「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 義理の母である登美子の茶室で、のぶはお茶をいただいている。彼女にとっては、悩んだ時の登美子です。のぶも着物を着ればいいのに、御免与町に置いてきたのかな?

 のぶは忠君愛国の純粋さゆえに失業し、正義が見えないままです。登美子は「この社会で女性が外で働くのは簡単なことじゃないのよ」と諭しました。

 その言葉の裏には、『私はそれを知っているからこそ、作り笑顔で3度も男を取り込んで、今は豪邸に住んでいるの』と、言い、自己正当化の気持ちが見え隠れします。まあ、それについても、過剰な気遣いや親切心が必要なので、それもまた大変なことです。

 登美子は「崇もこれで安心して仕事に打ち込めるんじゃない?(あの子にはしっかり親切にしてあげなさいよ)」と姑らしいアドバイスをしました。抜け目がありません。

 そんな登美子は茶道教室を始めていた。お弟子さんの翁と和服姿の中年女性がやってきました。登美子がのぶを紹介すると、有名作詞家、柳井崇さんの奥様だとすぐに判明した。

 やればできる子の崇は、登美子の自慢の種です。彼女によれば、崇は絵を描いていた少年、ではなく、父親の影響を受た文学少年だったとのこと。

 登美子は表面的な嘘をつくのが得意です。一方で純粋派ののぶは、夫を褒められるたびに顔を赤らめています。

 だよなー、崇が文学少年だったことはない。実際のところ才能クラゲの崇だからね。そう考えると、どんなにズバ抜けた才能があっても、その男の出世には奥さんのテレパシーと努力が影響しているのでしょうね。

 うーん、女の幸せって、この世の酸いも甘いも全部味わうことなんだろうから、色々考えちゃうなぁ。

 手間のかからない男は打算的かもしれないけど、世渡り上手で生活は安定する。でも人生でのホームランにはならない気がする。

 素質と才能のある男は手間がかかるけど、人生でホームラン的な成功をもたらす可能性がある。

 結局、崇が夢を追いかけるからこそ、のぶは酸いも甘いも味わえるのかもしれないのです。あははは。

 そういえば例外もいる。野球の大谷選手は一人で成功して、嫁をもらって、さらにさらに良くなった。女性は、宇宙からの使命を持つ男性を選ばないといけないのです。…嘘です。いえ、本当です。まっ、どうでもいいか。

 長屋に戻ったのぶは、崇に登美子の様子を伝えた。崇は「あの人なら、絵を描くしかない孤独な気持ちを無視して、僕を文学少年にも、医者を目指していたことにも、仕立て上げるだろうね。僕の詩がヒットしたことで、生徒が集まりやすいと思って茶道教室を始めたのかもしれない。のぶちゃんの純粋さとは違い、一筋縄ではいかない人だから」と冷静です。彼は母性愛に包まれていることから脱皮し始めているようです。もしかすると、崇はクラゲから、卒業できるかもしれません。

 しかし、のぶは何気にその純粋な気持ちで「崇さんが思うように、好きな漫画を描いてくれたら、私はそれが一番うれしい」と言った。その言葉は、文学少年にされてしまった崇の胸を、グサリッ、と包丁で刺すようなものだった。重い一言です。

 そもそも歌詞を書くように促したのは、のぶです。そして、その歌は大ヒットしました。女の矛盾した行動は、男を鍛えます。・・・生きるのがしんどい。。。

 たぶんね、のぶの純粋さは正しいものなんだと思います。でも、それが、世間の人たちからすると、自分の醜さや妥協点に突きつけられた刃物のように感じるのかもしれません。結局いつものことながら、純粋性の少ないタダレタ世の中が悪いんです。

 そのこととの兼ね合いで、男と女のそもそも論を言うと、聖書のエバは、蛇に中央の木の実を食べても大丈夫だと言われたことで、アダムを喜ばせたいがために、二人で木の実を食べたのです。ゆえに、エバに悪気はありません。それは彼女の愛情から来るものなのです。だからこそ、エバは自分が悪いとは感じていないのです。

 そういうことだから、崇(アダム役)はまず、のぶ(エバ役)の「気持ち」を気遣ってあげる必要があるのです。そうしないと意味不明のヒステリーを招いてしまいます。

 一方、蘭子は宣伝用の文章作成に苦戦しましたが、三度目に提出した原稿で八木からOKをもらい、ほっと一安心しました。

 八木は蘭子の書いた映画の記事を毎回読んでいた。蘭子はそれを嬉しく思っていたが、八木は「初めの頃は良かったけど、最近は監督や俳優の批判ばかりだ」と注意した。蘭子は、

