「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「ばけばけ」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 

 人柱であるゲンゴロウ柱?のある橋の上で、トキは三之丞を見かけた。トキは、タエが物乞いをしていたことや、三之丞が乳屋に仕事を求めに来ていたことなどを話した。

 三之丞は話題をそらそうとしたが、結局、明日、トキと会う約束をした。

 ヘブンは大八車で引っ越しをしています。日本に来て間もないのに、どうしてそんなに荷物が多いのでしょうか?それとも、もうかなりの時間が経っているのでしょうか?錦織が大八車の後ろを押しています。

 引っ越し先は花田旅館からわずか50メートル離れた一軒家で、立派な邸宅です。あとはラシャメンになりたい女中を探すだけです。妖怪・女中女郎の出番ですね。

 トキは、花田旅館の待合室で三之丞と会い、、、二人とも貧しいのでお茶を一杯だけ注文しました。

 三之丞は以前、助けを求めるためにトキの長屋を訪れたことがありました。が、その際に借金取りがいて揉めていたため、諦めたと語ります。

 三之丞によると、工場や家財、屋敷を売却して借金を返済した後、安来の母方の親戚に身を寄せたそうです。しかし、そこも家計が苦しく、生活費を入れる必要があった。一方で、タエは「雨清水家の者は、人に使われるのではなく、人を使う人間に成りなさい」と主張するので、三之丞は新しい仕事に付けなかった。その結果、手持ちのお金も尽き、複数の親戚を頼るも上手くいかず、最終的には松江に戻ってきた。そして、タエは潔く物乞いになる道を選んだ、という流れです。荒れ寺を紹介されたわけではなかったようだ。。。

 タエは命が尽きるまで武士の妻であろうとしているのかもしれない。一方、何もできない三之丞は雇われ社長になりたがっているようです。

 トキは、「寝るところがあるので、うちに来てください」と言ったが、三之丞は断った。彼は、タエも養子に出した娘のところには世話にならないと思うと話す。

 時期は秋で、三之丞は、冬が来るまでに寝る場所を確保したいが、凍死や餓死も覚悟していると言う。トキには何もできないのが現実です。

 トキが内職の品を納めに行くと、いつもの屋敷のところでタエが物乞いをしていました。通行人が、タエのお椀にお金を入れると、タエは頭を下げ礼をしました。トキは、辛くてどうしようない気持ちになり、顔を伏せるようにしてタエの前を通り過ぎました。

 どんなことでも自分が完全に納得して生きることは、生きるか死ぬかを決した結果の現れなのです。結果を得てその結果に納得するのではないようです。法則性自体があるという「存在」の証明ですね。承認欲求とは違います。あえて言うのなら「証人」です。

 その夜の松野家の食事には味噌汁に、シジミの身がありました。トキはみんなの笑い声を聞いて、自分がお金のために人柱になろうと思いました。つまり、20円でラシャメンになることを決意したのです。

 タエが物乞いとなり、武士の誇りを捨てて頭を下げていたため、トキも武家の家族としての道を断念したようです。

 翌朝、トキはヘブンの家の前に立っています。その時、錦織が現れました。

 トキは錦織に「おはようございます」と自ら挨拶し、迷いながらも意を決してから「ヘブン先生の女中になります」と宣言した。こうしてラシャメンおトキが誕生したのです。。。が、どうやら家族には内緒にしているようです。

 トキは、赤ちゃんの時に養子に出された運命、武士の時代が終わった運命、家族でいくら働いても返せない借金を抱えた運命、血の繋がりのない家族を見えない運命の意図と知りながらも気持ちだけで支えようとする運命などなど、女の身体自体で受け入れることを決めたのです。

 具体的には、ラシャメン(愛人)になることなので、ヘブンのチンポを受け入れるかどうかの判断のようです。奴のチンポはなんとなく臭そうですが、臭ければ洗うしかありません。トキは妖怪小豆洗いに似てきましたが、以前書いた妖怪チンポ洗い(ばけばけ24、25)にもなりそうです。もし牛乳の匂いがするなら高級感があってまだマシかもしれません。まあ、どうでもいいか。あははは。

 でもね、名前がヘブンだから、トキはヘブンに抱かれて、快感の天国に行くのでしょうか?難しいところです。今のところ二人の間に愛も愛情も見えません。それに、ヘブンには最愛の奥さんがいて、彼は日本滞在記を書いたら早くアメリカに帰りたいのです。

 これはねー、錦織がヘブンに全ての事情やラシャメンについてちゃんと説明・・・していないんだろうね。まあ、仕方ないだろうね。

 だって江藤県知事はヘブンを島根に永住させたいと思っているから、錦織はそこを隠さざるを得ない。そうなると、全部は話せないから、ちゃんと説明ができない。だからヘブンの要求をそのまま鵜呑みにして松江に留めておくしかない。そんな感じだね。汚い話で、妖怪の世界です。

