「僕はKenzoとトレーニングをしてきているんだ。マルブフの一員なんだ。セーブルにもデュフーにも負けられない!」と本気で思いました。。。


つづく、、、、

それからは、自分の中で、とにかく「ショートを切れるようになる」を目的にしました。
もちろん、日々の中でのブローの勉強が続いていたのは、言うまでもないですが、カットトレーニングはとにかくショートに固執して勉強しました。。。

ショートを選んだ理由は、、、

⑴Kenzoが創るショートスタイルが好きだったから、、、
⑵差を見いだしやすいから、、、
⑶バリエーションが多彩だから、、、
⑷究極を追求出来るから、、、
⑸そして、「ショートをマスターするという事はカットをマスターするのと同じだ」と言われたから、、、

です。。。

セーブルの合同トレーニングは、行くと、その日のペアが貼ってあって、モデルは自由に選んで良いシステムだったので、なるべく早く行き、ショートのモデルを確保し、トレーニングをしました。
他サロンの教育担当者とのトレーニングは、何かを勉強するというよりは、とにかく自分とのチャレンジだったような気がします。。。

でも、チャレンジしていたのは、僕だけではありませんでした。。。ソンドリーヌもジェロームもみんな攻めていました。。。マルブフ軍団が最強である事を証明するためのように、、、
たぶん、他サロンは戦いだなんて、これっぽちも思っていなかったと思いますが、僕らは勝手にそういうモチベーションでした。。。

セーブルのトレーニングの後は、必ず飲みに行っていました。。。その日のトレーニングの話だったり、スタイルの話だったり、とにかく美容の話で盛り上がり、騒いで、飲んでって感じでした。。。
(どんちゃん騒ぎでしたね、、、テーブルの上に乗って踊ったりしてる奴もいました、、、)
仲間(美容バカ)と過ごす、この時間は楽しかったです。。。
でも、僕は、その時は本心から楽しめてなかったと思います。。。まだだったから、、、まだ僕はマルブフ最強軍団としての証明の力になれていませんでしたから。。。

どの位経った頃だったんだろう。。。
たぶん、セーブルのトレーニングが始まって半年位(渡仏9ヶ月)経っていたと思います。。。
それまで、とにかくショートばかり切ってました。。。

仲間達:「Keigo,今日何やるの?」

  僕:「もちろんショートだよ」

仲間達:「いつもショートばかりだから、たまには違うスタイルやった方が良いよ、、、」

  僕:「いいんだよ、、、ショートマスターしたいから。。。」

なんて、やり取りが良く合ったほど、頑にショートを切ってました。。。
(最近聞いた話では、あの時代、みんな、僕の事を頑固だと思っていたみたいです。。。そして、言う事聞かないとも、、、)

そう、その日はやって来ました。。。
その日の僕の担当はアレキサンドルという若いデュフーの教育担当者でした。(彼は後にマルブフのマネージャとなります)実際、年齢も僕より若かったのもありますが、教育担当としてデビューして間もなかったので、僕に対しても強い姿勢ではありませんでした。

担当を見た時、「今日は自由に切れるぞ、、、」と思いました。急いで、ショートのモデルを探しました。とにかく自分がやりたいスタイルを切れるモデルを、、、セーブルのトレーニングで、自分のやりたい事をやれるチャンスなんて、なかなか無かったので、、、

そして、アレキサンドルにやりたい事を伝え、、、
スタートしました。。。

つづく、、、
そんな日々を過ごしている中、後に大きな影響を与える大きな変化がありました。。。


つづく、、、、


当時、マルブフサロンは週1回トレーニングを行っていました。。。当然教えるのはKenzo、そしてフィリップがフォ―マター(教育担当者)としてスタートした頃でした。。。

ところが、ある日、、、これからのトレーニングはセーブルサロンで合同で行うと発表されました。。。

マニアティスはパリに4店ありました。そのうちの3サロン(マルブフ、セーブル、デュ・フー)はアンドレがマネージャーとして仕切っていました。

 ”そう、アンドレについて、、、
まぁ、彼についてのエピソードは多々ありますが、ここは概略だけにしておきます。。。
アンドレはマニアティスのNo.2でした。。。僕がその頃知っていた事は、、、アンドレからKenzoはカットを習ったという事でした。。。”

元々、マニアティスでは、ジャンマルクもシーズン毎にトレーニングを行う際でも、各サロンを廻ってましたし、各サロン個性がありましたし、技術的にもサロンの教育担当者によって異なる部分を持っていました。(昔Kenzoはアンドレがマルブフ改革の為に送り込んだ刺客だったそうです、、、)