「映画雑誌を売るためには、そうするしかないんです。気になる映画を観たい人は、放っておいても見ると思います。でも、気にならない人にわざわざ興味を持ってもらうためには、監督や俳優をコケにするくらいに辛辣さがないと、彼らに自分の目で確かめようと思ってもらえないんです。私もそうだけど、映画好きになる人は、心に少し癖のある人だし、そういう癖を喜ぶんです。だからその人たちは、あえて映画の世界に浸りたいんでしょうね。私は人それぞれの感じ方の角度を見極めているつもりです。」と答えた。八木は深く息を吸い込み、

「でも、映画を愛している君が、一番傷ついている・・・」と鋭く語った。蘭子は、

「じゃあ、八木さんはどうなんですか?相手を思っていても、どこか心を開こうとしない。悲しみをえぐられるのが嫌なんじゃないですか?どこかにあるのに消えてしまったようなニヒルな愛情は、純粋な女性の一生懸命さを無駄にしています」と鋭く返し、そのまま帰っていった。

 この言葉に八木は、男の背骨をえぐられたような気分になり、その場で立ったまま死んだ・・・。はははは。

 蘭子の一撃は、漫画「北斗の拳」の連打を超える破壊力です。・・・以上、現場からお伝えしました。

 数日後、蘭子は次の仕事の件もあって八木の事務所を訪れ、謝罪をした。八木は「感性が求められる仕事だから、何でも言い合える方がやりやすい」と答えた。

 八木はコーヒーを二杯用意し、蘭子に手渡した。二人は向かい合ってソファに腰掛け、会話を始めた。

 蘭子はのぶから八木の家族のことを聞いていたので、「ご家族は戦争で…」と確認した。八木は、

「俺は絶対に生きて帰ると言ったが、復員すると、福岡の空襲で妻と子が亡くなっていた。俺が死ねば家族が助かったのかとも考えた。それで、東京のガード下に流れ着いた。そこで孤児たちと関わるうちに、まだ俺の存在する理由があるように思えたんだ。だから、孤児たちにパンを食べさせ、本を読んで聞かせた。そして、この会社を作った」と言う。

 蘭子は、必ず生きて帰ると言っていた最愛の豪が戦死したことを伝えた。

 二人は、どうしていれば最愛の人が生き残れたのかを深く自問しながら、コーヒーカップの湯気をじっと見つめいた。

 さて、長屋ののぶと崇ですが、蘭子が八木に恋をしているのではないかと話しました。崇は「それはないだろう」と言いますが、彼がそう言う時には、大抵あります。

 と、蘭子が玄関の扉を開けた。そして「ご心配なく。私は、一生、恋愛らあ、せんので」と怖い顔をして言い放った。

 えー、これはですねー、『この世に存在していても意味がないかもしれない』と思ったことのある男女の恋物語の始まりです。愛情が切ないと感じた八木と蘭子の恋です。激しくえ上がるしかありません。

 今日は、幸せになれそうな蘭子の後に、NHKディレクターの健太郎が訪れ、崇も幸せになれそうな仕事を依頼しました、の一席です。

 みんな幸せになりたいのですね。それなら、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れ、魂と空とのつながりを感じ、安堵感や至福感、至福意識を体験してみましょう。それが不退転の意識であり、金色の生命エネルギーが湧き出る場所でもあります。その金色の生命エネルギーを通じて、尊い気持ちで恋をしましょう。それこそが大切であり、空からの愛なのです。どうぞお幸せに。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトワ(宇宙調和、サティア)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

  才能クラゲ崇が「手のひらを太陽に」を作詞し、それを加瀬卓也に渡した。卓也はその詩を素晴らしいと称賛し、その場で曲を作った。二人ともその結果に満足している。

 だけど、改めて聞くと、前回、和至が替え歌にした詩の方がいいな。それにタイトルを付けるなら「手のひらに金融トレード」だな。そりゃあー、目が血走って、肩も腰も痛くなるでしょ。参考までに昨日の作詞を見てみて。あははは。今でしょ。

 昭和39年(1964年)の春、「手のひらを太陽に」はNHKの「みんなのうた」に採用され、子どもたちの間で大ヒットしました。まだNHKがまともで、信頼されていた時代の話です。