 今日は、トキが錦織とヘブンの作り出した妖怪の世界に飛び込みました。でも、怪談好きの彼女にとってはどこかで望んでいる人生展開になるかも?あはははは。の一席です。

 あとはどんな妖怪になるかですが、とりあえず、和至は妖怪女中女郎(ばけばけ28)の続きを書いてみます。

 武家の天険(仮名)の妾であるムラサキは、天剣の事業の失敗により、遊郭に売られてしまった。それはロスロックがムラサキを手に入れるために仕組んだ策略だった。そこでムラサキは天険の仇を討つため、わざとロスロックに身請けされる道を選んだ。

 しかしながら、ムラサキは仇討ちのチャンスを待つものの、そもそも天険が死んでいるわけではないので、仇討ちをするには、戸惑うところがあった。

 ロスロックはいつも拳銃を手放さず、寝る時も枕元に置いていた。彼は日本と日本人を信用していないが、ムラサキだけは特別だった。彼女を引き留めるために高額な報酬を払い、夜ごとに愛情と優しさで彼女をもてあそんでいるのです。オモチャにしています。

 ロスロックは旅に出ることが多く、ムラサキがその話を聞いてみたところ、彼は地方に行き、天剣を騙した時と同じ手口で商才のない武士を騙し、屋敷や家財、娘などを売り払って金儲けをしていました。他人が借金地獄に陥るのを楽しんでいるのです。本当にとんでもない奴です。

 その話の狡猾さに触れ、ムラサキの心には「こいつを何とかしなければ、始末しなければ、日本の正義が廃れる」という思いが浮かび上がるようになりました。しかし、表向きの顔は笑顔のままです。ムラサキは少しずつ妖怪へと変わり始めていました。

 ロスロックは最低でもあと2・3年は、日本で荒稼ぎをすると言っています。

 その頃、天剣はロスロックの噂を聞きつけてはその後を追う旅を続けていました。その道中、托鉢をしながら旅をしている雲水(禅宗の僧侶の総称)と出会いました。

 その托鉢僧は空純と名乗っていましたが、彼の話では、かつては武士だったそうです。空純は禅宗の寺で得度し、自らの死に場所を探す旅に出たようです。人柱になる覚悟もしているようです。

 天剣は空純に、自分の失敗や妾に裏切られた経験を語りました。

 空純は天険に、武家の世にも裏切られ、異人にも裏切られ、妾にさえも裏切られた。そうであるならば、いっそ世を捨てて虚無僧になってはどうかと勧めた。(長くなったので、トキの成り行きに合わせて書きます。続く)

 お金や借金、複雑な愛情のせいで何も信じられなくなった時は、物事の根源である空(くう)からエネルギーが反応するのを待ちましょう。それは、死ぬまでじっとしていると、根源的なエネルギーによって自然に動き出すエネルギー動力、というものかもしれません。この流れには小細工も逆らう方法もないので、それが自然で当然のことなのでしょう。

 だから、最初から自然で当然のことを行えばいいのです。

 お釈迦様も菩提樹の下で「死ぬまで動かん」と決心し、瞑想に入れました。そして、7日間を経て悟りを開かれたそうです。

 だからこそ、エネルギー動力を知るために、空氣体瞑想を行い、空(くう)に触れておきましょう。いざという時にエネルギーの反応が早くなるかもしれません。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトア(宇宙調和、サティア、サトワ)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、気づいた時、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。逆転しない聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 あと、精神的な面から内観すると、プラグタル構造でもあります。輪廻ですね。宇宙だけではなくて、なんでも外側からと内側から見るのでは、違いがあるのです。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「ばけばけ」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 白くて長い塀に囲まれた大きな屋敷の近くで、雨清水タエ様が物乞いをしていた。彼女は正座し、背筋を伸ばして凛とした姿勢を保っている。物乞いでありながら、どこまでも武家の奥方としての誇りを貫いているのです。通行人から施しを受けても、タエはお礼を言わない。たとえ叩かれても、タエはお礼を言わない。最期まで武家の奥方としての姿を守るつもりなのでしょう。

 なぜなら、武士は商売をしてお金を稼ぐ存在ではないからです。武士は社会のために自分の身を捧げている、とタエは考えています。その妻も同様です。

 ただ、普通の武士が社会や生命の進化を促していたかどうかは定かではありません。武士が大衆の中で社会の安定を担っていたのは確かですが、それは武士よりも身分の低い農民や工人(職人)、商人たちも同様だったでしょう。結局のところ、人間の質の問題かもしれません。人間の質はダルマ法則の「道」を歩むことで決まるのです。今ではそれを正しい自分軸と言います。

 だからこそ、タエは凛とした姿を保っています。「武士は食わねど高楊枝」という言葉通り、タエは武士道の精神を貫き、武士の妻としての「道」を歩んでいます。社会や生命の進化にも命を賭けて帰依しているのでしょう。確かに、文明開化が社会の進化であるならば、武士の妻が物乞いをして屈辱に耐えることも、一つの生き方なのかもしれません。つまり、タエは社会の変化による歪みのストレスを全身で受け止め、死ぬまで逃げない覚悟で生きています。それが彼女の生き様なのでしょう。

 しかし、明治維新以降の社会は、武士が頂点に立つ時代ではなくなったため、タエは底辺層の物乞いとなりました。考えてみれば、それもごく自然な成り行きと言えるでしょう。

 トキは、内職の品を納めに行く途中で、物乞いとなったタエを目撃してしまいました。その光景にショックを受け、動けなくなった彼女は、タエに気づかれないようにその場から逃げ出しました。タエはトキの実の母親です。

