気がつけば、週末は「12月」です。
相変らずBlog更新が遅いのですが、よろしくお願い致し致します。
さて、2017年の秋を遡ると、週末は雨が多くて「雨の秋」だったと感じています。
それでも天候に恵まれた日に外出すると、素敵な秋色の街に出会えましたので、出会えた秋のことを、まとめて書いてみます。
長文となりますが、のんびり読んでいただけると嬉しいです。
■秋の訪れ(9月下旬)■
自分にとって、秋の香りと言えば「金木犀」の香り。毎年「金木犀」の甘い香りを嗅ぐと、「秋の訪れ」を感じます。
「金木犀」は、中国原産なのですが、古くから日本でも育てられてきました。
私の実家にも樹齢60年ほどの「金木犀」があり、秋になると可愛らしい星型の小花が枝に集まるように咲き香ります。
和名が「木犀」なのは、樹皮が動物のサイ(犀)の皮膚に似てるからと言われています。
でも、原産国の中国では「木犀」ではなく、「桂(gui)」と言うのでややっこしいです。
まぁ、日本には同じ字を使った「桂(かつら)」があるので「木犀」と言うのも仕方がないかな。花が咲く時期は「中秋の名月」の頃、それ故、月に因んだ伝説が多く残っています。
■伝説のひとつを紹介します■
昔々、「桂の樹(金木犀)」は、月にだけ生えていました。「桂の樹」は、とても巨大で高さは、何と500丈(約1500m)。
月面の影も、巨大な「桂の樹」が月面の上に影を落としているからだとか。
中秋の時期になると「桂の樹」は、満開の花を咲かせます。
この月面を覆う花びらを地上から見上げると、黄金色に輝いて見えるので「中秋の名月」と呼ぶのだとか。
月面を覆うほどの「桂の樹(金木犀)」の黄金色の花。想像をすると、何だかロマンチックに思えてきます。
では、そんな「桂の樹(金木犀)」が、どうして地上にやってきたのでしょう?
それも伝説に残っています。
月には「月の宮」で暮らす「嫦娥(じょうが)」という仙女が住んでいます。
(「嫦娥(じょうが)」の伝説は、以前にBlogで取り上げました)
彼女は不老不死の霊薬を飲んだことで、月へ昇ることになり、そこで暮らすようになりました。
ある年のことです。
月では「桂の樹」が満開の花を咲かせ、地上では黄金色の月を見上げ、「観月の宴」が賑やかに開かれていました。
この地上の様子は「月の宮」へも伝わり、仙女「嫦娥」も月から地上の様子を眺めました。
「嫦娥」が地上を見下ろすと、「観月の宴」の風景が広がり、そのあまりの美しさに思わず舞を始めました。
おっと!ここで忘れていたことがありました。
月には、他にも「呉剛 (ごごう)」という仙人が住んでいました。「呉剛」は、もともと月に住んでいた者ではありません。怠け者で、働くことが大嫌いで、楽をするために仙術を習い、仙人になろうとした男です。
そのため「呉剛」は、仙術の師に見つけて、仙人になるための修業を開始したのですが、根っから怠け者の彼に、仙人になるための厳しい修行が耐えられる筈がありません。
直ぐに仙人の修業から逃げ出して、あろうことか、過ちまで犯してしまったのです。
そんな「呉剛」には、償いとして罰が与えられました。それは「仙人になりたいという願いを叶える代わりに、月への追放!」というものでした。
さらに「地上に戻るには、月に生える「桂の樹」を斬り倒さなければならない」とも命ぜられました。
月に追放された「呉剛」は、早く地上に帰りたくて、すぐさま斧を手に取り「桂の樹」を切り倒そうとしました。しかし、いくら斧を振り下ろしても、「桂の樹」は倒れないどころか、斧でつけた傷も直ぐに塞がってしまうのです。
そんなわけで、月には決して斬り倒されることのない「桂の樹」に向かって、いつまでも斧を振り続ける「呉剛」と言う仙人が居ると言われているのです。
話は戻って「桂の樹」のそばで、仙女「嫦娥」の舞を見ていた「呉剛」は、その素晴らしい舞に魅せられ「桂の樹」の幹を叩いて、リズムをとりだしました。
するとどうでしょう。
その衝撃で「天香桂子」という「桂の樹の種」が、地上にこぼれ落ち、そして、地上に根づいて、美しい花を咲かせるようになったのだとか。
それであれば、「金木犀」を「月桂樹」と呼べばと思いますが、これにも訳があるのです。
「月桂樹」は、明治時代に日本へ渡来しました。もともとは、南ヨーロッパ原産のクスノキ科の樹で、ギリシャ語で「ダプネー」と言います
「ダプネー」と呼ばれるのは、ギリシャ神話の「アポロンの聖樹(ダプネー)」に由来しています。
■ギリシャ神話「アポロンの聖樹」■
或る日のことです。
「アポロン」が、弓矢で遊んでいた「エロス」のことを揶揄すると、それに激怒したエロスは「相手を恋する金の矢」をアポロンに。「相手を疎む鉛の矢」を川遊びをしていたダプネーに放ちました。
