『しのゼミ』 -78ページ目

『しのゼミ』

日常で出会った「気付き・笑い・学び」を綴っています

西日本大学病院では,来年度の病院長を決める選挙の真っただ中である.

病院長は3年が任期で,通常は2期まで(3選禁止)なようだ.

大学病院の教職員による選挙にていちおう民主的に選ばれる.

選挙権としては,病院内全員という訳ではなく200名強の限られたヒト(たとえば教員でいうと助教(助手)以上)に与えられている(が詳しくは知らない).

今回の選挙戦は,現病院長(某マイナー科教授)の続投か否かが争点であり,対抗馬としてはいつも科長会議などで温和でスルドイ質問を浴びせる某内科教授先生である.

・・・・・などと知ったような事を書いてしまったが,実はこの選挙で何が争点なのか,それぞれの候補はどういう信条とマニフェストを持っているのか・・・なんて情報は知る由もない.

立会演説会や所信表明などもない.

実際にはいつの間にやら「今度選挙やりますよ」という案内がくるのみで,自分の場合はその日の気分のままに(適当に?)投票する・・・というのが実情である.

一般的には,出身医局の教授先生の人間関係や医局にとってのメリットなどが大きな選択理由になるんだろう.

選挙運動といってもかわいいもので,たとえば有力な候補教授の医局員(同級生)から,「○○教授をなんとかよろしく」などという電話がかかってきたり,出身医局のボス先生から「△△教授に入れたってえな」と言われる程度である.

それもやりすぎると反発を買うようで,あまりおおっぴらに選挙運動はやられないのが最近の趨勢である.

残念ながら,現ナマが飛び交う・・・なんて華々しさはない.



思い出せば少し昔のこと.

まだ病理講座に在籍していた頃,やはり病院長か何かの選挙があった.

当時のボス教授は,大学内の~~長選挙となると,まるで少し前の小沢一郎のように「キングメーカー」として動いていた.

たとえば「○○教授にぜひ院長になってもらって・・・・・・」などと,いろんな先生に電話をかけたり,自室に呼んで説き伏せたり・・・・・.

もう,研究や教育はそっちのけである.

そんなある時,ボス先生より細胞培養の実験で使う「セル・カウンター」をちょっとを貸してくれと頼まれた.

「セル・カウンター」とは,実験にてたくさんの培養細胞を数える時に使う.

ピンポン玉サイズで,手のひらに握り,親指でカチッカチッと押していくと,数字が一つずつ増えていくっという器具である.

紅白歌合戦で「野鳥の会」のひと達が赤白の旗やパネルを数える時に使ってたモノ・・・と言えばわかりやすいか.

それをなにゆえ貸さねばならないのか???(選挙にうつつを抜かして研究なんかしてネーじゃん).

こちとら今実験中で使っとるんじゃ.

しかし教授先生のもの言いである.逆らうわけにはいかぬ.

「どっ・・・どうぞ・・・」

すなおに渡したけれども,もうちょっとしたらまた細胞を数えなきゃならぬ.

「早めに返してくれ~」と言いたものの,教授先生にはなかなか言えぬ.

・・・・・・・・遅い・・・・・・・・まだか・・・・・・・・

・・・・・・・・遅すぎる・・・・・・・・もう待てん・・・・・・・・・

・・・・・・・・細胞が死んでしまうやん!

どう考えても自分に使う優先権があるように思える.

こうなったら,直接教授室に乗り込んで取り返してこようっと.



「(コンコン)・・・失礼します」

「んっ?シノ君,なんか用?」

教授室に入っていくと,ボス先生はなにやら書類を見ながら,セルカウンターでカチッカチッとやっている.

な~んだ,まだ使ってたか.

「いえ,ちょっと様子を見に伺ったまでで・・・・・・」と答えながら,見ちゃならぬものを見てしまった

ボス先生の前に置かれた書類に「~~名簿」と記されてあるのを.

・・・・・?

あの書類って,ひょっとして今度の病院長選挙の選挙人名簿?

そんな書類を前にカチッカチッてことは?

