「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 昭和39年10月。東京オリンピックが開催されました。のぶたち夫婦はまだ長屋住まいです。田舎への仕送りが大変なのでしょうか?柳井家の分もあるからかもしれませんね。

 テレビでオリンピックを見ながら崇たちは「楽しそうだね。以前まで戦っていた国の人たちが集まっている。これが平和というものなんだろうね。続くといいな」と言い、蘭子は「昨日までの幸せが突然壊される。それが戦争というもやきぃ」と呟く。

 昭和41年(1966年)4月。

 才能クラゲ崇は、伊勢卓也が担当する漫画の主題歌の作詞を依頼され、いつものようにさらさらと書き上げた。

 崇には才能がある。しかし、新作「アンパンマンおじさん」の原画は、編集者から散々に酷評された。漫画とはいえ、腹の出たおじさんがあんぱんを持って空を飛ぶなんてあってはいけないことなのです。

 冷静に考えると、この世は、おばさんよりおじさんの方が生きにくいかも。「魔女のあんぱんおばさん」なら、認められたかも。。。

 いや、だからこそ、駅にいるおじさんが胸を張り手を腰にあて、売店で買ったあんぱんを食べ、牛乳を一気に飲む。その姿は、誰がなんと言おうと、昭和の正義を背負った姿であり、カッコイイのです。あんぱんと牛乳は、まさにオヤジの最高の贅沢なのです。至福です。はははは。

 世の中の人々は、オリンピックの後に幸せがあると信じていたのでしょうね。

 佐良直美 いいじゃないの幸せならば 歌詞&動画視聴 - 歌ネット

 崇は、人々が幸せになるためにオジサンがあんぱんを無料で配れば、絶対的なヒーローだと言っています。しかし、世間も編集者も、NHKディレクターの健太郎や加瀬卓也も、ヒーローはカッコ良くあるべきだと主張しています。

 あのね、崇君。たぶんね、あんぱんだけじゃなくて、牛乳も一緒に配っていたら、サンタクロースみたいな「幸せを届けるおじさんあんぱんヒーロー」になれたかもしれないよ?

 あとね、崇君。歳を取ると分かるんだけど、おじさんには、その人生経験をほんのり感じ取れるような、ちょっとした小道具が3つくらい必要なんですよ。

 それはね、無理に物である必要はなくて、駄洒落でも歌でも、話でもいいし、責任感や包容力でもいいんだよね。このあたりの何かに、失敗感とか謙虚さとか、「ダメさ加減の強さ」を感じさせるセンスがあって、枯れた自信を醸し出していると、それがおじさんの技と手柄になるんだと思う。解る?

 昔のCMで「男はタフでなければ生きていけない、しかし、優しくなければ生きている資格がない」という言葉がありましたが、アンパンマンおじさんをキャラクターとして売り出すなら、ポパイがホウレン草を食べて強靭になるように、オジサンがあんぱんを食べ、手を腰に当てて牛乳を一気飲みし、強靭になる。そんな至福をみんなに実感として伝える演出が必要でしょうね。

 のぶはいつも崇の味方ですから、まるでポパイに出てくるオリーブみたいです。

 そんなとき、いつもの喫茶店で、崇は女性編集者と何かの打ち合わせをしていた。そこへ、メイコが子どもを連れて現れる。崇が若い編集者とそわそわしながら内緒話をしているのを見て、メイコは浮気だと勘違いしてしまった。

 さて、のぶの誕生日がやってきた。のぶの長屋で、蘭子があんぱんのケーキを用意し、メイコとジュースでお祝いしています。牛乳じゃないのが惜しいですね。崇の作るキャラが売れないのは、こういうところに原因があるのかも。のぶのろうそくは4本、つまり40代ということですね。

 のぶへのプレゼントも用意されています。蘭子は山登り用の帽子を、メイコは自分でフランス刺しゅうを施したハンカチを贈ります。

 しかし、メイコは旦那の健太郎や崇の浮気?をほのめかしています。

 と、そこへ崇が帰ってきました。崇ものぶに誕生日プレゼントを用意していました。それは、自費出版で作った「ぼくのまんが詩集」です。

 えっ、自費出版?今のお金に換算すると100万円はかかるんじゃないかな。それでも、書店に並んで売れれば元は取れるけど、その出版よりも良い部屋に引っ越した方がいいと思うけどね。どうだろう。

 でもさ、自費出版にまで踏み切って行動するってことは、崇の人生はただ生き延びているだけであっても、ひらがなの「ぼくのまんがみいな人生」そのものだよね。現実離れしてる。それだからこそ、わざとらしいけど本質を突いている詩集なのでしょうね。

 蘭子は「ぼくのまんが(みたいな人生の)詩集」を「九州コットンセンター」の事務所に置いていった。

 八木はそれを読んで崇に、「お前の詩は、何気ない生活の中で、世間からバカにされている者たちが、忘れかけている小さな幸せを見つけるための叙情詩だ。さらに、まだ世間を知らない子どもたちが幸せを見つけるための叙情詩でもある」と評した。そして、「なんでもいいから、今は詩を書け。俺はそれを湯のみや皿に書く」と、新商品を思いついた。

 なるほど、才能クラゲ崇の作品は、書家の相田みつをの「人間だもの」と似た意味合いを持っているかもしれませんね。どちらも記念館が作られているのが興味深いところです。

 ドラマで、相田みつをの妻役を演じた薬師丸ひろ子によると、

「ロケ先で相田みつをの妻・千江さんにお会いした際、『苦労なんてしたことないわ』という言葉を聞きました。台本の文字だけを追うと暗くなりがちですが、私は、彼女を自分の中の真理や真実に価値を見出す女性として演じたいと思いました。千江さんは芝居をする上で大きな支えになりました」と述べています。また、薬師丸は、

「地元のスーパーなどでも、応対がとても親切で、ロケを見守る人々の目も温かかったです。みつをさんが今でもどれほど親しまれているのかを実感しました。どんなに落ち込んでも『生き方で返す』という夫の言葉に勇気づけられ、千江さんは御主人を支え続けてこられたのでしょう、と語っています。

 さらに、「みつをさんは説得力を意識して作品を書いていたのではなく、自分の気持ちを切り刻むように表現していたことが、演じる中でよく分かりました」とも話しました。

 相田千江の世界観は、のぶの世界観と一致しています。

 

 柳井崇の「ぼくのまんが(みたいな人生の)詩集」より、

 

 ちいさなてのひらでも しあわせはつかめる 

 ちいさなこころにも 幸福はあふれる

 わたしの指をしめらせて こんなに雨はふるけれど

 にぎりしめた手の中に

 ほんの小さな幸せがある

 

