若手技師Yさんは,この3月で退職となるのだが,実はその後の4月からの就職先が決まっていない.
Yさんは卒後すぐに非常勤職員として私たちの西日本大病理へ来てくれた.
それから3年間・・・
いろんなことがあったし,そんなあれこれから学んでYさんは大きく成長してくれた.
そして3年雇用の契約が切れて,「新天地でもがんばって」となる予定であった.
それが・・・
そもそもYさんの就職先として,近くの市中病院の検査病理の話を薦めたのは自分であった.
そこの病理関係者と知り合いなので,とある機会の世間話のついでに「今度常勤ポストが空くけど誰かいない?」「実は非常勤の若手が一人いて・・・」という流れで,トントン拍子に“口約束”が交わされたのが昨年の夏.
Yさんも,私たち西日本大病理に残りたいという気持ちを持ってくれていたものの,「病理ができる」市中病院が見つかってとりあえずは一安心であった.
しかし,その市中病院の最近の経営状態が思わしくないらしい.
地方での医師不足は,報道されている以上に深刻である.
この病院でも内科などの医師が減少し,それが経営難という形で跳ね返ってきているようだ.
したがって,事務部門や看護部門は空いたポストへの人員の補充を当面は見合わせているとの話であった.
そんな話が漏れ聞こえてくると,就職前のYさんとしては悩む.
・・・・・“口約束”を盾にゴリ押しするか?・・・・・白紙に戻すか?・・・・・
悩んだ挙句,結局は縁がなかったものとして「白紙」にさせてもらい,別の病院でいいポジションを探すことになった.
この顛末の責任の半分ほどは自分にあるので,就職活動の手伝いをしなければならない.
自分がお世話になっている市中病院のいくつかにも,検査技師のポジションの空き具合について聞いてみた.
しかし,Yさんの望むような「病理ができる」常勤ポジションの空きはない.
ちなみに,条件の悪い非常勤のポストやパート職員なら,いろんな病院で探している.
現代社会における人件費抑制のための「常勤→非常勤→パート→外注」という雇用形態の流れは,広く病院にまで浸透している.
世の中に無理無駄がなくなってきて,特に人件費の部分に厳しい見直しがなされるのはいいことと言うか当然なんだろうけど・・・.
雇われる側に立ってみると,一日6時間雇用のパートなどに在りついても,それだけでは食べていけない.
もっと多段階的で流動的な雇用形態などは,望めないんだろうか・・・
そんな文句も言いたくなってくる.
とりあえず病理にこだわらなければ,とある病院の常勤ポストはみつかった.
そこでは,「生理」部門をやってくれるヒトならば是非に・・・と言ってくれた.
・・・さて,どうするか・・・
Yさんの悩みは続く.
研修医のSさんが,病理部にローテートしてきている.
Sさんは西日本大出身の卒後二年目で,この4月からつまり三年目からは某臨床科に入局が決まっている.
二年間の研修医生活の最後で,病理を選択してくれたことになる.
今年の研修医のヒト達には「病理研修」は人気があった.
12ヶ月のうちの半分の6か月間は,誰かが病理研修に来てくれていたことになる.
二年前は一人もいなかったことを思い出すと,ここまでよくこれたなぁ・・・と感慨も湧いてくる.
しかし,研修医たちの「病理を教えてほしい」という要求に答えられるには,まだまだ道半ばである.
そもそも「病理」という経験の蓄積が重視される業務をたったの数か月かじったところで,何ができるというワケでも無い.
そんな限界の中で,いかに「病理のエッセンス」を効果的かつ短期間に教えられるか・・・いかに「病理的な考え方」を伝えられるか・・・いかに研修医たちを満足させられるか・・・
そんな途方もないことを思いつつ,いまだ研修プログラムを試行錯誤中である.
今回のSさんに対しても,細胞診中心の研修というまったく新たな試みをしようと思っている.
病理研修のことは少し前に書いたが,1)研修医教育に愚直に時間を割く,2)いろいろな業務を結構やらせてあげる,3)研修期間の最初と最後に飲みに行く,の三本柱はしっかり守っている.