 夜になり、トキは内職の品を家に持ち帰りました。彼女は母親のフミに「店の人が居なかった」と嘘をついています。しかし、内職のお金がないと借金取りが来た時に困ってしまいます。

 そんなところへ、錦織がトキを訪ねてきた。用件はラシャメンの件です。もちろんトキは断る。それは武家の家族としての「道」を守るためでもあり、話はそれで終わりです。

 さて、司之介は毎朝ヘブンに牛乳を届けているのに、またしても遅刻してしまいました。店主に嫌味を言われながら怒れる彼ですが、どうやら異人が喜ぶ顔を見るのが気に入らないようです。

 そんな牛乳屋に、雨清水家の三男である三之丞が訪問し、仕事をしたいと言います。三之丞ができる仕事は社長だそうです。面接した店主が「自分も社長ですが、そうなると私は何をすればいいのでしょうか?」と問うと、三之丞は「おいおい考える」と答えます。

 それで、店主は、三之丞を外へ掴みだしました。笑えない吉本新喜劇のようです。

 その一部始終を司之介が目撃していたため、長屋に戻った彼は、三之丞のことを家族に案じながら得意げに話しました。もしかすると司之介が一番質の悪い妖怪かも知れない。彼はどこにでもいる、妖怪・人間もどき、でっす。。

 タエ様と三之丞は安来の親戚に身を寄せていたはずですが、おそらくお金が尽きて上手に追い出されてしまったのでしょう。

 三之丞は松江で広く知られる雨清水家の跡取りであり、その家柄の格式から、社長になるのが適任だと考えているようです。ただし、彼に武士道の精神は感じられません。

 三之丞は自分に都合のいい正道に似たような助け合いを求めている・・ようです。困ったものです。なので、どこに行っても相手にされません。

 三之丞は空腹なので、お地蔵さんに供えてある握り飯が食べたいと思いましたが、家の格式の事を思い出し、その場を後にしました。武士は食わねど高楊枝です。

 タエと三之丞は荒れ寺のような場所に住んでいます。おそらく安来の親戚から、開き寺があるのでそこへ行ったらどうかと勧められたのでしょう。これは親戚の厄払いです。

 そう考えると、タエは物乞いというよりは托鉢している感じですね。托鉢は乞食行ではなくて、生命の浄化や進化に帰依する行であり、それに帰依する人が布施をするためのものです。お金の面だけを見るのは間違いです。

 タエはいっそのこと頭を剃って尼僧になった方が良かったかもしれません。でも、浄土真宗なら髪を長いままにしていても大丈夫でしょうね。

 タエの鉢には約10銭が入っていました。そのお金で三之丞は蒸かし芋を買いに行き、帰りの道でトキに会いました。トキは、物乞いをしているタエを見かけたと話しました。

 今日は、身分制度で士農工商エタ非人があったけれど、公家や僧侶はどの身分に分類されていたのだろう?の一席です。

 インドのヒンドゥー教には、カースト制度という身分制度があり、僧侶はバラモンに属していて、王よりも上だったようです。そのカースト制度の慣習は今でも残っているのかな、それとも廃止されたのかな。前世のカルマや徳によってどのカーストに生まれるかが決まるようです。

 原始仏教では、四階級の平等を唱え、社会の普遍的基盤は空(くう)であると説いていると思います。また、カルマについての教えもあり、この世からの解脱を目指すことを勧めています。

 日本神道には、天部にエネルギー波動による意識の階層が存在し、カルマに関しては禊(浄化)を行うことを説いているのではないかと思う。

 全体的に見ると、王や公家、武家などが行う政治は、宗教の教えを基にして、民衆を治めたり、支配したり、安定させたりするために行われているように思えます。その中には汚いやり方も少なくありません。正しいことの方が珍しいかも。

 あのね、もともとの教祖の教え(宗教)は、存在の真実や生命の浄化や進化、宇宙自然の法則や道理を説くものだと思います。教えや戒律は守らなければならないものではなく、守る方がこの世とあの世での人生を、より楽に生きられるための指針のようなものだと思います。しかし、現実には悪が蔓延し、善良な人々が苦しい思いをしています。だからこそ、モーゼの時代から教祖たちは戒律を厳守することを説いてきたのでしょう。

 そのような影響もあって、政治のレベルでは、天部のエネルギー意識波動を模倣して、士農工商やカーストの4階級制度が作られた可能性が高いと思います。その本質は、精神性の意識波動が高い人ほど社会の上位に位置するということです。お金があるから高い地位にいるのではなく、純粋な徳が高いからこそ高い地位にいるのが正当だと思います。天部はエネルギー反応がすぐに現れるため、自動的にそのような構造になります。3次元の物質界は反応が遅いので、天部とは異なりガタガタしてしまいます。

 で、その天部の最上位を超えたところに、空(くう)の意識波動や根源神の波動が存在しているのだと思う。根源神も最近、外宇宙の純粋空を知覚した・・・と思う。それによって、この宇宙はこれまでになく大きな変化を遂げ始めた・・・のだろう。分かる人にはきっと分かるはず。