 今日は、のぶの忠君愛国の純粋な真心も、神風特攻隊の精神も、汚れた浮世でどうしても握りしめざるを得なかった拳があり、それは、手の平のほんの小さな幸せを守るためだったのでしょうね、の一席です。

 悪業から抜け出す術も知らないこの現世で、悔しさに握りしめた拳と頑なになった心。

 ほんの少しの幸せでは、泣いてもなかなか溶かせないかもしれません。だからこそ、全てが辛く感じてしまう。この世界が嫌になってしまう。

 そんな時は、空氣体瞑想をして、広大無辺な空(くう)に触れ、小さな幸せを空の層の中で広げましょう。それが、永遠無辺の幸せ、本当の至福意識です。

 まあ、シャボン玉を眺めながら幸せを夢見るのもロマンがありますが、やっぱり、おじさんの幸せは胸を張って手を腰に当て、「あんぱんと、牛乳ーーっ」、これですね。あははは。

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 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトワ(宇宙調和、サティア)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、気づいた時、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 のぶの家出は続いています。とはいえ、向かいの蘭子の部屋にいるだけなので、崇も特に心配していません。

 しかし、今のうちに崇の方から「戻ってきてほしい」と伝えるべきです。理由は結婚しているからです。放っておくとのぶがこじれてしまいます。責任感があるとしても、ダメな男はこういう時に迎えに行きません。

 クラゲ(崇)は才能があっても自分の感情しか見えていないので、のぶが必要なのです。しかし、彼はそれに気づいておらず、自分の作り上げた正当性を信じています。その正当性自体は間違いではありませんが、言ってしまえば、背骨のないクラゲである崇なりの、精一杯の正義なのです。厄介です。だからこそ、崇はこのような状況になったのも仕方ないと、受け入れているのです。

 あのね、崇君。その考え方が新しいものを作れない原因なんだよ。だから、そうなると追い詰めるしかなくなっちゃうんです。覚悟はいいですか?

 その証拠として、神様は崇に次々と新しい仕事を与えて慣れないことをさせているでしょ。わかる?つまり、新しいことに慣れる訓練をして、新しいものを生み出すための土台を作っているってことなんです。

 崇が、自分は悪くないと思っていても、七重の膝を八重に折り、「のぶちゃん、帰ってきて」と言えば、崇の心がより深く豊かになり、新しい創造性が生まれる可能性もあります。

 ただね、崇の場合は、ほとんどすべてを諦めて、線路の上に横たわったこともあるから、心が深くなるというのは難しいと言えば、そうなんです。だから、不可解。

 クラゲ(崇)がこの世を超えているつもりなら、のぶの愛や情をも超えなくちゃいけない、という感じです。この「超える」というのは、のぶの愛や情を無視したり捨てたりすることではなく、崇自身が、線路の上に寝ていた自分を越えるという意味です。

 具体的に言うと、親に捨てられた自分、幼い頃に弁当を取られた自分、軍隊でなぜか殴られた自分、戦争で殺し合いをしたくなかった自分などなど、、、それらを諦めたり意味を求めたりせずに、そのまま越えるということです。それは決して無視するのではなく、氷のようものを常温で溶かしていくイメージなのです。わかりますかね?

 朝市からの帰り道、のぶは崇を見かけて「朝ご飯は?」と声をかけた。崇は「喫茶店で食べる」と答える。時刻はもう10時近くになっていた。

 のぶは、夫婦げんかについて母親の羽多子に相談した。羽多子は東京に来て、喫茶店で義母の登美子と三者面談を行った。こういう時こそ、パワフルな女性たちによるチームプレーが求められる。

 登美子の話では、崇の名前は父親が中国の嵩山という山から取ったそうだ。少林寺がある霊峰です。あらら、これじゃあ「崇」というより「祟り」だね。あはははは。

 でもまあ、嵩山の少林寺と言えば、インドから来た達磨大師が開いた寺で、当時は正法が伝えられた場所です。今は中国共産党のせいで、どうなっているのか分かりません。

 あのね、社会共産主義と正法があるまともな宗教が結びつくと、正しい社会が生まれます。人間もまともになります。そうなると戦争が起こりません。そして、戦争がなければ、エセユダヤが儲かりません。だから、社会共産主義は初めに宗教を否定しているのです。中国人は騙されています。バレバレですね。

 それでも、突き詰めれば、正法とはダルマの法則であり、このダルマの法則が正義であるというのは普遍的な真実です。この普遍的な真実がアンパンマン正義と結びつくのでしょうか?・・・そう考えると本当に素晴らしいことですね。

 才能クラゲ崇は、すぐ近くにいるのぶを迎えに行くよりも、嵩山のようにじっとしているのでしょうか。でもね、それでも人間だから、飯を食べるし、糞もするんです。動かずにはいられません。線路の上で枯れてしまった崇のわずかな情は、のぶの気持ちに上手く反応できるのでしょうか?

(朝ドラの15分という短い枠で、かなり高度な台本、演出、芝居だと思います。あの世から達磨大師のテレパシーで導かれたのかもしれません。本当に良い経験でした。少林寺だけに、まるで百年くらい修行したような感覚です。あははは。)

 茶道の師範である登美子は、のぶが反省し、ダルマ法則の正義に対して弱気になっているのを見て、

「のぶさん、私、お茶を立てていると道を感じることがあるの。上手く言葉にできないけど、崇はやれば出来る子なの。崇の能力とのぶさんの愛が、うまくぶつかり合って純粋なものになることが、夫婦の道なんじゃないかしら。立てたお茶の色は緑でも、生きた木の葉のように鮮やかではないの。それは理想の色ではないけど、でも、味は飲んでみないと分からないの。安心感があればそれでいいと思うわ」と諭した。

 まったく、こういう時だけ正論を言うのが登美子です。未亡人羽多子も、「夫婦二人でで枯れていくのなら、ハチキンのぶも、世間様に踏まれても寂しくないがぁ」と付け加えました。

 のぶは山登りをすると決め、朝早く蘭子の部屋を出発しました。山道に入り、彼女が木の葉を踏むと、その柔らかな感触が心地よかった。

 同じ朝、崇はのぶを迎えに来たが、のぶは山登りをしています。崇は、のぶが自殺でもするのではないかと不安になった。

 頂上に着いたのぶは、山と一体となり風になった。幼い頃に走って風を感じた時のことを思い出す。こみ上げる感情に任せて「たかしー、やっほー!崇の、あっほー!崇のぼけちーん!風になって早く抱きに来ーい!」と叫んでみた。そして、・・・自分しかいない。。。