まずはとりあえずは,飲みに行かなきゃあ・・・
さてそのSさん,人懐っこく明るいキャラで学生時代からわりかし目立っていたので,顔だけは知っていた.
しかし,面と向かってしゃべるのは,ほとんど初めてといっていい.
「・・・Sさん,あんたはどこに住んどるの?」
「ハイ,〇〇から通ってます」
「へぇ~,けっこう遠いじゃん.遅くなると大変だねぇ」
「ハイ,遅くなる時に備えて,大学病院近くに部屋を借りています」
どうも学生用のワンルームアパートを借りているようで,遅くなった時や当直明けなどに寝るだけに使っているらしい.
便利と言えば便利だが,研修医の安月給ではそんな賃貸料もバカにならないのではなかろうか?
「・・・Sさんの実家はお金持なの?ひょっとして開業医?」
「いえ,違います.旦那も普通のサラリーマンです」
「旦那って・・・,結婚しとるんか?」
「ハイ,してます.齢もとってます」
若く見えるが,30代半ばとのこと(彼女の同級生は,多くが26~7歳).
どこかの大学を卒業してから,また西日本大医学部に入りなおしたようだ.
自分も大学を入りなおしているので,自然に親近感が湧く.
「・・・ほんならSさん,今度一緒に飲みに行こか」
「いいですね,行きましょう」
「いろいろと積もる話もあるしなぁ・・・」
「・・・先生・・・何も積もってませんけど・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・ほとんど初対面っていうか・・・」
「ハハハ,そうやな」
・・・っということで,研修開始の飲み会がまずは設定できた.
Sさんは西日本大出身の卒後二年目で,この4月からつまり三年目からは某臨床科に入局が決まっている.
二年間の研修医生活の最後で,病理を選択してくれたことになる.
今年の研修医のヒト達には「病理研修」は人気があった.
12ヶ月のうちの半分の6か月間は,誰かが病理研修に来てくれていたことになる.
二年前は一人もいなかったことを思い出すと,ここまでよくこれたなぁ・・・と感慨も湧いてくる.
しかし,研修医たちの「病理を教えてほしい」という要求に答えられるには,まだまだ道半ばである.
そもそも「病理」という経験の蓄積が重視される業務をたったの数か月かじったところで,何ができるというワケでも無い.
そんな限界の中で,いかに「病理のエッセンス」を効果的かつ短期間に教えられるか・・・いかに「病理的な考え方」を伝えられるか・・・いかに研修医たちを満足させられるか・・・
そんな途方もないことを思いつつ,いまだ研修プログラムを試行錯誤中である.
今回のSさんに対しても,細胞診中心の研修というまったく新たな試みをしようと思っている.
病理研修のことは少し前に書いたが,1)研修医教育に愚直に時間を割く,2)いろいろな業務を結構やらせてあげる,3)研修期間の最初と最後に飲みに行く,の三本柱はしっかり守っている.
まずはとりあえずは,飲みに行かなきゃあ・・・
さてそのSさん,人懐っこく明るいキャラで学生時代からわりかし目立っていたので,顔だけは知っていた.
しかし,面と向かってしゃべるのは,ほとんど初めてといっていい.
「・・・Sさん,あんたはどこに住んどるの?」
「ハイ,〇〇から通ってます」
「へぇ~,けっこう遠いじゃん.遅くなると大変だねぇ」
「ハイ,遅くなる時に備えて,大学病院近くに部屋を借りています」
どうも学生用のワンルームアパートを借りているようで,遅くなった時や当直明けなどに寝るだけに使っているらしい.
便利と言えば便利だが,研修医の安月給ではそんな賃貸料もバカにならないのではなかろうか?
「・・・Sさんの実家はお金持なの?ひょっとして開業医?」
「いえ,違います.旦那も普通のサラリーマンです」
「旦那って・・・,結婚しとるんか?」
「ハイ,してます.齢もとってます」
若く見えるが,30代半ばとのこと(彼女の同級生は,多くが26~7歳).