名簿の該当者を数えてる?

ってことは・・・・・選挙の・・・・・・

票読み?


こらぁ,なんに使っとんじゃあ(←もちろん心の叫び)

かわいそうなセルカウンター!.

おまえはがん研究のため培養細胞の数を数えるという崇高な使命を持って生まれてきたんじゃろうに・・・・・

貸すんじゃなかった~orz.



そんなボス先生が,今や「まぁ誰が病院長になってもなぁ・・・ワシはもうすぐやめるしなぁ・・・」などと冷めた発言をするのを聞いてると,少し前のあの頃が懐かしく思い出される.
「シノ先生,この術中迅速の標本のチェックをお願いします」

「どういう症例?」

「大腸ガンの患者さんで・・・・・・」


今日も術中迅速である.

手術の最中に病変の病理診断を迅速に行う「術中迅速」はかなりのプレッシャーである。

その答えによって,今まさに行われている手術の方法が変わったりするので,ドキドキハラハラなのは当たり前と言えば当たり前。

ガンのあるなしはある程度分かっても,それを術中迅速で返事するとなると話は別である.

とにかく自分ひとりではっきりと言うには勇気が要る。

しかし,それを乗り越えないと,病理医として半人前にもなれない。

まさに自分の実力が問われ,自分の勇気が試される場となる。



そんなプレッシャーの中,若手病理医アミは今日も術中迅速当番をこなしているワケだが・・・・


「どれどれ・・・・う~ん・・・・」

「シノ先生,もう結果は手術室に伝えておきました。ガンはないと思ったので・・・・」


アミは病理を志して5年目。]

そろそろなんとか半人前になってほしい人材である。

最近は,術中迅速当番を担当させて,自信があればひとりで答えるようにさせている。

近頃は多くの術中迅速を自分ひとりでさばけるようになれて,ちょっとした自信も出来てきたらしい。

そんな自信などすぐに崩れるのだけれど・・・まぁ無いよりはマシである.

なるべく一人でやってみようっというその気持ちが大事!

なかなかよろし。

しかし今回は標本をよーーーく見てみると・・・・


「おい・・・ここに,ガンあるやん・・・・」

「・・・・ぎょえっ・・・・」


どっから出てきたのかわからないゲップのような意味のない言葉を残してすぐに電話口に走っていくアミ。

手術室に連絡して「・・・・・実はよくみてみたら・・・・・ガンがはじっこに隠れていて・・・・・すいませんでした・・・・・」と訂正と言い訳を伝えていた。

どうやら訂正がすぐに入ったので,手術には迷惑がかからなかった模様。

とりあえず大事に至らずよかったが,ヒヤヒヤさせやがってまったく世話の焼けるヤツだ。

訂正の仕方だけは誰も教えていないのに素早くてうまいんだから・・・



アミはけっこう「おおざっぱ」なタイプである。

一緒に仕事をしていると性格の隅々まで分かってしまうが,些事は気にしない大物である。

まぁ心臓に毛が生えているって言ったらいいか,横着でガサツと括ってしまえばいいか。

こんな間違いをしでかすようじゃ,しっかりとお灸をすえておかなきゃ。

コイツの場合は,「傷口に塩を塗りこむ」くらいでちょうどいいかもしれん。


「おまえなぁ・・・なんでこんなの見逃すの?」

「はぁ・・・」

「ふつうのヒトはなぁ,この変化ってひょっとして・・・とか,わたしの知らないなにかかも・・・って心配に思うのがふつうで・・・・・・・(5分くらい説教中)・・・・・・・標本を穴の開くまで見ろ!わかったか」

「気をつけてるつもりですが・・・」

「不安なものやわからん術中迅速の場合は,あらかじめチェックしてやるから・・・・・とにかく丁寧に見て無理すんな!絶対に自分ひとりで答えなきゃいかんと言っとるワケやないから・・・」