 逆説的ですけど、

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 そのころ、線路の上に寝た経験のある崇は、のぶが山で自殺するのではないかと考えつつも、のぶの言葉を思い出していた。彼は、自分の描きたい漫画を描こうと決意し、青ざめた表情をしている。

 そう、才能クラゲの崇は、いつものように追い詰められなければ動き出せないのです。やっと、のぶのあんぱんテレパシーが伝わりました。

 あのね、テレパシーが伝わる次元と現実の言葉を交わす三次元では、意識の波動が異なるから、あんぱんテレパシーもちょっとややこしくなることがあります。ご注意ください。

 夜になって、崇のいる部屋にのぶが帰って来た。彼女は山の風と自然の愛により、再生していました。崇は「本当に山に行ったの?」と尋ねる。のぶは「うん、風になってみた」と言う。彼女は、

「風になって自分を見たら、私、何者にもなれていなかった。。。忠君愛国の正義は戦争に利用され、浮浪児たちへの償いは政治家の人気取りに汚され。。。一度目の結婚では愛を育てる前に夫と死別。そして、私、崇さんの子どもを産めなかった。まっすぐ純粋に頑張ったけど、私、何者にもなれていない」と心を開いて泣く。崇は、

「僕はのぶちゃんのおかげで今の仕事があると思う。高知新報に入ったときも、のぶちゃんのおかげがあった。僕一人なら、未来のないまま、この浮き世で、死ぬことも出来ずに死ぬまで生きていただろう。それぐらいは僕でもわかる。だから、のぶちゃんの力を借りて、何かがおかしいこの世の中で、最後まで、のぶちゃんの真実を証明するのは、僕の役目だと思う。僕ら夫婦は、それででいいんだと思う。誰のせいでもない。幼い時から、のぶちゃんは僕にとって、そのままで最高だよ。一人であんぱんを食べるたびに、いつものぶちゃんを思い出している」と言い切った。のぶは、

「ありがとう・・」と言う。

 そして、二人は、崇が買ってきたあんぱんを食べました。

 その時の崇は、すでに愛と勇気と正義のアンパンマンのキャラクターを思いついていました。

 今日は、アンパンマンが、のぶの愛と勇気、そして正義の神髄を象徴していたのかもしれません、の一席です。(和至はアンパンマンを読んだことがない)

 人にそれぞれの生き様があります。その神髄は、空(くう)から流れるエネルギーでしょう。空氣体瞑想を通じて、空と触れ合いましょう。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトワ(宇宙調和、サティア)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 才能クラゲ崇は作曲家の伊勢卓也と組み、これからも作詞を手掛けることになった。また、卓也が担当するテレビホームドラマ「CQCQ」の脚本も執筆する予定だ。

 クラゲ(崇)は、いつ仕事がなくなるか分からない不安から稼ぐことに忙しく、漫画を描く気力が湧かないようです。さらに、手塚治虫の漫画を読んで、自分には才能ないと諦めそうになっている。

 ただ、崇は、ドラマの脚本にはストーリー構成が必要だから、長編漫画を描くための練習になると思っている。彼は夢を捨てたわけではない。

 のぶは、才能クラゲ崇が漫画を描けていないことを心配しています。のぶが叩き台になるようなストーリーを考えたらいいのにね。

 のぶは崇に頼まれて、依頼された絵を八木のオフィスに届けました。

 そのついでに、のぶは八木に「崇がスランプで漫画を描けていないんです」と相談した。八木は「彼が天才漫画家になるか、凡人で終わるかは、スランプでも苦しみに耐続けられるかどうかで決まる」と答えた。

 そもそも崇は、自分を慰めるために絵を描いていた。4コマ漫画も、自分を苦しめる周りの人々を滑稽に描きつつ、その中に温かみがあることで「面白い」と言われていた。だからこそ、周囲が協力的になるとネタが尽きてしまうのです。

 今の崇がまさにそれだ。周りから褒められて、たくさん仕事をもらっている。「名犬BON」も必要ない。まあ、4コマ漫画にするなら「才能犬BON」にして、小さなヤラカシを繰り返すとウケるかもしれないね。

 例えば、サラリーマン川柳みたいなイメージの4コマ漫画だね。

 「4コマで俺の人生笑うなよ」

 「4コマで上司がツボる俺スベる」

 ホームドラマ「CQCQ」は、アマチュア無線を題材にした物語で、その主人公は運動神経が全くなく、電波になって空を飛びたいという夢を持っています。このキャラクターは才能クラゲ崇が考案し、それを演出家が気に入ったため、崇は独学でセリフの書き方などを学び、脚本家を目指すことになりました。大変ですね。

 しかし、これで才能クラゲ崇が成功を収めるようなら、絵コンテも描けるし、この男は映画を作った方がいいかもしれない。

 いつもの喫茶店で、崇は「CQCQ」のスタッフと打ち合わせをしています。近くの席にのぶとNHKディレクターの健太郎が座っています。

 打ち合わせが終わると、すぐに銀座のクラブの美人たちが崇の席に3人も押し寄せて座り込んだ。同伴希望なのでしょうか?

 それを見たのぶは、「なによっ」と言って帰ってしまいました。しかし、女房が焼きもちを焼くほど亭主がモテるわけでもありません。美人ホステスたちは、人の良い崇に、自分の子供が描いた絵を見せてアドバイスをもらいたかったのです。

 夜の街でアホな男たちに愛想笑いを浮かべながら、作り笑顔で働く女の唯一の夢は、子供の成長だけです。子供が笑顔を見せてくれるだけで幸せを感じるのです。しかし、のぶには子供がいない…。

 夕飯の準備をしているのぶは怒っています。一方、崇は何事もなかったかのように帰宅し、のぶがヤキモチを焼いてくれたことに喜んでいます。

 でもね、崇君、そこは言い訳をする場面であって、喜ぶところじゃないんです。それに、クラゲ(崇)はまた自分の感覚だけを大事にして動いています。そこだけは天才風です。

 女房がヤキモチを焼いて怒っている時は、「やっぱり、家は(君がいることで)落ち着くなぁ~~」的な会話をした方がいいと思う。知らんけど。。。

 そういう訳で、のぶは、ムッカーっ、余計に腹が立ち始めました。もう、止まりません。のぶの中では、

『悪いのは、絶対、崇・・・』になります。これはしょうがありません。

 のぶは「崇さんの漫画はおもしろいのに、その好きな漫画をどうして描かないのっ」と崇の一番気にしていることをズバリ突きます。その言葉が刺さった崇は、

「僕が稼いで、のぶちゃんに楽な生活をしてもらうためなんだ」と、愛情を匂わせるように見せかけ、重荷を押し返します。さらに「僕にはもともと漫画の才能がない」などと、いつもの「たっすいがー」の甘えを口走り始めました。崇はのぶちゃんの母性に許しを期待しているのです。甘えたいのです。