 なので、身分制度の良し悪しを考えてもすでに意味がないのと思います。それより、空氣体瞑想をして、空に触れておきましょう。空に触れて意識波動を上げておきましょう。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトア(宇宙調和、サティア、サトワ)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、気づいた時、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。逆転しない聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 あと、精神的な面から内観すると、プラグタル構造でもあります。輪廻ですね。宇宙だけではなくて、なんでも外側からと内側から見るのでは、違いがあるのです。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「ばけばけ」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 

 夜、長屋を訪れた錦織はトキに「ヘブン先生の女中になってくれないか。給金は20円だ。」と相談した。トキは、まるでハトが豆鉄砲を食らったような顔をして、キョトンとしています。

 今さっきまで錦織は、遊郭の部屋で女中志望の遊女ナミヘブン先生に引き合わせた。しかし、ヘブン先生は「いいお友達でいましょう。ごめんなさい」と断った。どうやら彼は、百姓出身のナミを信用できなかったようだ。

 その上でヘブン先生は、躾の行き届いた士族の娘を女中に迎えたいと言い出した。彼は武士なら信頼できると考えているようだ。一理あるが、話が厄介なことになりそうです。トキの祖父である勘右衛門にとって異人は仇です。当然、ヘブンも仇です。

 そもそも、武士の時代を終わらせたのはペリーなどの異人たちです。そのことは、アメリカ人のヘブンもよく知っていました。だから、日本人、特に武士階級は異人を恨んでいたはずです。だからこそ、ラシャメン(異人の愛人)になる女は世間から強烈に非難されるのです。松野司之介も丑の刻参りの藁人形で異人に応戦しましたが、結局その厄は自分に返ってきました。今では家族全員が貧乏です。とほほ。ほ。。ほ。。。

 この場面で妖怪になるのはトキしかいません。さしずめ妖怪・女中女郎といったところでしょうか?

 妖怪・女中女郎は、元武家の娘で、名をムラサキといいます。彼女は家の借金のため、あるお武家様の妾となりました。そのお武家様は仮名を天剣と名乗り、由緒ある家柄の出で比較的裕福でした。しかし、天剣が文明開化の波に乗って事業を始めたところ、外国商人ロスロックの口車に乗せられて騙され、事業が行き詰まり失敗してしまいました。

 ずる賢いロスロックは、武士が商売をするのは最初から無理だと思っていました。

 まもなく、事業の借金を返済するために、ムラサキは遊郭に売られてしまいます。しかし、遊郭に連れて行かれたその日に、ロスロックがムラサキを身請けしました。そう、ロスロックはただムラサキを自分のものにしたかっただけなのです。

 そうです、ムラサキは北川景子みたいにとても品のある美人だったのです。

 ムラサキは天剣から事業失敗の経緯を聞かされていました。そのため、彼女は妾であるにもかかわらず、天剣の恨みを晴らすためにロスロックの身請けを承諾しました。

 天剣は武士道精神を持つ妾を裏切る立場にありながら、必ず身請けすると約束していました。しかし、彼はその妾にも裏切られたと感じ、自分の行いをさらに後悔し、「なんで、こんなことになるんだ」と世の中を恨むようになりました。

 天剣は屋敷を売り、しばらく酒に溺れていましたが、やがて乞食浪人となり、忘れたいと思いながらもロスロックの噂を聞くたびにその地域へ出向き、後をつけ、当然の天罰が下ることを願っていました。(話が長くなるので、続きは後日にします。朝ドラのトキの動きと合わせて、妖怪・女中女郎を考えてみまっす。上手く行くかなぁ?)

 さて、貧乏なトキにとって、月20円の給金は普通の女中の20倍にもなります。それはとても魅力的な条件ですが、トキはまだ妖怪・女中女郎にはなりたくありません。武士の娘が金銭のためにラシャメンになるなんて、世間の非難を浴びることは明白です。もしかしたら母親のシジミも売れなくなってしまうかもしれません。

 トキは錦織に「武士の娘の身体を売り物だとでも思っているのですか?」と問い返し、「私だって、事の成り行きぐらい分かっています。バカにしないでください。やりません」ときっぱり拒絶して貧乏長屋に戻った。

 その夜、トキはなかなか寝付けません。それで母親に怪談話を読み聞かせて欲しいと頼みました。トキの子守歌は、幼いころから怪談話です。

 つまり、妖怪・女中女郎は「女で生きていることが恨めしい~」という怪談話なのです。たぶん・・・?