「はぁ・・・」

どうもあんまりへこんでないかもしれん。



そうこうするうちに次の術中迅速が入ってきた。

こんどはこわ~いW先生からの術中迅速の依頼である。

一般に間違えたあとは人間は萎縮する。

間違えを引きずってしまうって言ったらいいか。

通常は間違えた後は,少し感度を上げて物事を見聞きしてしまう。

それが少し過剰な解釈につながってしまい・・・っというミスにつながる可能性がある。

しかも,今度の相手はW先生。

実は先日W先生から電話があり「あの若い娘(=アミ)の術中迅速がなっとらん・・・」とお叱りを受けたばかりである。

どうも術中迅速の返事をする時に,アミがごちゃごちゃと関係ないうんちくをたれたため,W先生の癇に触れたらしい。

う~ん,今回はうまく切り抜けてくれればいいのだが・・・・





すると・・・・しばらくして・・・・





「シノ先生,ガンがあるってW先生に返事してきました」

「・・・・・・・・・・」

「チェックお願いします」

「・・・・・・・・・・」

「シノ先生,はやくしてください。さっきみたいなこともあるし・・・」


・・・おまえ,ホント大物やナァ。

あれほど無理せんでもええって言ったのに・・・・塩の量足りんか?

その心臓の毛を一本授かりたい・・・・
図書館で借りた『医師がすすめるウオーキング』を読んだ.


本書では,「ライフスタイル・ウオーキング」ということを実践することで,日常を「ウオーキング化」する提案を行っている.うまくいけば,メタボ解消から健康増進につながり,さらなる副次効果が生まれる・・・と結んでいる.

とくに画期的なアイデアではない.ちょっと歩いてみるだけでいいんですよ・・・そうしたらこんなにいいことが・・・っと語りかけている.

確かになぁ・・・・・,一歩踏み出すことができて,あとはニンジンをぶら下げる工夫をしていけば続くかもなぁ・・・・・.

これって別にウオーキングである必要はなさそう.自転車でもいいし水泳でもいいし草野球でもいいし有酸素運動であればなんでもいい・・・・・・・・,ようするに一番大事で問題なのは続くかどうかっていうことだろう.そのあたりのヒントも書かれている.


しの的読後感:言われてみればそうだなぁ・・・やってみよ!

こんなヒトにお薦め:メタボに悩むが,どんな生活改善も長続きしなくって・・・っとあきらめがちな諸兄


医師がすすめるウオーキング (集英社新書) (集英社新書)/泉 嗣彦

¥693
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図書館にて借りてきた『ボスと上司』を読んだ.


「ボス」とはいわゆる外資系の管理職を指し,「上司」とは日系企業の管理職(典型としてはバブル前における)を指す.「青目」つまり外資系と「黒目」つまり日系企業の文化比較から今後のあり方(ハイブリッドリーダ-シップ)に至るまで,幅広く述べられている.

近未来では,「青目」と「黒目」のいいとこ取りをした「ハイブリッド」型管理職が理想形になる・・・とする.この「切り口」はおもしろく,確かにそうなると思うし,ならざるを得ないだろう.

本書で述べられている経験談や事例(たとえば昔の上司が今の部下とか,部下の諭し方とか,上司を教育する方法とか)は,妙に現実味を帯びているというか,遅かれ早かれ日本のビジネスシーンってきっとこうなるんだろうな・・・と思ってしまった.

著者のスタンスが若干「青目寄り」になっており,数か所で「う~ん?」と思ってしまったが,まぁこれは著者のキャリアが外資系でしかも金融畑な故であろう・・・と思われる.たとえば製造業関係のキャリアだとすると,そのスタンスはおそらくもう少し「黒目寄り」になるんじゃなかろうか?.

蛇足だが,タイトルは「ハイブリッド・リーダーシップ論」とすればよかったのに・・・・.このタイトルで次回作はいかがか?


しの的読後感:日本も捨てたもんじゃないと思うけど・・・甘いか?

こんなヒトにお薦め:これからの管理職の在り方に疑問を感じるヒト.また,特にバブル以前の古~い型の「上司」に悩まされている諸兄


ボスと上司 (ちくま新書)/梅森 浩一

¥714
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2008年しのゼミでは,「言志四録特論」と題して言志四録を少しずつ読んでいこうと思う.ちょっとは「ゼミ」らしいことしなきゃね・・・.