どこかの大学を卒業してから,また西日本大医学部に入りなおしたようだ.
自分も大学を入りなおしているので,自然に親近感が湧く.
「・・・ほんならSさん,今度一緒に飲みに行こか」
「いいですね,行きましょう」
「いろいろと積もる話もあるしなぁ・・・」
「・・・先生・・・何も積もってませんけど・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・ほとんど初対面っていうか・・・」
「ハハハ,そうやな」
・・・っということで,研修開始の飲み会がまずは設定できた.
昨日は大学時代の出身クラブの卒業部員追い出しコンパがあった.
現在の出身クラブの状況は,現役部員が30名弱のまずまずの大所帯.
この中で,6名ほどが卒業である.
卒後十五年以上経ったおっさんが,まだそんなもんに行くワケ?といつも妻には言われる.
確かにこの年齢になっても,誘われて学生の集まりにノコノコ出かけていくのは,一般にはおかしいだろう.
周囲の同級生に聞いても,「学生のコンパ」にいまだに出かける輩など,少ないっていうかほとんどいない.
「なぜ行くの?」という理由の一つには,この出身クラブOBの強い結束力がある.
今回の「追いコン」は,OB/OGの出席者が20名を超え,まるでOB/OG会のような雰囲気である.
「もう少しで現役部員数より(OB/OGの出席者数が)多くなるね」という軽口も聞こえてくる.
実は,この「卒業部員追い出しコンパ」と「新部員歓迎コンパ」は,その結束を保つ「OB/OG会」のような機能も果たしている.
実際に自分も大学病院病理に配属したての頃は,この出身クラブの人脈に助けられた.
そういった人脈を保って広げていこうという実利的な面については,皆が感じているに違いない.
それに,自分は大学病院勤務という特殊事情があり,講義や実習やテストを通じて学生たちとの接点は少なくない.
あの出来の悪かった彼,あんな失敗をしでかした彼女・・・いろいろと思い出がある学生たちが卒業となる.
まぁお祝いのために行かなきゃな・・・と思い,また足が向かってしまう.
さらに加えて,「MO先生が来るから」というのも自分にとっては大きな理由の一つである.
この雑多なOB/OGの集まりの中で,MO先生は宴会隊長であり,精神的支柱のようなものである.
MO先生は,現在市中病院の某臨床科部長として活躍されている.
自分の学生時代は,直属の後輩としていろんな面でかわいがってもらい,深くお世話になってきた.
今となっても話せない?,あんなことそんなことあったよね・・・という数々の女性遍歴?を持つ豪快な先生で,ムードメーカー的な明るい性格に加えて,一言多い?程の話好きである.
そんな先生にも,語り尽くせぬほど大変だった過去がある.
学生時代だから20代の青春真っ只中に,MO先生は大病を患って入院した.
クラブに元気に来ているのに,「オレ,もうすぐ入院するわ~」と言うMO先生.
「どっか悪いんですか?」と聞いても,「それがよくわからんらしいんや・・・」との返事.
通院していても埒があかず,どうも入院して手術?するらしい・・・
“手術”と聞くと少し大事だが,「なんかわからんけど・・・まぁ飲もうや」といってビールを流し込むMO先生.
まぁ大したことなさそうと高を括っていた.
それからしばらくして,夏休み中に入院したMO先生をお見舞いに行った.
西日本大病院に入院したのは聞いていたので,すぐ近くだし,たいしたことなさそうだったし,時間がある時でいいか・・・とお見舞いを先延ばしにしていたが,入院が意外に長引いていることを人づてに聞いた.
どうしたんかな?・・・ちょっと顔を出してくるか・・・
重い腰をあげて向かった大学病院の病室では,別人のようにやせ細ったMO先生が苦しんでいた.
起き上がるのがやっとの様子で,付き添いはおらず一人ぽっちである.
とにかく毎日の点滴がつらくてつらくてかなわんらしい.
点滴の刺し所が少なくなった細腕を見せながら,苦しい中にもなんとか笑おうとするMO先生・・・
こりゃあ・・・なんだか・・・とてつもなく・・・大変やぁ・・・
居たたまれず,お見舞いもそこそこに退散した.