 今のNHKは「手のひらに賄賂、股間にハニトラ、受信料で脅し」といった具合ですね。国をバックにした半島系の反社官僚のようで、日本のヤクザも呆れています。早急に解体して、国営放送とスクランブル放送に分けるのが良さそうです。まさに世の中は変化の時期ですからね。

 最近、才能クラゲ崇は漫画を描く時間がなく、頼まれるままに忙しく働いています。仕事はラジオやテレビ番組の原稿作成、工場のルポライター、週刊誌の記事執筆など、何でも屋のようです。徹夜仕事もこなし、やっつけ仕事でも質が高いので評判は上々です。頼まれると断れない性格で、漫画仲間からは「ファイティング柳井」と呼ばれています。

 さて、今日の崇は、歌手の白鳥玉恵に喫茶店まで呼び出されました。彼女は「手のひらを太陽に」を歌ったことで知られる歌手です。

 玉恵は崇にリサイタルの構成を頼んだが、崇は経験がない仕事だと必死に断る。しかし、玉恵は目から女の神通魔力を放ち、才能クラゲの崇を絡め取ります。この勝負は玉恵の勝利。。。

 崇は母性に弱いため、しぶしぶ引き受けることにした。まあ、軍隊で殴られるよりはマシな仕事かもしれないが、崇が生還できたのは登美子とのぶの母性愛のおかげです。男は母性愛を侮ることはできないのです。

 八木は雑貨店「九州コットンセンター」を設立し、社長になりました。最初の部下は、ガード下でひったくりをしていたアキラです。彼は里子に出され、その後、立派な青年に成長していました。二人目の部下は、粕谷宣撫班長で、彼も戦争から無事に帰還していました。この会社で、初めてのヒット商品は、花柄のビーチサンダルです。

 のぶと崇は、八木の事務所を訪れ、起業のお祝いをした。

 そこへ、フリーランスのライターとして働く蘭子がやって来た。彼女は八木の商品を文章で宣伝しているが、八木から3回目の書き直しを命じられた。なかなか厳しい状況です。それに比べると、才能クラゲ崇は何か特別なものを持っているのかもしれない。仕事が早い。八木社長は崇に漫画を描くことも勧めている。

 しかし、才能クラゲ崇は、さまざまな仕事をしているうちに漫画家としてのアイデアが浮かばなくなり、壁にぶつかっています。

 そんな時、のぶは勤めていた会社の社長から、退職を勧められた。彼女の忠君愛国の純粋さが、経済界の時流に合わなかったようです。そして、のぶは無職となりました。

 まあ、崇の曲がヒットしたことで、会社側としては、のぶが退職しても路頭に迷うことはないと判断したのだろうね。それに、秘書とはいえ女子社員扱いで、重要な仕事を任せる気はなかったのかもしれない。つまり、負担に感じていたのかも。のぶも何かしらのアイデアを出せばよかったとは思うけど、当時は男性社会だったから、それも難しかったのかもしれないね。

 女性の社会進出を進めるには、平社員からお局社員まで含めて、不満ではなくアイデアを出せる場を定期的に設けるべきだと思います。男性の会議のように失敗が許されない雰囲気を作らず、少数の男性が参加し、女性たちのお茶会のようなリラックスした会議を目指すのが良いでしょう。そして、採用されたアイデアには報酬を与えるべきです。こういう時の女性は男性社員より馬力があります。男性は、女性社員の相談に乗って励ませばいいんです。そしてあとで、男は頭が上がらなくなります。。。

 ただし、女性をただ働きさせると、忘れたころに問題が起こる可能性があります。「私は社長や重役のお母さんじゃない」と思われたら、それで信頼は失われます。男性が悪くなくても、知らないところで、ロクなことにはなりません。女性を男性と同じ感覚で働かせようとするのは間違いだと思います。和至は失敗しました。また、女社長には、女社長の柔軟性も情もあります。

 歌手の白鳥玉恵は、リサイタルの台本が完成したと聞き、崇の家に押しかけてきた。二人は親しげに打ち合わせをしている。。。

 そこへ、退職を告げられたのぶが帰ってきた。崇は、何やら慌てた様子だ。

 お金がないため、のぶがわざわざ八木の店を選んで働いたのは、帰りが遅くなっても浮気を疑われないためでした。それなのに、崇は、のぶが守っている家に自分がいない時に女性を入れたのです。バレなければいいと思っているのでしょうか?家は女性の城です。いつもと少しでも違うと感じればすぐに気が付きます。しかも今日はのぶが失業した日で、非常に大変な状況です。