講談社学術文庫「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳を教科書とするが,このシリーズは全4巻に分かれておりボリューム満点!.自分自身,まだ2巻までしか手に入れていないし,いまだ1巻目の最初数ページしか読んでいない.まったくの予習不足だし,いつまでどのように続けるつもりか,まったく先が見えないが・・・・・・・まぁ行き詰まったり飽きたらやめることにしよう.

ちょっと脱線すると,このシリーズは第1・2巻の値段が1050円と,文庫本としてはちと高い.しかも第3巻・第4巻は1103円・1155円とスライド式に高くなる.このスライド式っちゅうのが気に入らん!.ちょっとみみっちいんじゃないか?.全巻1100円にした方がさっぱりしてるっちゅうかまんだ男らしいっちゅうか・・・・・・・まぁどうでもええか?.

ほとんど意味のない<しの訳>をつけようかどうか2週間ほど迷ったが,まったくの蛇足覚悟で付記させてもらうことにした.


言志四録 1 (1) (講談社学術文庫 274)/佐藤 一斎

¥1,050
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「立志の功は,恥を知るを以て要と為す.」

『志を立てて実績をあげるには,恥を知ることが肝要である.』
(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)





<しの訳>
仕事でも趣味でも家庭でもなんでもいいのだが,これから何かをやってみようとして志を立てる.・・・たとえば自分の場合は,研究をがんばって論文を仕上げよう・・・とか,一週間に最低一冊は読書しよう・・・とか,ブログを毎日更新しよう・・・とかが挙げられる.

そのようにヒトが志を立てて何らかの行動を起こしていくとき,その行動についてくる「恥」を知るべきと教えている.

「恥」といってもいろいろあるように思う.「ブログを書くこと」を例にしていくと,たとえば記事内容に誤りがないようにとか,誤字脱字が無いようにとか,書くべきでない内容は書かないとかがあげられるだろう.これらは,いわば「外面(そとづら)」に関連することで,「対外的」な恥とでも分類されよう.

その一方で,恥には「内心に恥じること」もあるのでは・・・と川上訳にはある.これは対外的に対して「対内的」な恥とでも言えるだろう.

考えてみれば,ある行動を続けていくモチベーションには,どの方向から見てもすべてが正しいと言える場合は少ないように見える.むしろ,その行動によるメリットは多分にあるが,少ないながらもヒトに言えないようなこんな事情もある・・・っていう場合の方が多いんじゃなかろうか?

一年前までは,「ブログなんてよくやってるよなぁ・・・なんでも吐露して,わきまえっていうか,恥ずかしくないのかなぁ・・・」と単純に思っていた.それがなんの因果かこのように日々PCに向かう具合になり,たとえば自分が逆立ちしても間違っても及ばないような書籍に対して,でかでかとえらそうなことを書きなぐっている・・・.こんな自分に対しては,やっぱり「身の程知らず」とか「恥知らず」とかいう形容詞が思い浮かんでくる・・・.


・・・何のためのブログ?・・・おかげで自分はこんなふうになれて・・・でも何のため??・・・じつはこんなメリットも感じていて・・・ホントは何のため???・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・・・実はね・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・病理なんて「知られざる世界」を描いて評判になって・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・ちょっと評論めいたことを書くことにあこがれてて・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・アクセス数が気になり「目的」と「ニンジン」がごっちゃになってて・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・実は・・・・・実は・・・・・実は・・・・・・・・・・・・


・・・そんな「恥」を知ることが「肝要」と訳されてある.

これはどのように読めばいいのだろう?単に礼を失した恥知らずにはなりなさんなってことか?あるいは,恥というものは「自覚」すればよいのであり,そうすれば自ずと行動に抑制がかかる・・・と読むのか?それとも,恥を自覚すれば本来の目的が見えてくる・・・とするのか?


・・・このごろ対内的な恥を感じつつのブログ更新である.これらの恥を自覚したうえで,自分なりに正しいモチベーションを保っていきたい.