しばらくして退院したMO先生は,少しのブランクの後,何事もなかったようにクラブに復帰した.
退院後には,月一回程度の通院をする程度で,学業にも支障はない様子.
少しやせたのを除いて,顔色も入院時のようではなく,特に外見上も変わった様子はない.
手術と聞いていたが,たとえばお腹を切った形跡もない.
さすがに最初はクラブ(運動部)の練習メニューをこなすまでの体力がなかったが,それもじき回復した.
結局,あの入院はなんだったのか・・・・・・・・・?
それからしばらくして・・・・・・
「オレはどうもガンやったらしい」
MO先生の口から何かの折に告げられた.
ガンは切らずに焼灼され,その後に放射線療法と抗がん剤投与を受けていたらしい.
その後MO先生は手術でお世話になった先生を慕って,某臨床科へ入局.
今では「死に損ない」などと陰口をたたかれながら,部長として大活躍中である.
相変わらず,このような「コンパ」があると勇んで駆けつけきて,少し老いた?隊長として皆に辛口ウンチクをたれ続けている.
そんなMO先生を含めたヒト達が一堂に揃う「コンパ」.
行かずに居れるか!,である.
現在の出身クラブの状況は,現役部員が30名弱のまずまずの大所帯.
この中で,6名ほどが卒業である.
卒後十五年以上経ったおっさんが,まだそんなもんに行くワケ?といつも妻には言われる.
確かにこの年齢になっても,誘われて学生の集まりにノコノコ出かけていくのは,一般にはおかしいだろう.
周囲の同級生に聞いても,「学生のコンパ」にいまだに出かける輩など,少ないっていうかほとんどいない.
「なぜ行くの?」という理由の一つには,この出身クラブOBの強い結束力がある.
今回の「追いコン」は,OB/OGの出席者が20名を超え,まるでOB/OG会のような雰囲気である.
「もう少しで現役部員数より(OB/OGの出席者数が)多くなるね」という軽口も聞こえてくる.
実は,この「卒業部員追い出しコンパ」と「新部員歓迎コンパ」は,その結束を保つ「OB/OG会」のような機能も果たしている.
実際に自分も大学病院病理に配属したての頃は,この出身クラブの人脈に助けられた.
そういった人脈を保って広げていこうという実利的な面については,皆が感じているに違いない.
それに,自分は大学病院勤務という特殊事情があり,講義や実習やテストを通じて学生たちとの接点は少なくない.
あの出来の悪かった彼,あんな失敗をしでかした彼女・・・いろいろと思い出がある学生たちが卒業となる.
まぁお祝いのために行かなきゃな・・・と思い,また足が向かってしまう.
さらに加えて,「MO先生が来るから」というのも自分にとっては大きな理由の一つである.
この雑多なOB/OGの集まりの中で,MO先生は宴会隊長であり,精神的支柱のようなものである.
MO先生は,現在市中病院の某臨床科部長として活躍されている.
自分の学生時代は,直属の後輩としていろんな面でかわいがってもらい,深くお世話になってきた.
今となっても話せない?,あんなことそんなことあったよね・・・という数々の女性遍歴?を持つ豪快な先生で,ムードメーカー的な明るい性格に加えて,一言多い?程の話好きである.
そんな先生にも,語り尽くせぬほど大変だった過去がある.
学生時代だから20代の青春真っ只中に,MO先生は大病を患って入院した.
クラブに元気に来ているのに,「オレ,もうすぐ入院するわ~」と言うMO先生.
「どっか悪いんですか?」と聞いても,「それがよくわからんらしいんや・・・」との返事.
通院していても埒があかず,どうも入院して手術?するらしい・・・
“手術”と聞くと少し大事だが,「なんかわからんけど・・・まぁ飲もうや」といってビールを流し込むMO先生.
まぁ大したことなさそうと高を括っていた.
それからしばらくして,夏休み中に入院したMO先生をお見舞いに行った.
