神宮と同じ神様が祀られている神社を紹介しました。

エネルギー的に繋がっている神社なので、

表が伊勢神宮としたら裏に当たります。
こういった神社はお近くにあると思います。
御祭神やご由緒や歴史を調べているうちに、
分かってきます。

 

全国的に有名な大きな神社に行く必要はないんです。
地元でも大丈夫です。
有名なところを探し回るのではなくて、

住んでいるところの一之宮へ参拝しましょう。

初詣の時期とあと11月前後の七五三の時期もそこそこ混むので、
避けて参拝するといいでしょう。
 
私は呼ばれるので小さい神社とか祠なんかを参拝して、
霊的なお掃除を行なっていますけれども、
呼ばれても居ないのに好奇心で行かない様にして下さいね。
一之宮、近所の氏神様を参拝するのがよいです。
 
今の様な状況こそ、
自分の住んでいる地域に目を向けて、
自分や周囲の人達との関係を大事にして下さい。
 
私が住んでいる地区の自治会は、
お祭りや避難訓練では、
災害時の炊き出しを想定しているそうです。
器具は問題なく使えるのか、
どのくらいの量を調理すれば、
どのくらいの世帯に行き渡るのか?
確認するのに役立つそうです。
春と夏にお祭り、秋に避難訓練があって、
豚汁や焼きそばを作ったり、お握りを作ったり、
班長になると行事に駆り出されて、
面倒ですけれども、
いざという時に必要になることなんですね。
 
また、夜間の地域のパトロールがあって、その際に、
防災井戸の確認や自治会の境界の確認も行ないました。
台風などで警報が出ると早い時間に独居老人の家を回り、
自治会館を開けて避難するそうです。
 
地球を救わなくても、

それぞれが自分の居る場所を救う人になれば、

全体が救われますよね。
 
下記も霊的なことを学ぶ際に参考になる記事なので、
ご紹介しておきますね。
 
私たちが、菩薩へ向かう道筋には、
危険なものと遭遇することもまた避けられません。

そのための心構えと、数々のスピリチュアル・テストが
あるのだということを、肝に銘じておく必要があります。

もし仮に、スピリチュアル・ワールドを、
安全無難に体験出来るものがあるのだとしたら、
それは、人工的に創られた仮想次元空間である可能性が高いです。

私たちは、知識として学んだことを、実践に応用出来るように
スピリチュアル・テストとして試されるからです。

それは、危険からの対処法を身につけることにもなります。

スピリチュアル・ワールドに興味を持って立ち入ると、
もう、もとの私たちに後戻りは出来ません。

私たちの魂は、常に霊性進化を求め訴えるからであり、
一度、スイッチが入ってしまいますと、私たちの魂は、
その目的を思い出してしまうからです。

いわば、「あかずの扉」を開けてしまったことになります。

しかし、人生の道のりの先々では、常に、分岐点が設けられます。

どうする?このままスピリチュアルの道を進んでゆきますか?
それとも、スピリチュアルなことを一切手放して、
物質界のことだけにドップリと浸かって生きますか?

という選択肢が設けられまして、私たちに確認を促されます。

私たちの人生は、私たちが決めて進んでゆくことですから、
スピリチュアル・ガイドたちも、そのように問い掛けてきます。

その選択は、良いか悪いかではなく、
宇宙の進化コースの、最短コースを行くか、
もしくは、遠回りのゆっくりコースを行くかの違いです。

その選択に対して、誰も、あなたのことを責めないでしょうし、
あなたは何ら、罪の意識を観じる必要はありません。