 ですが、崇は、事の重大さを3分の1程度しか理解していないようです。「今度は僕が稼ぐから大丈夫。」などと言っている始末です。こういう時だけ、たっすいーではないのです。

 まあー、あえて崇の味方をするなら、彼はのぶに専業主婦になってほしかったのかもしれません。長子の才能クラゲ崇は、母性愛の中を泳がされていても、ご主人様になりたかったのかも知れません。あははは、なんとなく分かる気はします。

 しかし、何とも言えない。崇には人より優れた才能があるのは確かだが、彼は自分の責任を理解していても、のぶの気持ちや女性の気持ちを理解できないの、かもかも。それでも、それが普通です。

 今日は、あのねー、崇が女(のぶ)の気持ちを理解できるのなら、すでに玉恵とホテルで島倉千代子の「恋しているんだもん」を歌いながら浮気をしていたと思う。でも、その恋はすべて嘘です。の一席です。

島倉千代子 恋しているんだもん 歌詞&動画視聴 - 歌ネット

 

 意図せず、女の神通魔力に引っかかりそうになったら、男は空氣体瞑想をしてみましょう。まあ、かえってますます引っかかるかもしれませんが。。。

 でも、その引っかかりを空氣体瞑想の中の雑念として自由に昇華し、自身は空(くう)に触れることができれば、きっと真っ当な理解と進化の関係につながるでしょう。たぶんね。あはは。まっ、いいや。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトワ(宇宙調和、サティア)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 崇は、ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の打ち上げに参加しました。エチゼンクラゲ六原が才能クラゲの崇に挨拶をしましたが、才能クラゲは自分にはこの人たちのような情熱がないと感じていました。そして、気づけば浮き世に完全に絶望してしまっている人生を『悔しい』と感じています。

 長屋に帰った崇は、息を吐きながら、のぶにその話をした。

 あのね、崇の場合は、情熱ややる気なんて必要ないんです。キティちゃんと同じで、ただ存在しているだけでいいんです。崇のように、何度も死を経験した人間が、この幻想のような現実と関わろうとするからこそ、無理や絶望を何度も味わうことになるんです。その無理っていうのは、崇の創造性が、幻想である現実に追いつけないことが原因なんです。

 例えば、漫画の世界では50年前に空飛ぶ車が登場していましたが、現実の世界での空飛ぶ車は最近になってやっと実現しました。つまり、崇の漫画も数十年後には評価される可能性があるということです。

 打ち上げから数日後、崇の長屋に作曲家の伊勢卓也が訪ねてきた。彼は才能クラゲ崇に、歌の作詞をほしいと懇願した。しかし、クラゲ(崇)は「俺は漫画一筋だ」と見栄を張ってしまい、断る。アホです。

 卓也はクラゲ(崇)の漫画を否定したわけではないけれど、詩を書いてほしいと頼まれたクラゲ(崇)は、自他ともに認める漫画家になっていないため、自分の存在理由である漫画を失うような氣がして、不安になったのです。

 才能クラゲ崇の場合は、幻想である浮世に、ただ存在しているから、それ自体が存在する理由なのですが、彼はその存在自体が心から喜べていないのです。ここが問題なのです。

 だから、才能クラゲ崇は、漫画の世界に自分を投影し名犬BONを描た。そして、世間の評価を待っているのです。しかし、世間どころか編集者でさえも見向きもしない捨て犬BONなっています。捨て犬BONは崇であり、今はのぶが飼っています。だから、才能クラゲ崇は世間からつまはじきにされているヒモ犬BONなのです。

 伊勢卓也は「また来ます」とのぶに挨拶して帰っていった。

 のぶは長女なので、田舎の母親に仕送りをしているのでしょう。そのため、お金を稼ぐ必要があり、八木の雑貨店でバイトをすることにしました。このことはクラゲ(崇)には秘密です。

 ある日、のぶが八木の店にいると、蘭子が訪ねてきた。蘭子と八木はとてもお似合い。。。

 八木は、才能クラゲ崇が紡ぎ出すセリフには詩心があると評した。

 ああ、そうなんだね。それなら、崇の漫画が売れない理由が見えてきた気がする。この理由が正しければ、ヒット作を作れる可能性があるかも。

 あのね、和至が考えるには、絵には答えなんていらないのよ。見れば感じ取れるものだからね。だから、崇の4コマ漫画のセリフを詩的にするってなると、その詩と絵を調和させるための高度な普遍性が必要になると思う。でも、それができたとしても、それを理解できる人は少ない。だから、読む人も少なくなるし。。。売れない。編集者も「分かるけど売れないな」って思ってしまう。だから採用されない。ははは。