 これにはのぶちゃん、ブチ切れた。女性の母性は甘えるためにあるのではありません。人間を育てるためにあるのです。必要なら甘えさせてくれます。これは神様が決めたことです。崇君。

 あとね、女の笑顔は努力です。だたし、本人たちは気づいていません。だから、そこは褒めても笑顔に甘えてはいけません。

 この件の始まりは、銀座のホステスさんが、子供が描いた漫画を崇先生に褒めてもらおうとしたことからです。ホステスさんは夜のお店に出勤するため、子供に寂しい思いをさせていることを自覚しています。それで、「崇先生があんたの漫画を褒めてくれたよ」と子供に伝えたいのです。そう言えば子供が喜んでくれると思っています。そこに嘘はいりません。そもそも崇だって、幼い頃に寂しさを感じて、絵を描き始めたんでしょ。それで自分の存在理由を探し求めたんでしょ。でも、のぶにはその辺がよく理解できないのです。

 才能クラゲの崇は、のぶの愛情のおかげで寂しさしかない心が、奇跡的に癒され、多彩な仕事に挑戦できるようになりました。その傷ついた心が癒された状態で、詩や絵、台本、テレビ出演に取り組んでいるからこそ、崇自身が味わい深く面白いキャラクターへと進化したのです。のぶちゃんがいなければ、崇の生活も仕事も成り立たないのです。

 そういうことを本能的に察しているのぶは、布団を抱えて家出しました。向かった先は、向かいの長屋に住む蘭子の部屋です。

 一方、アホな崇は銀座で美村屋のアンパンを二つ買ってきていました。夕食後に食べるつもりだったのでしょう。アンパンだけに、甘いなぁー。

 今日は、クラゲ君(崇)。ここはアンパンじゃなくて、香水とかバラの花束にするべきだったよ。まあ、お金はあるけど、支払いは健太郎もいたし、NHKディレターの付けにしておけばいいんじゃない。でも、そんなことをするとアンパンマンの正義が泣いちゃうね、の一席です。

 えー、夫婦喧嘩もこじれなけれ楽しいでしょうけど、まっ、危なくなったらとりあえず、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れ、下手な仲良しごっこをしながら、夫婦で視野を広げましょう。勇気と愛のアンパンマン正義です。どうでもいいか。

 意味不明だけど、とりあえず、クラゲ(崇)とのぶ夫婦に、「村田だっ。」。。。これを聞いていてたら、なんか、沁みる・・・

 村田英雄 夫婦春秋 歌詞&動画視聴 - 歌ネット

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトワ(宇宙調和、サティア)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 新番組「まんが教室」の先生役が必要となり、NHKディレクターの辛島健太郎が崇の長屋を訪れて、才能豊かな崇にその役を引き受けてほしいと依頼している。

 のぶは面白そうだと賛成していたが、崇は代表作がないので自信がないと断っています。

 ただ、もし代表作があったらギャラが高くて頼めないでしょう。しかし、作詞家の「やなせたかし」としては有名人です。まあ、ちょうどいいところだと思います。健太郎も意外に仕事ができます。

 才能クラゲ崇は、健太郎にファイティング柳井として、「がんばりんしゃいっ」と言われ、「しゃい、しゃい」「ハイ、ハイ」と、引き受けました。持つべきものは友です。

 さて、いよいよ生放送当日です。撮り直しはできません。長屋で、のぶ、蘭子、メイコ、そしてメイコの子供二人はテレビの前に座り、応援しています。

 しかし、崇は緊張して上手く話せません。司会の落語家に助けられながら、なんとか番組が進んでいきます。どこが漫画教室なのか分かりませんが、才能クラゲ崇自体がキャラクターであり、まるで動く漫画そのものなのでしょう。

 そう考えると、崇は亡くなった後も朝ドラに取り上げられ、再びNHKに協力しているんですよね。崇の存在理由は、その存在自体がユニークだからこそ、言ってしまえば、誰かに利用されることが役割なのかもしれません。登美子も茶道教室で、有名人である崇を利用しています。…そこが何とも切ないですね。ははははは。

 御免与町の羽多子からのぶに電話があり、テレビで崇を見たと会話した。彼女は、のぶ、蘭子、メイコ、そして二人の孫たちと話をするうちに、東京へ行くことを決めます。

 夜になり、よれよれに疲れ切った崇が帰宅しました。ここは三番目のメイコの出番です。その前に、メイコの子供たちが崇に懐いて癒しています。

 その様子を見て、のぶは子供が欲しくなりました。

 さて、羽多子がのぶの家を訪れた。彼女は康太を連れており、彼は朝田家にあったラジオを背負ってやって来たのだ。

 康太が羽多子について来たのには理由があります。彼は商店街にある朝田家で「たまご食堂」を始めたいと考えているのです。その相談をするためもあり、羽多子はのぶたちのところを訪れたのです。

 「たまご食堂」と名付けたのは康太です。その名前の由来は、彼が中国の戦地で飢えに苦しみ、農家に食べ物を奪いに行ったとき、親切にもゆで卵を分けてもらったのですが、その味が忘れられなかったからです。ただ、その農家のおばちゃん、実は、中国の偵察隊だったんです、、、けどね。

 康太はその恩を感じて、これからはお金のない人たちには無償で食事を提供すると言っています。羽多子もそれに協力するつもりです。

 (なんだか、NHKの役員に中国人がいる感じがする。それで、中国の評判を良くするために、神聖な朝ドラにプロパガンダを混ぜているようだ。でも、すぐにバレる。日本では、そういうことをすると嫌われるけど、それが外国人には分からないんだろうね。その点につては、欧米人も同じだけど、日本人が親切そうに見えるから、本気で怒るまで気づかないんだろうね。あはは。)

 羽多子は御免与町で頼られる存在となっていました。そのため、のぶたちが東京に住むよう勧めても、乗り気にはなりませんでした。羽多子はあんパンを二度ほど焼いてみましたが、フーテンパン屋の草吉の味には及びません。

 のぶは仕事を辞めて家事に専念していますが、平凡すぎると感じ、大志を抱けていないと悩んでいます。彼女には子供がおらず、家事だけではエネルギーが有り余ってしまうのです。冷蔵庫と洗濯機があるだけで、家事がだいぶ楽になった様子です。これは困った状況だね。

 生活に特に問題がないはずなのに、のぶは力が有り余って、その幸せにどこか空虚感を感じているのかもしれませんね。

 おい、才能クラゲ崇よ、飲み屋のおねえちゃんと浮気でもするか?楽しいぞぉーー。でも、少し危険だな。漫画が売れてない状況だしな。

 のぶはどうするんだろう?忠君愛国の精神を胸に、政治家を目指して選挙に立候補するのかな?