「相手を恋する金の矢」で射られたアポロンは、ダプネーに求愛を続け。「相手を疎む鉛の矢」で射られたダプネーは、アポロンの愛を頑なに拒みました。
それでもアポロンは、ダブネーに求愛を続け、逃げるダブネーを、ペーネイオス河畔まで追い詰めました。
追い詰められたタブネーは、求愛から逃れるために、父である河の神に「自らの身を変えて欲しい」と強く望みました。
娘ダプネーの強い望みを聴き届けた父は、ダプネーの身体を「月桂樹」に変えました。
「月桂樹」となったタブネーの姿を見て、アポロンは悲しみましたが、ダプネーに対する愛に変わりはありませんでした。
アポロンは「変わらぬ愛の証」として、月桂樹の枝から「月桂冠」を作り、今でも、そして永遠に「月桂冠」を身に着けているのです。
この「月桂樹」が日本に渡来したのは、明治38年のこと。この樹は「桂(かつら)」に似ていて、葉の香りが強く、中国の伝説に登場する「月の桂(けい)の樹」から、「月桂樹」と名付けられたことが由来と言われています。
また、この樹は日露戦争の戦勝記念樹に採用され、記念樹の代表として、日本各地に普及して行きました。花言葉は「勝利の栄光」です。
月桂樹の葉も、日陰で自然乾燥させたものは、ローレルと呼ばれ、香辛料として利用されています。
■イチョウ並木の黄金色(10月)■
色づいたイチョウ並木は、とても素敵です。
イチョウ並木が黄金色に色づく頃、イチョウ並木を通り抜けると、まるで黄金色に輝くトンネルを通り抜けるようです。地面に落ちたイチョウの葉も「黄金の絨毯」のように感じられます。
子供の頃、ハラハラと落ちるイチョウの葉を拾い集めて、「えいっ」と空に向って放り投げて遊んだことがあります。放り投げられた黄金色のイチョウの葉は、青空に舞い上がって落ちて、足元の地面に触れ「カサカサッ」と音が鳴たことを、今も忘れずに覚えています。
イチョウの葉が色づく前なら、「ギンナン拾い」もできます。もちろん、拾ってよいか確認してからになりますが・・・。イチョウの樹には、雄の木と雌の木があって、ギンナンがなるのは雌の木です。
イチョウの葉っぱにも特徴があり、葉っぱに大きな切込みがあるのが「雄の木」。葉っぱが丸くなっているのが「雌の木」です。
このように葉っぱで雌雄を確認することができるので、匂い対策で「街路樹」に雄の木しか植えないところも多いです。
イチョウ並木
■ススキの銀色(11月)■
群生する「ススキの草原」
秋が深まり、銀色の穂が開き、太陽に照らされて、秋風に揺れるさまは、まるで一面が「銀色の波」のように感じます。
私の好きな本「銀河鉄道の夜」の中に、こんな場面があります。
「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ。」ジョバンニが云いました。
「銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかったの。」
「ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。いまぼくたちの居るとこ、ここだろう。」
ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指しました。
「そうだ。おや、あの河原は月夜だろうか。」
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
ススキの草原
「銀河鉄道の夜」といえば、SLに乗って旅をするのですが、今年デビューした「SL大樹」を見に行き、記念の駅弁を食べてきました。
お箸とは別に「SL大樹」の駅弁らしく、石炭スコップがついていました。
紅葉の「明治の館(日光)」
■11月下旬(晩秋)■
とうきょうスカイツリーでは、クリスマスイルミネーションが始まりました。
さて、今宵の月は「上弦の月」です。
「上弦の月」は、半月で「弓張り月」と呼ばれます。月の形を弓に見立てたわけですが、東から月が昇るときに、弦がどっちらを向いているかで「上弦」「下弦」が分かります。
単純に考えると、上弦は「弦が上」。下弦は「弦が下」っと思ってしまいますが、実は月が沈む時の弦の向きで、上を向く場合を「上弦の月」。下を向く場合を「下弦の月」と呼んでいます。
他にも簡単な見分け方として、月を新幹線に見立てた方法もあります。先頭車両の丸い鼻をイメージすると、わかりやすいです。
新幹線が東から西に向かう時、先頭車両の丸い鼻の形で進んで行くのが「上弦の月」。
逆に最後尾車両の丸い鼻の形で進んで行くのが「下弦の月」です。
季節は、これから冬に向かいます。
空気が乾燥する「冬の夜空」は、空気中の水蒸気が少なくなって、夜空の透明度が上がり、星々が綺麗に見える季節です。寒いですが、星空を楽しむには良い季節です。
では、
夜空に想いを馳せながら、おやすみなさい。