 才能クラゲ崇の絵は、幼いごろからだいたいにおいて褒められてきた。そして、漫画のセリフにも詩心があると評された。なのに、売れない。困りましたね。

 となると、才能クラゲ崇は自分の存在価値や存在理由を捨てるか、忘れるしかないやな。スピリチュアル的に言えば、それは死よりも恐ろしい恐怖になる。善人でありながら、生存競争を始める前に「不要」「消えろ」と烙印を押されるのと同じだからです。猫に小判、豚に真珠というけれど、編集者や世間が猫と豚で、崇が小判と真珠です。

 そうであるのなら、猫に小判、豚に真珠を結びつける必要があります。そう考えると、猫も豚も振り向くのは餌だね。餌の向こう側に小判や真珠を見せればいいのかもしれない。そうすれば、猫も豚も小判や真珠を見ることで餌がもらえると思うようになるからね。そのあたりだね。まあ、崇の場合は、餌=アンパンだったのかもしれない。この辺のセンスは、量子コンピュータ並みの空間認識です。

 八木の雑貨屋で、のぶは八木に蘭子の人柄を紹介した。蘭子の諦めを感じ取った八木は、彼女を励ますために、「逆境が人に及ぼすものほど輝かしい」とシェイクスピアの一節を引用した。蘭子もその一節を知っていた。

 って、何?八木はうっかり?蘭子に「今の君だからこそ、輝いて見えるよ」なんて言っちゃったんだよねぇ。ありゃー。八木よ、蘭子は恋に熱いぞ。

 蘭子はさっそく、勝負下着を買いに行きました。嘘です。

 あっ、バカなこと言ったらひらめいた。崇が漫画家として売れたいなら、アンパンマンよりもパンツマンを描いた方がいいかも。

 じゃあ、名犬BONにパンツを被せて、犬の嗅覚で「安心してください、はいてますよ」と言いながら事件を解決するストーリーはどうだろう。あはは、とにかく明るい安村犬BONって感じだね。そんな芸人、確かにいるよね。

 のぶは、仕事が終わった後、八木の店を手伝っているので、夜遅くに帰ります。一方、崇は女房の浮気を心配しています。でも、彼は言葉にできません。

 そんなある日、崇は八木に相談しようと雑貨屋を訪れました。そこでは、のぶが店員をしています。

 崇とのぶは二人で長屋に帰り、崇が「のぶちゃんばかりに苦労を掛けて、ごめん」と抱きしめる。と、のぶは「苦労なんて思ってないで」と微笑んだ。ただお金がないだけのことです。

 のぶは続けて「人を喜ばせるのは、漫画だけに限らんと思うきに」と控えめに諭した。

 その時、雨が強まり停電が起きた。のぶが懐中電灯を取り出し手に当てると、その光を通して真っ赤な血潮が透けて見えた。

 そして、才能クラゲ崇は、誰もが知っている「手のひらを太陽に」の詩を作り上げました。伊勢卓也は大喜びで、NHKのディレクターである健太郎も番組「みんなのうた」に推薦したのでした。

 今日は、「みんなのうた」、「手に平を太陽を」です。

 「僕らはみんな、生きているー。生きているから金がないー。僕らはみんな生きているー、生きているから腹が減るー。手ーの平をー太陽に透かして見ればー、真っ赤に血走るー僕の目ん玉ー、四十肩、五十がーた、腰痛だっーて、みんな、みんな、生きているんだ、友達なんだー」・・・嘘です、の一席です。

 とりあえず、本物を一番だけコピーしておきます。

 手のひらを太陽に

 童謡・唱歌

 ぼくらはみんな 生きている

 生きているから 歌うんだ

 ぼくらはみんな 生きている

 生きているから かなしいんだ

 手のひらを太陽に すかしてみれば

 まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)

 ミミズだって オケラだって

 アメンボだって

 みんな みんな生きているんだ

 友だちなんだ

 

 ちなみに、空氣体瞑想をして空(くう)に触れると、空を通じてワンネスの意識も育まれます。そうすると、みんな、みんな、生きているんだ、友達なんだぁー、って感じになるんですよねー、、、。