 母親のフミは快く怪談をトキに聞かせてやりました。

 翌朝、二人は寝不足のまま花田旅館に向かい、いつものようにシジミを買ってもらいます。

 そこへ、出勤前のヘブンが階段を降りてきます。彼は何食わぬ顔でトキとフミに近づき、親しげに握手を求めます。

 そうです。外国人は、難しい問題があるときほど「自分は敵ではない」とアピールして、「とりあえず仲良くしましょう」と持ち掛けるのです。そして、仲良くする条件の中でいろいろ議論しながら可能性を探ろうとします。要するに、結果を重視した交渉ですね。

 しかし、日本人には、可能性について議論を始める前に答えがあります。その答えは結果としてのものではなく、自然な成り行きの中で生まれる成果ことです。その一部始終を言葉にすると「道」となります。武士の場合は「武士道」がそれに該当します。

 つまり、ヘブンが武士の娘をラシャメンにしたいのであれば、武士の娘が「武士道の道」を貫けるようにすれば、トキがラシャメンになる可能性があるということです。簡単ではありません。

 錦織が言ったように「家族が貧しくてお金が必要でしょ。給料のためにラシャメンになりませんか?」となるのは、武士の娘として、道に外れるのです。それは単なる見栄ではありません。最終的に良い結果を得るために、「道」を感じ取っているのです。それは自分自身と社会が進化していく道でもあります。どんな状況でもトキは、キリスト教でいう「神の御心の思し召すままに」という感覚を持っているのです。

 トキはシジミを売り歩きながら、小学校へ出勤するサワと話をしています。サワ先生の給料は4円です。ラシャメンの給金は20円です。お金は欲しい、でも、トキは、ラシャメンには成りません。

 二人が歩いていると、ラシャメンになり損ねたナミが徹夜で飲んだくれており、クダを巻きながら泣いたり笑ったりしています。彼女は「どうせ死ぬのに、ラシャメンも遊女も意味がない」と言いながらも、小さな祠にでも縋りつきたい気持ちを抱えています。

 ヘブンは、女中であるウメの目に、自分と同じ傷を見つけて助けようとしましたが、、、家族に売られたか、家族のために身を売ったかしたナミのことは助けようとはしません。そもそも助けが必要なのは、自殺未遂までしたヘブン自身です。このあたりの心情が複雑で難しいところです。縁があるのかないのかが問われる場面です。

 中学校でヘブン先生は英語を教えています。彼の努力のおかげで、生徒たちは英語を聞き取り、書き写すことができるようになっています。

 ヘブンは錦織にラシャメンを早く見つけてほしいと言っていて、それが見つかれば、すぐに旅館を出るつもりのようです。つまり、ヘブンにとって自分の目を傷つけた人間たち(親を含む)は、死ぬほど嫌いな生き物なのです。

 そうだねー、ここの気持ちが分からないと幽霊や妖怪の存在も理解できない。幽霊や妖怪を理解できなければ、正しい「道」や歪んだ「道」、そして間違った「道」といったものも分からなくなるかもしれないね。

 今朝のトキは、内職のポスターを納品する途中です。フミとトキで一か月間、ポスター塗りの内職をして50円弱の賃金です。「くーーーっ」と思うけれど、これも武士の娘の道。トキは明るく耐えています。

 トキもまた武士道の娘ですから、明日死ぬことがあっても、武士の娘として、この道に悔いはありません。…半分嘘です。だって、トキは妖怪が好きなんですから、正当な恨みが大好きです。正当な恨みこそ、・・・彼女の世界では絶対正義です。あははははっはっはっはっはの月光仮面。(調べてください)

 白い土塀の屋敷があり、トキがそこを通りかかると、雨清水家のタエが道端に正座して乞食をしていました。ただし、本人は人の助け合いのつもりなので、凛とした姿勢を保っています。タエは武士の時代の苦労を背負っているのです。お金で生きているのではありません。

 それゆえ、通行人がタエのお椀にお金を入れても、タエはお礼を言いませんでした。そのため、通行人はタエを叩いてしまいました。

 トキは、自分の生みの親が乞食となり、見知らぬ男に叩かれる様子を目撃してしまったのです。

 今までは、妖怪・小豆洗いだったトキですが、そろそろ妖怪・女中女郎に変身しそうです。

 今日は、妖怪・女中女郎は、「女の武士道」を生きているのかもしれません、の一席です。

 まーねー、「道」というのは、宇宙や自然のダルマ法則に基づくエネルギーの流れに乗っている時に現れるものなんです。つまり、「道」も空(くう)から自然に湧き出るエネルギーの経路であり、人間がその流れに動かされて歩んでいる姿を、自分の「道」を進んでいると見るわけなんです。

 つまり、物質的なことや金銭面とは無関係に、その人が正しい道を歩んでいるなら、それが自分の正しい軸(自分軸)だと言えるのです。このエネルギーの流れを乱さない限り、どんな状況でも受け入れることが大切です。イバラの道でも再生があるでしょう。

 しかし、この「道」が弄ばれたり、壊されたり、止められたりすると、それは全部で全ての終わりを意味します。ジ・エンドです。

 邪魔をするという意味や形ある物(偶像崇拝・主義崇拝)のために、無我であっても、そういう理不尽な道の人が終わるのであれば、それもまた良しでしょう。

 だからこそ、空からの「道」を知るために、空氣体瞑想を行い、空に触れておきましょう。いずれにしても浄化しておくことです。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトア(宇宙調和、サティア、サトワ)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、気づいた時、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。逆転しない聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 あと、精神的な面から内観すると、プラグタル構造でもあります。輪廻ですね。宇宙だけではなくて、なんでも外側からと内側から見るのでは、違いがあるのです。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「ばけばけ」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 トキと母親のフミは、朝早くからシジミを売り歩いています。フミは深夜2時半に起き、シジミをむき身にして1合4銭で売ります。それだけ、借金の取り立てが厳しいのです。