 今日は、仕事を辞めたのぶは、家事だけでは力を持て余してしまい、悶々としています。あんまり関係ないけど、THE 虎舞竜 ロード 歌詞&動画視聴 - 歌ネット、の一席です。

 あのね、余った力がある時こそ、創造性を発揮しましょうよ。便利グッズを考えて実用新案を取ったり、詩や絵、ストーリーを作ったり、庭で花や野菜を育てたり、たまご食堂で使えそうなレシピを考えたり、やれることは本当にたくさんあると思うんだよね。

 そして、女性は男性によって「女」にしてもらう感覚があるのかもしれないけど、それは一度横に置き、多くの女性たちが子供を育てることで自分も成長していると言っているのだから、のぶは、自分の魂を育てる気持ちになればいいと思う。女の不満の半分は、無理して頑張っているのに、恋や愛、亭主や家庭、仕事やお金のことで、自分の魂が成長してくれないところに原因があると思う。特にろくでもない男に魂を汚されたら悔しい。女性、「だって綺麗になりたいもん」、だね。

 そういう理由で、悪いのは、女性を認めない男性や男性中心の社会だと言いたくなるのは分かる。その点では半分くらい当たっていると思う。だから、女性たちは自分たちの創造性を発揮して頭角を現せばいいと思う。羽多子のようにね。今の時代、それが必要だと思う。赤ちゃんを産むことも、芸術を生み出すことも、どちらも神の創造性だよね。女性にはそれが備わっていて、男性とは異なる質の創造性があります。それだけの話だと思うな。

 家事だけではエネルギーが余って悶々とする女性は、空氣体瞑想を取り入れて、空(くう)に触れることで、自分の魂を育て、創造性を磨きましょう。そうすれば、日々の生活がもっと楽しくなるでしょう。

 エネルギー不足を感じる主婦も、空氣体瞑想でエネルギーを補給しましょう。簡単な方法です。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトワ(宇宙調和、サティア)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「人生ドラマ」は、死の観点から見れば幻想です。死は、魂の観点から見れば幻想です。魂は大霊(純粋空・じゅんすくう)の分け御霊(みたま)であり、その魂の観点から観れば、この世は善性です。そして、この世は光の法則が織りなす幻想です。その幻想が自然な流れであるから、本当の喜びと楽しさに繋がります。目覚めてください。悪は勘違いをしています。

 

 おはようございます。以下は、空氣体瞑想を広めようと思って書いています。文字の書き間違いがあるかも知れません。(朝ドラについては、真ん中ごろにあります)

 空気体瞑想は、酸素、二酸化炭素、プラナエネルギーなどを意味する「空気」を方便とした瞑想法です。私は空氣体瞑想の創始者です。

 空氣体瞑想のやり方は、文章の終わりに記載されています。それが基本で、全てです。そこだけでも一読いただけると幸いです。

 過去からのいろいろな瞑想法もありますが、それらは真っ透明な空や空性(くうやくうせい)が元になっています。空氣体瞑想は、今、ここ、身の回りにある透明な空気を方便として、各種瞑想法の元である真っ透明な空や空性へ入ろうとする瞑想法です。最も直接的な瞑想法と言えます。
 時代は、この空や空性を明らかにするところまで来ました。そこにしか、本当の意味での「救われること」はありません。今を超えて行きましょう。その後の行動は、その方の意識レベルともともとの器次第です(←これが、主なる神様の言われているところの「多様性」の真の意味です。人間の方から見ると、抽象的です。具体化をすると壁になります。神の言葉は、人間の意識の向上が目的です)。

 地球は、太陽系の惑星と共に天の川銀河の中心へと近づいており、エネルギー価を上げています。その地球上にいる人間の肉体もスピリチャル(精神)も、エネルギー価を上げながら常に進化していくことが、生命の本筋です。空気体瞑想をして、その本筋の流れに乗りましょう。←これが道です。

 魂は、エネルギー価が上がることを好むようにできています。そのため、生と死と消滅と永遠(宇宙)を超えるようになり、進化と開放と自由への道に繋がるのです。これが意識の向上です。

 主なる神様が意図するところの自由や自由感、調和とは、客観的に観ると、「自由」と「神様(自然・天然のダルマ・宇宙自然の道理)の調和支配」が丸ごと融合していて・・・さらに、その融合は、進化や自然・天然のダルマエネルギーの流れ(法則)によって、再び融合(調和=サトワ)したものなのです。←ここは重要です。

 つまり、神の調和(サトワ)や制御感は、自然法則のエネルギーの流れ(氣の流れ)に乗っ取ったもので、それは美しく清浄な自由の世界なのです。

 自分の中心に「透明な空」を意識して、勇気を出して進みましょう。

 「空や空性」と「深層意識の一番深い所」との共鳴率を、10段階(10段階目は空となります。この空の中に不退転の意識3段階があります。)とするならば、共鳴率が、5,1以上あれば善性です。4,9以下なら悪性です。人生模様がドラマであるとするならば、それは善悪の基準です。

 その上で、この世とあの世のエネルギー反応のシステムは、あの世の天国と地獄を含めて、本質的なところでの勧善懲悪なのです。下手な理屈ではありません。

 そういう仕組みですので、自分の中に空性を増やしましょう。自他の進化に対する貢献に繋がります。(無相の)徳を積むことになります。善きカルマが徳のある業として、生死を超えて善き事象となり帰ってきます。

 なお、無料であり、会員制も取っておりません。こちらからの連絡はしておりません。[プロフィールをご覧ください。] お礼については、生命の進化への喜捨(協力・布施)として、一日参りにお経を唱えさせていただきます。

 

 「あんぱん」、観ていますか?以下は、空氣体瞑想を紹介するために書いていますので、モデルはあるものの、ドラマなので解釈の仕方はいろいろな形になります。あと、日本語で書いていますから、英語に翻訳すると意味不明になるかも知れません。悪しからずです。

 

 

 

 

 義理の母である登美子の茶室で、のぶはお茶をいただいている。彼女にとっては、悩んだ時の登美子です。のぶも着物を着ればいいのに、御免与町に置いてきたのかな?