 本当は、そういうことだけじゃないんだけど、まあ、どうでもいいか。しょうがない。あははは。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトワ(宇宙調和、サティア)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 才能クラゲ崇は、演劇の題名も知らされないまま、伊勢卓也によって舞台美術担当だと紹介されてしまいました。劇団員たちは拍手で迎え入れます。エチゼンクラゲ六原永輔(訂正:英輔→永輔)は、「けっこう、けっこう」と上から目線で迎えます。

 一応、才能クラゲ崇もささやかな抵抗を試みますが、彼にはそれが精一杯で、反論することはできませんでした。結局、明日までに舞台美術のイメージ画を描くことになってしまいました。

 舞台の題名は「見上げてごらん夜の星を」です。内容は、定時制高校に通う5人の日本を愛する青年たちと、普通校の女子高校生が出会い、働くことや勉強、昼と夜の意味について語り合う物語です。彼らは、正義が逆転した世の中で自分を励ましながら、恋をし、夜空の星に青春のロマンを描いています。

 つまり、我慢とロマンが交差する切ない青春模様なのです。それをエチゼンクラゲ六原は、清らかな心で人々の幸せを祈る姿として表現しています。六原は永六輔に通じるものがあり、もしかするとオカマかもしれません。だからこそ、これはオカマの星への祈りなのです。ケツへの祈りではありません。

 エチゼンクラゲ六原永輔は「永ちゃん」と呼ばれていますが、矢沢永吉の永ちゃんとは違います。いや、でも、二人とも時々自分を神だと思ってしまうので、そのセンスは神の愛に基づいているのかもしれません。オカマは神ではありませんが、二人の永ちゃんは神です。嘘です。いや、本当かもしれません。まあ、どっちでもいいです。あははは。

 才能クラゲ崇も、心の奥底ではこの二人と同じように神のセンスと愛を信じたい?のかもしれません。彼はいつも母、登美子の愛情を信じようとしては裏切られています。

 のぶは一度結婚しましたが、その相手とは死別しました。それでも、忠君愛国の純粋さを失わず、神様の愛が自分を裏切ったとは思っていません。政治と社会が裏切ったのです。崇は、のぶの本質を信じているため、いつまでも自然と甘えています。クラゲです。

 長屋に戻った才能クラゲ崇は、早速、舞台のイメージを絵にしようと奮闘している。一方、のぶは崇が仕事を引き受けてくれたことで、一歩前進し、ほっと一息ついている。

 才能クラゲの崇は、舞台のイメージ図をさらに二枚、追加で一枚描くよう要求されました。そして分かったのですが、卓也も六原も舞台演劇を作るのは初めてで、もちろん崇も初めてです。もし公演が失敗したら、支払いはどうなるのでしょうか?

 準備は順調に進み、崇も舞台装置の制作に取り組んでいます。

 そして、いよいよ本番前日を迎えました。

 しかし、エチゼンクラゲ六原はまだ納得していません。彼は劇団員に完璧を求め、卓也の曲には書き直しを命じています。時間がなく、大変な状況です。

 演劇公演は、お客さんがいなければ明日がない世界です。体調のことを気にしている余裕はなく、今を完璧にするしかありません。練習であっても、正しい達成感が明日の夢を開くカギになるのかもしれません。ただし、その達成感を超えて無理をすると、身体や精神を壊してしまうのでしょう。そこが難しいところです。

 劇団員の反対を押し切り、エチゼンクラゲ永ちゃん(六原)は「いいものを作る」と言い張り、外へ出て行きました。卓也は曲を書き直すしかありません。

 しばらくしてエチゼンクラゲ六原が戻り、練習が再開されます。卓也は急いで曲を変更しました。

 そんな稽古場に、のぶが手作りのおにぎりを持ってきた。

 そして、卓也が主題歌「見上げてごらん夜の星を」を歌い上げます。

 って、芸能フーテン伊勢卓也は作曲家の「いずみたく」なの?あらら。まっいいや。

 ていうかぁー、アンパンマンの作者である崇は「いずみたく」とも仲が良かったんだね。

 今日は、舞台演劇「見上げてごらん夜の星を」は大成功しました、の一席です。

 スピリチュアル系のYouTubeでは、純正日本人はプレアデスやシリウスといった夜空の星から来た存在だと言われています。

 純正日本人は進化した宇宙人の遺伝子を持つとされており、地球の集合意識やその価値観に馴染みにくいのかもしれません。大陸型人たちとは異なる精神や特徴を持っています。そして、純正日本人は夜空の星を見上げることで、進化した星である故郷や、地球の進化を促す使命を思い出すのでしょうね。永ちゃんも崇も、そういうことなのかもね。