 二人は、いつものように花田旅館の女将にシジミを買ってもらいました。

 ヘブン先生が学校に出かける前に、司之介は花田旅館に牛乳を届ける契約なのですが、いつも時間ギリギリです。そして今日は遅刻してしまい、収入にはなりませんでした。

 旅館の主人とヘブン先生はまだ喧嘩しています。主人がウメの目の傷を軽く考え、ヘブンと約束したのにも関わらず、病院に連れて行かなかったのが原因です。

 ヘブン先生は、自分が片目になった原因を思い出したくないため、この旅館を地獄だと表現します。しかし、主人には彼のその気持ちを察することが出来ません。

 中学校に到着したヘブン先生は、錦織に家を探すよう指示しました。ヘブン先生は、錦織が旅館との宿泊交渉に失敗したと考えています。しかし、錦織は旅館を勝手に変更したのはヘブン先生だと思っています。この状況は外国人と日本人の考え方の違いを表しています。

 外国人は自分が気に入った旅館で、自分が快適に過ごせるよう契約を望みます。一方で日本人は旅館ルールに従い、時には我慢しちゃうこともあります。それが日本人の文化なのです。だからこそ、旅館の質が特に問われます。旅館が一度失敗すると何も言わない客はもう泊まりに来ません。しょうがありません。

 錦織はまず、江藤県知事を訪ねてヘブン先生のための家を借りる許可を得ようとしました。知事は、ヘブンの給料内で賄える範囲であれば問題ないと答えました。

 それと、慣れない日本でヘブン先生が一人暮らしをするのは難しいので、家事を手伝ってくれる女中さんが必要だと言うのです。ただし、その女中さんは夜のお相手もできる人がいいと、県知事が、県知事が、県知事が言うのです。ちなみに、ヘブンは仮にも学校の先生です。ただ、費用はヘブンが負担します。

 知事としては、島根の発展や日本全体のことを考えているから、多少の薄汚れは気にしないというスタンスなんでしょう・・・かね。潔癖症の錦織も学校の先生ですが、こうした状況には憤慨してやり切れない思いがあるでしょう・・。言っても仕方のないことです。汚れた奴らのシッポを掴んだことにしましょう。

 遊女のナミは新聞記者の梶谷から、錦織が家事や夜のお相手ができる女中を探していると聞いた。

 ナミは給料が良いという理由でラシャメン(異人の愛人)になりたいと思っていました。しかし、ラシャメンになると世間から強い非難を受け、悪口を言われたり、石を投げられたり、つばをかけられたり、挙句の果てには身ぐるみを剥がされて木に縛り付けられることもあったようです。中には、そんな仕打ちに耐えきれず海に身を投げた人もいるそうです。ラシャメンにとって異人に耐えるよりも世間様の冷たさに耐える方が辛いのです。それでもナミは震えながら頑張るつもりです。

 8人兄弟の長女であるナミは、借金を返すという親孝行のために身を売り、遊郭で身体を売る生活を送っています。それでも、せめて、何かの幻でもいいから光が見えるのなら、ラシャメンにでもなりたいと願っています。

 ヘブン先生は、花田旅館の女中ウメに家事のことを頼みたかったが、彼女はラシャメンにはなりませんでした。

 で、錦織はナミに頼むことにした。すでにナミとヘブンは顔見知りで、ナミは家事一般や料理も出来るし、夜のお供も問題ありません。ナミはヘブンのために弁当を作っていて、ヘブンは美味しいと言って食べました。。。が、ヘブン先生はナミが遊女だからか、女中にできないと断りました?ナミからすると賃金が安かったのかな?

 確かに、外国人からすれば、ナミは売春婦です。だから信用できないでしょうね。お金を持ち逃げするかもしれないと考えるのが普通。ヘブン先生自体が日本人を信用していないでしょうしね。

 困っていたのは錦織でした。彼はヘブンの希望もあり、トキにラシャメンになって欲しいと長屋まで頼みに来ました。トキの家族は貧乏で、シジミを売っているのに、シジミの味噌汁さえ食べることができないのです。

 今日は、トキがヘブン先生に身売りをするような感じです。ヘブン先生にはアメリカに奥さんがいます、の一席です。

 どうも、この朝ドラは、キャラクターの内容が濃い割に、その周辺情報が少なすぎて、見ていて戸惑うことが多いな。

 例えば、遊女のナミが8人兄弟の長女だったとしたら、遊郭での人生に至るまでにはさまざまな経緯がありそうだよね。そして、もしヘブンがアメリカに帰る時が来たら、ラシャメンになったナミも自由の身になれるんじゃないかな?どうだろう?