 のぶは忠君愛国の純粋さゆえに失業し、正義が見えないままです。登美子は「この社会で女性が外で働くのは簡単なことじゃないのよ」と諭しました。

 その言葉の裏には、『私はそれを知っているからこそ、作り笑顔で3度も男を取り込んで、今は豪邸に住んでいるの』と、言い、自己正当化の気持ちが見え隠れします。まあ、それについても、過剰な気遣いや親切心が必要なので、それもまた大変なことです。

 登美子は「崇もこれで安心して仕事に打ち込めるんじゃない?(あの子にはしっかり親切にしてあげなさいよ)」と姑らしいアドバイスをしました。抜け目がありません。

 そんな登美子は茶道教室を始めていた。お弟子さんの翁と和服姿の中年女性がやってきました。登美子がのぶを紹介すると、有名作詞家、柳井崇さんの奥様だとすぐに判明した。

 やればできる子の崇は、登美子の自慢の種です。彼女によれば、崇は絵を描いていた少年、ではなく、父親の影響を受た文学少年だったとのこと。

 登美子は表面的な嘘をつくのが得意です。一方で純粋派ののぶは、夫を褒められるたびに顔を赤らめています。

 だよなー、崇が文学少年だったことはない。実際のところ才能クラゲの崇だからね。そう考えると、どんなにズバ抜けた才能があっても、その男の出世には奥さんのテレパシーと努力が影響しているのでしょうね。

 うーん、女の幸せって、この世の酸いも甘いも全部味わうことなんだろうから、色々考えちゃうなぁ。

 手間のかからない男は打算的かもしれないけど、世渡り上手で生活は安定する。でも人生でのホームランにはならない気がする。

 素質と才能のある男は手間がかかるけど、人生でホームラン的な成功をもたらす可能性がある。

 結局、崇が夢を追いかけるからこそ、のぶは酸いも甘いも味わえるのかもしれないのです。あははは。

 そういえば例外もいる。野球の大谷選手は一人で成功して、嫁をもらって、さらにさらに良くなった。女性は、宇宙からの使命を持つ男性を選ばないといけないのです。…嘘です。いえ、本当です。まっ、どうでもいいか。

 長屋に戻ったのぶは、崇に登美子の様子を伝えた。崇は「あの人なら、絵を描くしかない孤独な気持ちを無視して、僕を文学少年にも、医者を目指していたことにも、仕立て上げるだろうね。僕の詩がヒットしたことで、生徒が集まりやすいと思って茶道教室を始めたのかもしれない。のぶちゃんの純粋さとは違い、一筋縄ではいかない人だから」と冷静です。彼は母性愛に包まれていることから脱皮し始めているようです。もしかすると、崇はクラゲから、卒業できるかもしれません。

 しかし、のぶは何気にその純粋な気持ちで「崇さんが思うように、好きな漫画を描いてくれたら、私はそれが一番うれしい」と言った。その言葉は、文学少年にされてしまった崇の胸を、グサリッ、と包丁で刺すようなものだった。重い一言です。

 そもそも歌詞を書くように促したのは、のぶです。そして、その歌は大ヒットしました。女の矛盾した行動は、男を鍛えます。・・・生きるのがしんどい。。。

 たぶんね、のぶの純粋さは正しいものなんだと思います。でも、それが、世間の人たちからすると、自分の醜さや妥協点に突きつけられた刃物のように感じるのかもしれません。結局いつものことながら、純粋性の少ないタダレタ世の中が悪いんです。

 そのこととの兼ね合いで、男と女のそもそも論を言うと、聖書のエバは、蛇に中央の木の実を食べても大丈夫だと言われたことで、アダムを喜ばせたいがために、二人で木の実を食べたのです。ゆえに、エバに悪気はありません。それは彼女の愛情から来るものなのです。だからこそ、エバは自分が悪いとは感じていないのです。

 そういうことだから、崇(アダム役)はまず、のぶ(エバ役)の「気持ち」を気遣ってあげる必要があるのです。そうしないと意味不明のヒステリーを招いてしまいます。

 一方、蘭子は宣伝用の文章作成に苦戦しましたが、三度目に提出した原稿で八木からOKをもらい、ほっと一安心しました。

 八木は蘭子の書いた映画の記事を毎回読んでいた。蘭子はそれを嬉しく思っていたが、八木は「初めの頃は良かったけど、最近は監督や俳優の批判ばかりだ」と注意した。蘭子は、

「映画雑誌を売るためには、そうするしかないんです。気になる映画を観たい人は、放っておいても見ると思います。でも、気にならない人にわざわざ興味を持ってもらうためには、監督や俳優をコケにするくらいに辛辣さがないと、彼らに自分の目で確かめようと思ってもらえないんです。私もそうだけど、映画好きになる人は、心に少し癖のある人だし、そういう癖を喜ぶんです。だからその人たちは、あえて映画の世界に浸りたいんでしょうね。私は人それぞれの感じ方の角度を見極めているつもりです。」と答えた。八木は深く息を吸い込み、

「でも、映画を愛している君が、一番傷ついている・・・」と鋭く語った。蘭子は、

「じゃあ、八木さんはどうなんですか?相手を思っていても、どこか心を開こうとしない。悲しみをえぐられるのが嫌なんじゃないですか?どこかにあるのに消えてしまったようなニヒルな愛情は、純粋な女性の一生懸命さを無駄にしています」と鋭く返し、そのまま帰っていった。

 この言葉に八木は、男の背骨をえぐられたような気分になり、その場で立ったまま死んだ・・・。はははは。

 蘭子の一撃は、漫画「北斗の拳」の連打を超える破壊力です。・・・以上、現場からお伝えしました。

 数日後、蘭子は次の仕事の件もあって八木の事務所を訪れ、謝罪をした。八木は「感性が求められる仕事だから、何でも言い合える方がやりやすい」と答えた。

 八木はコーヒーを二杯用意し、蘭子に手渡した。二人は向かい合ってソファに腰掛け、会話を始めた。

 蘭子はのぶから八木の家族のことを聞いていたので、「ご家族は戦争で…」と確認した。八木は、

「俺は絶対に生きて帰ると言ったが、復員すると、福岡の空襲で妻と子が亡くなっていた。俺が死ねば家族が助かったのかとも考えた。それで、東京のガード下に流れ着いた。そこで孤児たちと関わるうちに、まだ俺の存在する理由があるように思えたんだ。だから、孤児たちにパンを食べさせ、本を読んで聞かせた。そして、この会社を作った」と言う。