西日本大病院に入院したのは聞いていたので,すぐ近くだし,たいしたことなさそうだったし,時間がある時でいいか・・・とお見舞いを先延ばしにしていたが,入院が意外に長引いていることを人づてに聞いた.
どうしたんかな?・・・ちょっと顔を出してくるか・・・
重い腰をあげて向かった大学病院の病室では,別人のようにやせ細ったMO先生が苦しんでいた.
起き上がるのがやっとの様子で,付き添いはおらず一人ぽっちである.
とにかく毎日の点滴がつらくてつらくてかなわんらしい.
点滴の刺し所が少なくなった細腕を見せながら,苦しい中にもなんとか笑おうとするMO先生・・・
こりゃあ・・・なんだか・・・とてつもなく・・・大変やぁ・・・
居たたまれず,お見舞いもそこそこに退散した.
しばらくして退院したMO先生は,少しのブランクの後,何事もなかったようにクラブに復帰した.
退院後には,月一回程度の通院をする程度で,学業にも支障はない様子.
少しやせたのを除いて,顔色も入院時のようではなく,特に外見上も変わった様子はない.
手術と聞いていたが,たとえばお腹を切った形跡もない.
さすがに最初はクラブ(運動部)の練習メニューをこなすまでの体力がなかったが,それもじき回復した.
結局,あの入院はなんだったのか・・・・・・・・・?
それからしばらくして・・・・・・
「オレはどうもガンやったらしい」
MO先生の口から何かの折に告げられた.
ガンは切らずに焼灼され,その後に放射線療法と抗がん剤投与を受けていたらしい.
その後MO先生は手術でお世話になった先生を慕って,某臨床科へ入局.
今では「死に損ない」などと陰口をたたかれながら,部長として大活躍中である.
相変わらず,このような「コンパ」があると勇んで駆けつけきて,少し老いた?隊長として皆に辛口ウンチクをたれ続けている.
そんなMO先生を含めたヒト達が一堂に揃う「コンパ」.
行かずに居れるか!,である.
「自ら責むること厳なる者は,人を責むることも亦厳なり.人を恕すること寛なる者は,自ら恕することも亦寛なり.皆一偏たるを免れず.君子は則ち躬自ら厚うして,薄く人を責む.」
『自分を責めることのきびしい人は,人を責めることもきびしい.他人を思いやることの寛容な人は,自分を思いやることも寛容である.これらは皆,厳なれば厳,寛なれば寛と,一方に偏していることは免れない.立派な人間である君子は,自ら責めること厳で,他人を責めること寛である.』
(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)
<しの訳>
自分に厳しく,ヒトには寛大に接することは難しい.
まず,自分に厳しくあることが難しい.
自分の中にある弱い怠けた部分との永続的な戦いなのだろうが,全戦全勝の境地にはなかなか至らない.
それに加えて,他人に寛容であることも難しい.
仮に自分に厳しくいられたとしても,他人にもその厳しさをある程度求めてしまう.
「これだけこっちがやってんだから・・・」「少しはやってくれよ・・・」という独りよがりな気持ちが湧いてくる.
そうなると,他人に更に厳しくあたったりモチベーションが下がったりで,自分に厳しくある態度そのものがグラついてくる・・・・・.
「自に厳,他に寛」とは,自分に厳しくあった上で,「他に寛」というさらなる「自に厳」を求める言葉であろう.
『自分を責めることのきびしい人は,人を責めることもきびしい.他人を思いやることの寛容な人は,自分を思いやることも寛容である.これらは皆,厳なれば厳,寛なれば寛と,一方に偏していることは免れない.立派な人間である君子は,自ら責めること厳で,他人を責めること寛である.』
(「言志四録」佐藤一斎著/川上正光訳 講談社学術文庫)
<しの訳>
自分に厳しく,ヒトには寛大に接することは難しい.
まず,自分に厳しくあることが難しい.
自分の中にある弱い怠けた部分との永続的な戦いなのだろうが,全戦全勝の境地にはなかなか至らない.
それに加えて,他人に寛容であることも難しい.