 いずれにしても、家族が生きるために、お金に縛られているのが現実だよね。お金に縛られてみんな現実に留まっている感じがする。とどのつまり、全部、生きるためなんだよね。まあ、サラリーマンも同じようなものだけどね。

 生きたいと思うなら、永遠の命について知るべきだと思います。キリスト教では、永遠の命を「(永遠の)命の木」として表現しています。

 永遠の命は空(くう)から流れ出る生命エネルギーです。それは「永遠の生命の氣」であり、キリスト教では「(永遠の生)命の木」と言っています。だから、氣と木の違いです。これは、知覚方法が違うということであり、エネルギーと映像の違いです。簡単ですね。

 だから、生きたければ、空気体瞑想をして、空(くう)に触れて、空から流れ出る永遠の命である氣の流れを知るだけでいいんです。それを知れば、まずは心が落ち着くでしょう。そして、そこからいろいろなエネルギー反応による変化が起こるかもしれません。

 現実に縛られすぎて手遅れになっている人もいるかもしれませんが、現実を物質化現象と捉えれば、変化してくる人もいる・・・かもしれないね。まずは、諸行無常です。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトア(宇宙調和、サティア、サトワ)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、気づいた時、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。逆転しない聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 あと、精神的な面から内観すると、プラグタル構造でもあります。輪廻ですね。宇宙だけではなくて、なんでも外側からと内側から見るのでは、違いがあるのです。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「ばけばけ」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 

 今日はヘブン先生の初登校日です。もちろん授業経験はありません。先生としてのデビュー戦なので、彼はとても緊張しています。それでも食欲はあり、夜には日本酒を楽しみたいようです。彼にとって仕事よりも自分の気分が優先なのです。

 ヘブンは夕食を楽しみにしながら、今日一日を乗り切ろうとしています。

 ヘブンと錦織は松江中学校に到着しました。そこにトキの幼なじみであるサワが現れました。彼女は同じ敷地内にある松江小学校に先生として採用され、今日が初日です。まだ正式な先生ではなく、補助員としてのスタートを切ったところです。

 錦織が担当する教室では、生徒たちが期待に胸を膨らませてヘブン先生の入室を待っています。

 しかしヘブン先生は、教室の前の廊下を行ったり来たりして落ち着きません。緊張していて、今にも逃げ出しそうな様子です。

 そんな中、錦織が生徒たちにヘブン先生を紹介し、教室へと招き入れました。

 生徒たちは起立し、ヘブン先生に礼をする。

 緊張のヘブン先生は息を深く吸い、、、英語で「私は日本語が好きだ。でも、授業では英語だけを使う。それは、聞き取れるようになれば、話せるようになるからだ。君たち全員が英語を聞き取れるようになると信じているから、一緒に頑張ろう」と自信ありげに宣言した。

 生徒たちはそれぞれに知っている英語で「着いて行きます」などと意欲を示しました。彼らは本場の英語に触れ、新鮮さと魅力を感じたのです。

 ヘブン先生は準備通りに英語の授業をそつなくこなし、これから毎週20時間の授業を担当することになりました。

 錦織は、校長室にいる江藤県知事に、英語の授業が順調に進んだことを報告した。江藤県知事は、「松江と島根の未来に希望の光が見えてごした」と嬉しそうに言います。相変わらず単純で経済には疎いようです。錦織はいつものように、江藤県知事には頭が上がりません。雁字搦めになっています。

 初日の授業を終えたヘブン先生は、旅館に戻り、妻イライザに手紙を書いています。日本の学生に英語を教えるのは興味深く、難しいながらもやりがいがありそうだということや、それと同時に日本滞在記も順調に進めていることなどを伝えています。

 そこへ女中のウメが手洗い桶を持ってきました。ヘブンはウメの目を見て英語で「病院へ行ったのか?」と聞きましたが、ウメは「NO」と答えました。

 怒ったヘブンは、1階の調理場にいる店主を捕まえて「どうしてウメを医者に見せないんだ。約束しただろう。ここは地獄だ、地獄だ。」と英語で問い詰めます。店主は完全に怯えています。

 もしかしたら、ヘブンが目を怪我したときに、親に、軽傷だと思われて病院に連れて行ってもらえなかったのかもね。その結果、バイ菌が入って感染して失明した可能性があるかな?

 トキは、幼馴染みのサワが先生になったことを喜び、野の花を花束にし、お祝いをしました。そして、二人で「やっと野津サワ先生になれたねー、おめでとう!」と空に向かって叫びました。しかし、サワの家は多額の借金を抱えています。

 そんな時、トキの家にも、いつも森山が借金を取りに来ました。と言っても森山の息子の方です。父親は急死し、息子は父の遺言で「貸した金はきっちり取り返してごせ」と言われているそうです。

 森山の息子が勘右衛門に「ジジィも働け」と言ったため、勘右衛門は「無礼者っ」と怒り、木刀を持ち出しました。

 まあね、金貸し(銀行も含む)に求められるのは、お金を貸した相手が生活の中や事業で稼げるようなアイデアを提供することだと思う。ただ、そんな素晴らしいアイデアがあれば金貸しなんかせずに自分で事業を始めるだろうけど、、、どうやら銀行や金貸しは新しい事業を始める気はない・・らしい。金貸しよりもリスクが大きいのでしょう。

 考えてみると、金融の裏では、株などを通じてお互いが「阿吽の呼吸」で上手くやり取りしている可能性もあるよね。大学生がチームを組んで、株で大儲けをして捕まった件もあるしね。あははは。

 借金するにしても、させるにしても、どちらにも能力がなかったり、怠けていたり、役立つ仕事ができなかったりすると、お金のために女性が身体を売るか、男性が生命保険で支払うことになるのかもしれないね。

 そりゃあ、幽霊にも妖怪にもなりますよね。「恨めしや~」「憎らしや~」だね。NHK大阪の朝ドラって、いつも借金の話が多い気がします。大阪の大衆は借金地獄なのでしょうか?