 蘭子は、必ず生きて帰ると言っていた最愛の豪が戦死したことを伝えた。

 二人は、どうしていれば最愛の人が生き残れたのかを深く自問しながら、コーヒーカップの湯気をじっと見つめいた。

 さて、長屋ののぶと崇ですが、蘭子が八木に恋をしているのではないかと話しました。崇は「それはないだろう」と言いますが、彼がそう言う時には、大抵あります。

 と、蘭子が玄関の扉を開けた。そして「ご心配なく。私は、一生、恋愛らあ、せんので」と怖い顔をして言い放った。

 えー、これはですねー、『この世に存在していても意味がないかもしれない』と思ったことのある男女の恋物語の始まりです。愛情が切ないと感じた八木と蘭子の恋です。激しくえ上がるしかありません。

 今日は、幸せになれそうな蘭子の後に、NHKディレクターの健太郎が訪れ、崇も幸せになれそうな仕事を依頼しました、の一席です。

 みんな幸せになりたいのですね。それなら、空氣体瞑想をして、空(くう)に触れ、魂と空とのつながりを感じ、安堵感や至福感、至福意識を体験してみましょう。それが不退転の意識であり、金色の生命エネルギーが湧き出る場所でもあります。その金色の生命エネルギーを通じて、尊い気持ちで恋をしましょう。それこそが大切であり、空からの愛なのです。どうぞお幸せに。

 

 今日も、宇宙の外側からと内側から来る大浄化と癒し、修正と修復、善業の自業自得の強化、空や空性による裁き、サトワ(宇宙調和、サティア)のエネルギーの流れに乗って午後の行するよ。この流れは止まらないからね。

 

 可能なら、静かに座って空氣体瞑想をしましょう。

 まず、透明な空氣(酸素や二酸化炭素やプラナエネルギー)のようなものに包まれている事を思い、その後、身体全体で透明な息をしている感じになり、・・・魂もそうなり・・・そのようにして行う、空氣体瞑想(真聖吉祥瞑想)をしましょうね。

 そこで雑念や考えている状態が出て来たら、それら自体に気づいた時に、いつでもどこでも透明な空(くう・そら)に意識を向けて、深呼吸をして、透明な空氣(空)に戻りましょう。←ここは重要です。

 それから、また、空氣体瞑想を続けましょう。そして、同じように雑念が出て来たら、同じように空に帰りましょう。

 瞑想を止める時は、何度か深呼吸をして、ゆっくりと動き始めましょう。

 透明な空性の中でのありのままの現実と自分自身を認め、その向こう側からの、空性に基づいた自然(天然)なダルマ法則の、無限のエネルギーの流れ感じ、その中で、その無限のエネルギーを吸収しながら放出し、浄化されながら癒され、清らかになり、昇華されながら強くなり、進化しながら、美しくなって、平らけく透明に安らけく広がって、法恩感謝、神恩感謝して行こうね。この気の流れは神にも悪魔にも、何者にも止められないからね。聖なる道だからね。天国への道だからね。お祈りしておくね。お祈りしなよ。

 

 

 参考までに、和至の感じていることを書いておきますね。

 

1,宇宙の形は、トーラス構造だと思います。バブルリングのような動きで中心から広がっているのかも(誰か計算式を発見してください)。

 人間の生命磁場の形もトーラス構造だと判明しているらしいから、共通なところがあって当たり前です。

 

2,3次元宇宙では、物質の壁、音の壁(音速の壁・言葉の内容の壁)、光の壁(光速の壁・見え方の壁)、重力素粒子の壁(重力・引力・邪見・主義・価値観・嘘・洗脳などの壁)、透明な壁(精妙性の違い)がある。

 重力素粒子の壁を越えれば、外宇宙(=3次元宇宙の外)がある。外宇宙は、空(くう)と空の精神性(=唯一の意識)で形成されている。空による形成作用(=アカーシャの形成作用)もあるようです。(ちなみに、空の中でエネルギーの動きがあって、それは不退転の意識だと思うのですが、その不退転の意識方から、3次元宇宙は生まれていると思います)

 

3,3次元宇宙内の最高進化惑星は、13聖天サナヒラーズラーゲン(シャンバラ・桃源郷などと呼ばれたのかも)だと思う。そこはたぶん、13次元で、3次元宇宙では13次元以上はないと思う。この場合の13次元と言いうのは13段階目の進化ということです。宇宙の初期のころからあるようです。

 

4,サナヒラーズラーゲン惑星は、地球とよく似た風景だけど、惑星の周囲では、たぶん、時空の調整をしているので、大地は平らです。一部は重力素粒子を超えて、外宇宙に繋がっているかも。重力はないかも。(どこかの国では、地球は平らだと言う説がありますが、あれは、たぶん邪見に落ちています。彼らがビジョンとして観たのならば、その体験はサナヒラーズラーゲンを観ているわけで、観たビジョンを地球と間違えているかも)

 

5,サナヒラーズラーゲンよりも、遥かにいいところが、外宇宙(空と空の精神性、空の形成作用)です。清浄です。大神様たちの世界かも?3次元宇宙の内側から説明するには、重力素粒子の壁があるために、読んだ人が邪険に落ちやすいので、詳しくは書けません。

 

6,3次元宇宙での宗教の要素は、空(くう)と自然なダルマ法則(逆転できない回転とエネルギー(氣)の流れ)と人格神だと思います。人格神は分かりやすいですが、空と自然なダルマ法則が分かりにくいので、それらを理解するために教えと戒、道徳などがあります。それでも、思考回路が重力素粒子の壁の影響を受けると、すぐに邪見に落ちます。

 

7,さて、現在の地球意識の進化状態は、集合意識の深いところで新たに清浄化が進み始めた感じです。つまり、なーなーの仲良しごっこの関係、ギブアンドテイクや清浄な自利利他の関係、さらに、和や調和、サトワ(大調和・宇宙調和)の関係の全てにおいて、大浄化が進んでいるということです。表面的には荒れるかもしれませんが、どうでしょう?