 まあ、彼らは人類の意識を超えた宇宙意識を持っているので、地球にいると地球人と話が通じているようで全然違う方向に理解されるのでしょうね。いつも『そうじゃないんだけどな』と孤独を感じるのも無理はありません。仕方がないことです。

 宇宙意識の上には、さらに高次元の意識波動を持つ、天部の神意識が存在すると考えます。そのさらに上には天上界が広がっています。

 宇宙意識と神意識の違いで重要なのは、黄金の生命エネルギー(プラナエネルギー)の錬金術だと思います。ただし、錬金術といっても金塊を作るわけではありません。生命エネルギーが金色であるため、その生命力を増幅することを指しています。純粋空(じゅんすいくう)の不退転の意識が関係しています。誤解のないようにしてください。和至の勘です。

 宇宙意識の波動において、黄金の生命エネルギーを増幅する意識がしっかりと目覚め、非常に活性化していると、光の世界である神意識に到達できると思います。神意識は天部に属しており寿命は長いですが、死も存在します。そのため、神々は死を不吉なものと考えているようです。

 しかし、天部の神々も空(くう)を知覚することで、永遠の命を知ることができます。その場合、天部の神々は光への執着を手放し、それを昇華させる必要があります。

 天部の光を空のエネルギーで浄化することで、神意識も空から流れる透明で永遠の命を理解するようになるのです。

 だからこそ、人間として、今のうちに空氣体瞑想を行い、空に触れておきましょう。人間である間に空から流れ出る透明な永遠の命を感じ取っておけば、宇宙意識へと変わった後でも、黄金の生命エネルギーを活用した錬金術を習得しやすくなるのです。

 特に現在は、純正日本人や日本生まれの人々は、自動的にクンダリーニが上昇し、宇宙意識に目覚めつつあります。空氣体瞑想を実践し、空に触れて、黄金の生命エネルギーの錬金術を体得しましょう。この世に居ながら、こんな世の中を卒業するチャンスかも。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトワ(宇宙調和、サティア)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 「実はね…」と、のぶと崇は本音を打ち明けようとしています。彼らは、思いやりが過ぎるおバカ夫婦になっていましたが、現実は深刻です。

 才能クラゲの崇はスケジュールが嘘だと白状し、のぶは代議士の秘書を辞めて城ケ崎商事の秘書になると報告しました。崇はすでにヒモですが、のぶは水商売ではありません。

 こうなってしまったら、「夫婦春秋、真実一路」です。それしかありません。

フーテンの寅さん曰く、

「やけのやんぱち、日焼のなすび、恋に焦がれて、パンパンやり過ぎ。ヤキモチ焼くは、焼きすぎアンパン。甘いか、苦いか、食べてみないと、分かりません。お前と俺は、アイラブユーと、来たもんだ」あははは。

 「ボン、ボン、セシボン。寂しい人よ。ボンはあなたの友人です」と口ずさみながら、崇は、ボンという犬の4コマ漫画を描いています。しかし、ちっとも売れません。

 あのね、崇の漫画はセロトニン系だから売れないんだよ。売れるのは、やっぱりアドレナリン系でしょ。「悟空」や「ガンダム」、「鬼滅の刃」とか、売れてる漫画は大体アドレナリン系で、明確に定義できない正義のために、心の傷や寂しさを抱えながら戦ってる感じ。戦いだからアドレナリン全開だよね。(ちなみに、崇はアンパンマン正義を探しています。だから、全部逆。)

 あっ、漫画「三丁目の夕日」はセロトニン系かもしれないね。キティちゃんやスヌーピーもセロトニン系かもしれないな。(和至はその漫画を読んだことがない)

 うん?キティちゃんってキャラクターだけなのかな?そう考えると、ストーリーよりも、崇のキャラクター自体が面白いから、セロトニン系の崇は、そこにいるだけで面白くて、売れる可能性があるかもね。少なくとも、この男はのぶにはウケている。