当時、僕は内部事情が分からなかったですが、きっと3サロンをクォリティーアップのためと、統一という事で、トレーニングが合同になったのだと思います。

僕にとっては、やっと少しづつ慣れて来たのに、、、また新しい環境か、、、という感じでした。。。
合同トレーニングですから、ただ集まってやるだけではありません。。。
教える側、教わる側がシャッフルされ行われるシステムでした、、、、、

初めて行われる日、、、営業を少し早く切り上げてセーブルに行きました。。。
サロンの中に入るのも初めてでしたし、当然スタッフも初めて会う人ばかり、、、、、
あのマルブフに初めて行った日を思い出す感じでした、、、
と言っても、逃げ出すワケではないですから、、、

この日の担当はパスカルというセーブルのマネージャーでした。。。
スタイルはショートでした。本当に普通のショートでした。。。
ショートは何度かはカットしていたので、これなら、、、と思いましたが、、、
まず、コミニケーションが取れない。。。全く。。。パスカルが言ってる事も良く分からない、、、、でも自分も何も言えない。。。。
切って見せられる、それをやれ、、、と、、、、

僕自身、ある意味衝撃でした。。。「いつも見てるKenzo達と全然違う、、、なんだこりゃ???」っていう感じでした。もちろん隙を見て、今までやって来た事をやってみる。。。
でも、当時の僕のレベルでは納得させられる結果を出せません。。。
結局、良く分からないまま終わりを迎えました。。。その時だって、「これで終わり???」って感じでしたが、、、納得出来ませんでした。。。

そんな風に感じてる僕にパスカルが、、、

パスカル :「Keigo,,,シャンパン買って来いよ!」

   僕:「?????」 ホントに何言ってるか分かりませんでした。

パスカル:「合同トレーニングの初回だからシャンパンでお祝いだよ、、、」
     
     「今日、お前は何もしなかっただろ?だって俺がカットしたんだから、、、」

     「だからお前が買ってくるんだよ!」

   僕:「。。。。。。」

たぶん、僕をからかって冗談で言ったのだと思います。でも、本当に悔しかった。。。
コミニケーションが出来ないからからかわれた事でないです、、、
相手が自分にとって納得の出来るカットをしているワケでないのに、自分が何も出来なかった事が許せなかった。。。
「僕はKenzoとトレーニングをしてきているんだ。マルブフの一員なんだ。セーブルにもデュフーにも負けられない!」と本気で思いました。。。


つづく、、、、


    



9月21日のイベント企画について、、、

先日、お伝えしたように、今回、agence21の企画としてエフィラージュのデモンストレーションとトレーニング、そして交流会を行う事となりました。



maniatis=Mが撤退し、事実上日本からMは無くなりました。

Mの事を色々言う人もいっぱいいます。確かに良い部分、悪い部分あったと思っています。
僕自身、今ブログの中の「履歴書」でも書いてるように、美容を始めるきっかけも、始めたのも、育ったのもMです。だから、もちろんMに対する思い入れもあります。。。

僕が、今唱えるMのエスプリもエフィラージュも、、、それは、Mにしがみついてる訳でなく、離れた今だから分かる言える事だと思っています。

そういった意味では、日本の地で本当の意味でのMが浸透させられなかったと言えます。
そして、別にMを復活させたいと思っているワケでもありません。

ただ、Mが撤退した今、何もしなければ、本当に全てが過去のモノとなっていくと思います。僕としては、それが1番気になる部分です。

Mを離れ今本当に感じる事、、、「エスプリなきエフィラージュに未来はない

エフィラージュはテクニックであり、道具です、、、それも本当に素晴らしい、、、
でも、そこには、こだわりであったり、想いであったり、プライドであったり、、、というエスプリが必要です。。。

Mが撤退し、Mとして働いて来た人として想いは、それぞれでしょう。。。日本ではFC展開としてのブランドでしたから当然です。
でも、Mに触れ、エフィラージュを経験した人の中には、Mのエスプリを持ち、「何か、、、」と思っている人もいると思います。

ただ、無くなって行くのを黙って見過ごしていくのは悲しい事じゃないですか???

僕は、そんなパワーが必要だと思っています。エフィラージュ発展のためにも。。。

だから、今回、このような企画をしました。
Mの人達もagence21 japonの人にもそれぞれ考え方や想いが違う部分もあると思います。
でも、今は中で探り合っていても、何の意味もないと思います。。。

一緒にやりませんか。。。自分の通って来た道のためにも。。。

                             agence21 paris Keigo