今日も我が家の麗しいニャンコたちはカワイイです。

 

それだけで十分幸せです。

 

でも、ほんとに人間とは・・・

 

今、ものすごく私のやる気を奪い、心を乱す人がいます。

 

すぐに距離をとり、近づかないようにしています。

 

しかし、その人は私が力を入れている活動に欠かせないポジションにいます。

 

結果的に、その人と距離をとると他の仲間とも距離ができてしまいました。

 

仲良しクラブではないし、ある信念のもとに活動しているのだから、別に仲間外れにされようが構わない。

 

でも、情報は入ってこなくなる・・。

 

そして活動そのものから遠ざかることになる。

 

またゼロからスタートしなければいけないのかと思うと、ものすごく疲れてしまいました。

 

さてどうするか。

 

ソロ活動に専念するしかないのか、思案の為所である。

 

 

猫のおもちゃはたくさんあるのですが・・・

 

すぐに壊す

すぐに飽きる

 

という結果に終わることが多く、家のあちこちに飽きられた猫じゃらしやおもちゃがあります。

 

結局、丸めた紙ボールや100円ショップで買ったリボンを棒に括りつけた手作りおもちゃがお気に入り。

 

子猫のころから飽きずにずっと遊びます。

 

無邪気という言葉を思い浮かべる姿です。

 

猫と暮らす幸せを感じますね。

 

無邪気とは

無邪気というのは、素直なこと、気持ちが不純ではないこと、あどけなくて可愛らしいこと。
 
このような意味があるそうです。
 
これは人間には無理ですね。
 
生きる年数が長ければ長いほど、無邪気さとは遠ざかり、邪気にまみれてしまいます。
 
また、人との関係に行き詰ってしまいました。
 
仕事ではないし、義務でもなく、ただ多種多様なイシューの集まりのなかで活動し、出会った人たちとの関係だ。
 
皆が見ている先が違ったとしても、その過程として政治や市民活動が欠かせないと考えている人たち。
 
仲良しクラブじゃないのだから、距離があるのは当たり前。
 
そう思ってきたのだが、突然態度が変わると不安になる。
 
自分勝手だと思う。その人にはその人の事情があるのだし背景があるのだ。
 
私の不安を取り除くことを優先してほしいと思うことが傲慢なのだ。
 
無邪気に遊ぶ猫を見て、この子たちが元気で幸せな暮らしができるのなら、それで十分ではないか。。。と思い直している。
 
ありがたいよ、猫の存在は。

 

 

 

太みじかい尻尾が愛らしいつくしさんです。

 

天使になったさくら猫のすずめちゃんにお供えした水を今日もおいしそうに飲んでいます。

 

ここまですずめちゃんのお水を飲みたがるのを見ていると、ほんとにこの水にはすずめパワーが降りかかっており、聖水的な?ものになっているのではないかと思うほどです。

 

さて、今日は怒りを込めてブログを書くことにします。

 

動物虐殺事件が多発

数日の間に埼玉県で猫の虐殺事件が起きています。
 
公園で猫の足、学校で猫の顎が発見されるという猟奇的な事件です。
 
埼玉県では、元税理士による野良猫の連続殺傷事件が起きたのは記憶に新しいのですが、その後も埼玉、千葉など首都圏では野良猫や地域猫が人間によって傷つけられたり殺されています。
 
私は猫が大好きで、自分の猫のためなら何でもしたいと思うほど愛おしいので、その子たちと重ねてしまうと怒りで頭がおかしくなりそうです。
 
動物虐待は犯罪ですが、日本の警察は動物を傷つける犯罪者に対してどこまで本気で捜査するのがわからないです。
 
今までにも、何度も何度も日本各地で起きている虐待事件に対して警察にメールを送ったり電話したりしました。
 
しかしいつも対応は冷たくて、めんどくさそうです。
 
動物愛護法という法律は、多少厳しくなったとはいえ、まだまだ欧米諸国に比べれば軽いものです。
 
もっと厳罰に処してほしい。
 
だから私は政治にかかわるボランティアをしています。
 
動物の苦しみを伝えるために、政治の力でこの国の法律を変えるしかないと思っているからです。
 

飼い主のいない猫との距離

じつは今回、埼玉県で起きた猫の虐殺事件に関して、ある情報が入ってきました。
 
被害にあった猫は、飼い主のいない猫ですが、お世話をする人間がいたようなのです。
 
避妊去勢手術をしていたかどうかまではわかりませんが、地域猫としてあるいは、飼い主のいない野良猫を不憫に思って餌を与えて世話をしていた人がいたのでしょう。
 
人間に懐いている猫は、食べ物で誘えば近寄ってしまうことがあります。
 
それは猫にはとても危険なのです。
 
人間に対して警戒心を持たずに油断している猫が捕まり、今回の埼玉の事件のように残忍な方法で虐殺されるという事件が起こるかも知れません。
 
昨年も千葉県市川市で、河川敷近くでお世話されていた地域猫が連続殺傷されるという事件がありました。
 
人間に慣れてしまった猫をいつまでも外で生かしておくことに危険を改めて感じたのです。
 
もちろん、すべてを保護するのは無理でしょう。
 
しかし必要以上に人間との距離を縮めるのは危険だと思っています。
 
ごはんをくれる人として認識されるだけで、それ以上のスキンシップなどを欲しがってしまうのは人間の身勝手さだと思うのです。
 
食べ物を提供してくれる人間もいるが、人間への警戒心を忘れさせるほど仲良くなるのは危険だと私は考えています。
 

さくら猫とのかかわり方

冒頭の画像にあるのは、私が最初にTNRしたさくら猫のすずめちゃんの遺骨と遺影です。
 
ここにお供えするフードと水は、いつも我が家の猫たちがおさがりとして美味しくいただいています。
 
すずめちゃんと出会い、避妊手術を受けさせるために捕獲するまでの間、何度か触ろうとしましたが警戒心が強くて触れませんでした。
 
安易に手を出して流血したこともあります。
 
だから捕獲するときは革手を使って、素手で触れることはありませんでした。
 
リターン後、ごはんを食べに来ても捕獲された記憶があるので警戒は強まりました。
 
とうとう4年半、一度も触れることのない関係が続きました。
 
ほとんど動けなくなるほど衰弱したときに発泡と段ボールで作った外猫ハウスに入って丸まっていたのは、私に助けてほしかったのだと受け止めました。
 
全く抵抗することもなく病院まで連れていきました。
そこまで衰弱していたからです。
 
3週間という短い時間でしたが、すずめちゃんと濃密な時間を過ごして、抱っこもできたし、撫でるとゴロゴロと喉を鳴らしてくれた。
 
頭を私に擦り付けてくれたのも、はじめてのことで嬉しくて泣きました。
 
ここまで急激に心を許してくれたのは、ほかの人間との違いを認識してくれたことと、「ここには危険なやつはいない」と安心してくれたからではないでしょうか。
 
外で生きているときには、そういう安心感は命取りになるので、ずっとずっと緊張して警戒してきたのだと思います。
 
たとえTNRした子だとしても、いずれ保護して家の中に入れる覚悟がないのなら、不必要に懐かせるのは猫にとって危険です。
 
人それぞれ考え方の違いはあるでしょうが、地域猫や人慣れした野良猫が極悪非道な人間の魔の手にかかるのを見るたびにそう思うのです。
 
考え方には個人差があるので、あくまでも私の考えとして書いていますので、悪しからず。