 そういうことなら、才能クラゲ崇の存在理由が分かった。「崇、おまん、そこにいるだけで面白い」、ただそれだけ。。。でも、このままじゃ、売れそうにないな。あははは。

 まったく、この男を俯瞰してみると、幼少期に親に見捨てられ、悪ガキに弁当を奪われ、軍隊では殴られ続け、女の神通魔力に引き寄せられて好きな女性(未亡人)と結婚し、みんなに祝福され、そして今やヒモ男になって漫画を描いている。それでも何とかなっている。この男は人生を真剣に生きる気概はない。が、責任感はあるつもり。あはははは。

 確かに、この男、崇は興味深い生き物だ。面白い。

 ボン犬は崇自身ですが、4コマ漫画の中で、「あなたがゲッソリしてもう死にたいと思うとき、あなたをどうしても微笑(諦めた笑い)させるのが生きがいです」と呟いています。

 才能クラゲ崇は「このボン犬キャラがどうして売れないかなぁ」と疑問を抱いています。

 あのね、このボン犬キャラを売り出すには、まずセロトニン系のボン犬が、最初の場面でヤサグレる必要があると思う。そのヤサグレ具合と理由次第で、どれだけ読者を引き込めるかが決まるだろう。ここで惹きつけられた読者は、アドレナリン噴出系とは違って簡単には離れないかも。その辺がポイントかな?まあ、無能な編集者のせいで、崇が売れないんだにゃあ。あっ、犬だから「売れないワンっ」だった。どうでもいいか。

 そんなこんなで7年が過ぎて、昭和35年(1960)年3月。東京では白黒テレビの普及が進み始めていた。

 のぶもテレビと洗濯機をローンで購入した。すでに4コマ漫画では物足りない時代となっていた。

 蘭子は映画雑誌に投稿を続けるうちに、映画評論家として評価され、会社勤めをしながら映画雑誌で連載を持つようになった。

 そんな時、才能クラゲ崇は、独創漫画派の栗田に声をかけられた。栗田はNHKのディレター、辛島健太郎とも知り合いです。独創漫画派のコウも売れっ子になったが、崇だけが激しく沈没している。…人生だな。

 さて、天は才能クラゲ崇を見放さず、と言いたいところですが、長屋いるのぶの元へ、芸能フーテン・伊勢卓也がやって来ました。その隣には、六原英輔という通常より半音高いテンションの男がいます。こいつもなんだかクラゲっぽい。でも、崇とは別の種類のクラゲです。崇が水クラゲなら、六原英輔はどでかいエチゼンクラゲかもしれません。。。いずれにしても食えません。

 伊勢卓也はテレビコマーシャルの音楽を手がけています。今回は卓也と英輔がミュージカルの企画を進めており、崇に舞台美術を担当してほしいと依頼しました。

 彼らは、日本人による日本人のための、これまでにない日本初のミュージカルを作ろうとしています。

 夜になり、崇が帰宅した。のぶは舞台美術の依頼があったことを伝える。崇は自信がないと口にしたが、のぶに「たっすいがーはいかん」と励まされ、とりあえず明日、舞台稽古を見に行くことにした。

 しかし、のぶは女の勘で心配しています。蘭子も六原に会ったが、崇とは相性が悪そうだと思ったそうです。

 翌日、崇はミュージカルの稽古場に到着した。

 しかし、いきなり六原英輔に「僕も卓ちゃんも一切を捨てました。あなたも一切を捨てて、このミュージカルに取り組んでください」と詰め寄られる。

 そりゃあ、水クラゲの崇より、エチゼンクラゲの六原の方が大きいわな。だから、反論できない。

 六原英輔って、誰?あっ、永六輔か?似ているちゃぁー、似ている。

 なんかね、ミュージカルとなると、漫画というより、芸能界っぽくなりましたね。永六輔だから、芸能界というより、ゲイノウ会って感じですね。崇はゲイの好きそうな顔かな?ケツの穴は大丈夫か?

 今日は、芸能界って、もしかすると、ゲイが牛耳っている世界なのかもしれない。そこに崇が引きずり込まれてしまったのです、の一席です。

 オカマもオナベも、LGBTも、その精神が男女の枠にこだわっていないと言えるかもしれませんが、でも、そういう人こそ、枠のない空(くう)を理解して、健全なオカマ、オナベ、LGBTになりましょう。普通の男女でも、LGBTでも、正常でない精神は、社会に迷惑をかけるので嫌われてしまいます。

 だから、空氣体瞑想を通じて、空に触れ、空とつながり、エネルギー不足による孤独感を癒し、精神的に問題のない存在として日々を過ごしましょう。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトワ(宇宙調和、サティア)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。