 

8,なお、3次元宇宙側では、お経や聖書などの言葉による説明を含めて、およそ説明されるものは、全て方便になると思います。だからこそ、説明された言葉を感覚的に理解するが難しのです。これは神代の昔からそういうことです。

 

9,今の数学では、「無限(∞)は数字ではない」とされていますが、∞対∞でもエネルギー反応があるので、∞を数字化して、新しい数学を造る必要があると思います。勘です。

 例えば、∞×∞=0なのか、∞なのか、1なのか。∞×∞分の1=0?、∞?、1?。∞×0=0?∞?1?などを証明できたらいいですね。

 証明するためのヒントは、円周率πやeなどの無理数と∞の関係を考えたらいいのかも。

 さらなるのヒントとしては、無理数の無限に続く小数点以下を、素数個で区切るのがいいかも知れません。π=3・14は、素数が2個か3個。π=3・141なら、素数が3個。π=3・14159なら、5個、という風に区切って、考えるのはどうでしょう。これは世界観になります。

 パラレルワールドのような感じで、数字の個数で区切った世界が出来るからです。和至の勘です。

 ∞を数式化することで、集合意識が重力素粒子の壁を越えやすくなって、人類の集合意識の進化が進むと思われます。これに反対する人は悪魔系ですね。悪魔は進化を妨害します。無限は世界を救う、いや、善い世界を作る。

 

10,空(くう)と言うのは、3次元宇宙の元であり全てを包括しているのですが、絶対的に(3次元で宇宙で言う)物質やエネルギーではないようです。なので、人間の意識が空を知って、それに染まって行くと、3次元宇宙に存在しながらでも全く別のものになります。解脱者ですね。

 空を知った上で、解脱した者が、3次元宇宙を同時に包括している(大乗仏教の考え方?)というのは、たぶん邪見に落ちていると思われます。3次元宇宙の者と空による解脱者は、まるで違う世界の存在なのです。

 なので、空を通さないと、両者のコンタクトや相互理解は難しいようです。しかし、だいたいは通じているつもりになっています。それでも生活は成り立ちます。つまり3次元宇宙を包括しているのは、解脱者ではなくて人格のない空だけです。ここがちょっとややこしいところです。

 

11、重力素粒子は、3次元宇宙にあまねく行き渡っているように思います。3次元宇宙の外にある空の意識を知覚すると、重力素粒子は3次元宇宙の壁のようにも思います。どうもこの辺が、なぜそうなのかを上手く説明できないのです。

 さて、重力素粒子はあまねく行き渡っているので、その振動数によって、邪見に陥りやすい面があります。

 宇宙創成からの古代史が書かれている聖書やお経、各種の神話、OO文章、OO口伝、などなどは、それぞれに同じところもあれば、違うところもあります。

 これらの違いは、覚者の意識が悟りの領域にあったとしても、「言葉」の性質として、「言葉」そのものが重力素粒子の壁を超えていないので、「言葉」を読む(で感じる)人が「集合意識的パラレルワールド」の邪険に落ちているように思われます。

 そういう邪見に落ちないために、重力素粒子の壁を空の意識によって超えるべきです。そんなに難しくはないかも?

 

12,時間について。

 時間は、「意識の回転数=意識の波動=意識のスピード」とそれらを流れるエネルギー量(=空との共鳴率)で決まると思います。神様の一日は人間の千年と言われます。兜率天の一日は人間の四百年。

 時間の種類は、たぶん、(日本時間)、地球時間、宇宙時間、無限時間?永遠時間があると思われます。

 無限時間は虚しい感じ(虚無感)があるかも知れません。時間を物質側からの感覚で捉えたものでしょう。

 永遠時間は空しい感じがあるかも知れません。空しとは、開けた爽やかさのような感じです。永遠の命の側からの感覚でしょう。

 そもそも、精妙なレベルにおて、時間は「感覚」と関係があります。好きなことに集中していると時間が短く感じられるという、あれです。

 そして、感覚は感情と精妙にリンクしています。

 感情は、例えると3本柱から成り立っていると思います。3本の柱とは、「好き・嫌い・好きでも嫌いでもない」や「有る・無い・有るのでもなく無いのでもない」という具合の3本柱です。柱の数は増えても構いません。

 この3本柱を意識がぐるぐると回っていると、感情が生まれると思われます。

 例を挙げると長くなりますので、空想してみてください。そこに感情の本質(癖)があるかもね。

 

13,さて、3次元宇宙の流れは、サトユガ=黄金の時代(2万年間)→トレーユガ=銀の時代(1万5千年間)→ドバパラユガ=銅の時代(1万年間)→カリユガ=鉄の時代(5千年間)→そして、新生サトユガ時代、と移り変わって行くようです。それぞれの時代によって大調和の度合いが変わるのです。期間については、12進数で表したものもありますが、和至は、ここに書いた期間が正解じゃないかと思います。理由は勘です。

 (ちなみに、ノアの大洪水があったのは、1万5千年前ぐらいで、トレーターユガからドバパラユガに変換したときだと、和至は思います。

 今は、悪の蔓延るカリユガの時代の最後です。裁きの時や終末思想は、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりの事だろうと思います。カリユガと一緒に悪も終わります。なお、善悪の基準についは、この文章の初めのところに書いてあります。善悪は空との共鳴率で決まります。エネルギー反応です。)

 

13-1、ユガの時代は合計で、5万年サイクルですが、人間の集合意識の進化は、9千年から1万年だと思います。これも勘です。

 集合意識の進化をヨガの言葉を使って説明すると、肉体(=物質界の裏と表)で2千年間。アストラル体(=霊界の裏と表)で2千年間。コーザル体(=ダルマ法則界の裏と表)で2千年間。エーテル体?(=空の世界なので裏表はないが、三段階ある)で各3千年間。あとは、予備で千年間。合計一万年です。勘です。

 今は、肉体(物質世界の終わり)で、悪の蔓延るカリユガの時代の終わりです。非常にいいチャンスです。それについて、何を思うかは、それぞれです。

 

13-2,三次元宇宙内での最初の神様(以下、最高神と書きます)の成り立ちについて。

 和至が感じたのは、まず「無」の向こうに「空」があります。

 そして、三次元宇宙内で、空のエネルギーを流し続けていると、「存在」が出来ます。光の粒なようなものなのですが良く分かりません。その光の粒にさらに空のエネルギーを流し続けていると、「生命(プラナエネルギー)」になります。光の粒だと思います。その「生命」にさらに空のエネルギーを流し続けていると「意識」になります。波動です。これが、三次元宇宙内での最高神です。意識波動なのでおそらく形はありますが、三次元内の人間の意識では認識できないと思うので、通常、最高神には形がないと説明されているのだと思います。

 地球の生命の起源については2種類あって、宇宙由来のものと地球磁場由来のものがあるようです。これについては「らんまん69」で少しだけ、書いています。勘です。

 

 以上、あくまでも、参考です。