 そもそも、江藤県知事は松江や島根を発展させたいんだよね。でも、なんで英語教育に力を入れるの?方向性が違う気がする。ポイントがズレている。

 松江の街に借金で苦しんでいる武家や大衆が多いのなら、経済的発展が必要だから、知事や錦織がヘブンにアメリカの商売や工場、職種などを詳しく聞いて、共同で新しい産業のアイデアを考えるべきだと思う。島根県人は英語が出来るようになったとしても、食べていけないような気がする。

 例えば、牛乳が高級品なら、バターやヨーグルトを作るのもありだと思う。昭和に紅茶キノコが怪しいブームになっていた頃、ヨーグルトは流行ってなかったと思う。紅茶キノコよりもヨーグルトの方がまともだと思うし、だからこそ、文明開化当時から松江をヨーグルトとシジミの街にしたら良かったんじゃないかな?その頃の健康志向の人たちが集まりそうだ。

 とにかく、ヘブンは新聞記者だから、いろいろなものを見てきているはずだし、松江や島根に合いそうな産業を思いつくと思うんだよね。それを否定せずに正しく吟味して、日本の発展に繋げていけたら良かったと思うな。その上で、英語が必要なら学習を始めればいい。

 つまり、江戸時代の百姓一揆が起った時のように、真面目に働いている人々が貧しいのは、政治のやり方が悪いからだと思う。高い年貢を取りながら、天候のせいにするのは違うでしょ?

 なぜ今までの政治がわざわざ悪い方向に進まされたかというと、戦争を起こして富の奪い合いをさせるためだろうね。そのようにすれば、支配者が必要になる。そして、その戦争の過程で武器を売って儲けている連中がいるわけです。戦争に勝てば官軍だし、彼らの後付けの理論は屁理屈ばかりです。

 そう考えると、ハーバード大学の経済理論は、経済や政治を悪化させるために存在しているように感じる。現実を見ると、特に日本に関してはそう思ってしまう。

 竹中平蔵もハーバード卒だけど、彼らは脳科学などを利用して感覚を悪用したり誤魔化したりして、自分たちが儲けることで世界の借金を増やし、それを戦争やインチキなSDGsで回してながら、お金を循環させていると思っているのかもしれない。そして、それを既得権益と呼ぶのかもしれない。石油や電力などのエネルギー産業、水道などのインフラ産業、通信産業なども既得権益なのだろうね。氣や生命エネルギーの流れを全く考えていない、ただのお金や物の流れであって、悪どい金儲け主義だね。破滅があるだけだね。銀行もそうだろうし、金貸しも既得権益なのかもしれないね。でも、その経済学は間違っていて、取り合いと潰し合いのためにある。つまり、最後の戦争のために有るわけです。困ったもんだ。

 今度の戦争では、世界をまともな経済にするために、日本がどんなことをしてでも勝ちましょう。

 今日は、もしかしたら経済学を洗い直し見直す必要があるかもしれないね。そうしないと、政治がまともになろうとしても、経済に対する誤った価値観が壁になって邪魔をしている可能性がある、の一席でした。

 説明しますね。

 お金や物質的なものが全く存在しなかったら、人間の動きは氣の流れそのものになるよね。氣の流れは生命エネルギーの流れでもあって、それ自体が一応、生きようとする力なんだと思う。

 その生きようとする力が、人間の場合は呼吸や食べることに繋がり、そこからお金や物の経済が生まれているように見える。人は必要だから(欲しいから)買うんだけど、そこには気の流れがあるのです。

 でも、お金や物の経済が全くなかったとしたら、その行動の純粋度やエネルギーの大きさに差があるにしても、人間の行動は、氣の流れや生命エネルギーの流れとその循環なんだよね。(この観点は、ベーシックインカムを投入する場合においても必要でしょう)

 氣や生命エネルギーの流れは、原初の空(くう)から生まれるものだから、純粋性には多少の差があっても、まずはお金や物、経済のことを考える前に、その空から生まれる氣の流れに気づき、感じ取ることが必要だと思う。

 そのためには空氣体瞑想を行い、空に触れ、正しい氣の流れや生命エネルギーの流れを理解し、今の地球と新しい地球での人々の動きを知り、正しい経済感覚と正しい政治感覚を身に付けたらいいと思う。

 まっ、別にしなくてもいいけどね。消滅すればいいんだからね。あはははは。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトア(宇宙調和、サティア、サトワ)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、気づいた時、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。逆転しない聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 あと、精神的な面から内観すると、プラグタル構造でもあります。輪廻ですね。宇宙だけではなくて、なんでも外側からと内側から見るのでは、違いがあるのです。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。