仮に自分に厳しくいられたとしても,他人にもその厳しさをある程度求めてしまう.
「これだけこっちがやってんだから・・・」「少しはやってくれよ・・・」という独りよがりな気持ちが湧いてくる.
そうなると,他人に更に厳しくあたったりモチベーションが下がったりで,自分に厳しくある態度そのものがグラついてくる・・・・・.
「自に厳,他に寛」とは,自分に厳しくあった上で,「他に寛」というさらなる「自に厳」を求める言葉であろう.
前回の「女性の涙」を書いていて思い至った米国留学時代の話.
米国では,「Drローラの人生相談」というような名のFM番組があって,機会があれば聞いていた.
詳細は忘れてしまったが,相談者が電話をかけてきて,番組のホストであるDrローラに諸々の相談をする番組である.
日本にも類似する番組はあるので,だいたい想像はつくだろう.
米国ではいわゆる「トークラジオ」といって,ラジオ番組に視聴者が電話をかけてきて,えんえんと自説を述べたりするプログラムがけっこう多い.
たとえば,我が街のフットボールチームに来年何が必要かという質問が発せられると,
ある視聴者は「監督をクビにして,○○にしたらどうだ」とか述べるし,
またあるヒトは「クォーターバックは肩が良いので,足の速いワイドレシーバーを数人取るべし」と言うし,
別のヒトは「ディフェンスラインの新人に期待して,ディフェンス中心に立て直すべき」と説くし・・・
こんな感じで雑多な意見が延々と述べられて,それで一つの番組が成立する・・・というもの.
これはお国柄なのであろうし,番組制作上ある意味では安上がりなんだろうか?.
はじめは英語のリスニングの勉強にもなるかな・・・程度の軽い気持ちでこの種のプログラムを聞きはじめ,その中でDrローラの番組はなぜか気に入ってよく聞いたものの一つであった.
Drローラは女性カウンセラーであり,番組では視聴者からいろんな人生における悩みや相談が寄せられてくる.
それらの悩みや相談に対して,さすがとか,確かにとか思わせるような答えを与えなければならない.
しかもラジオという枠の中でそんなやり取りをするのはホントに難しいと思うし,そこがカウンセラーの「腕の見せ所」であろう.
Drローラの番組は人気があるものだったろうが,そのカウンセリング内容たるや懇切丁寧にやさしく・・・などというものではない.
たとえば・・・
相談者(仮にマークさんとすると)の話す内容が迷走しそうになると「マーク,マーク,マーク.マーク,マーク」と連呼して黙らせる・・・(マークにしゃべらせたれや~)
「○○をなんでやらないの?」「どうしてそのヒトに言わないの?」「どうして電話して聞かないの?」っと,剥き出しの本質を突いた指摘がズバッとくる・・・(それができないから相談してるんちゃう?)
相談者が話そうとすると「ちょっと待って!私の話を聞いて!」とか「最後までしゃべらせて!」と遮る・・・(もうちょっとやさしく言ったれや・・・)
どう形容したらいいのだろう・・・サディスティックなまでの物言い・厳しい命令断定口調・私が絶対に正しいというような信念・歯に衣着せぬ・有無を言わせぬ・・・
文化の違いがあるので,この方法の是非に立ち入るつもりはないけれど,最初は「なんちゅうこわいカウンセラーや?こんなカウンセリングありか?」と思ったのも事実である.
しかし,ある意味強烈な個性を感じたし,珍しさや興味があったし,ここまで言うか・・・というようなゲテモノ?見たさ(聞きたさ?)もあって,自分のお気に入りのプログラムになった.
ある時,番組の終了間際にこんな相談があった.(英語のやりとりだったので,細かい点には推測や想像が入っている)
「ハーイ,Drローラ」
「ハーイ,△△,ハウアーユー?」
「私は70代女性で,最近リンパ腫の診断で,余命6ヶ月の宣告を受けました.
最初はすごくショックでうつ状態にもなりましたが,今では与えられた残り少ない人生を前向きに生きようと思っています.
それまではあまり行かなかった教会にも行くようになりましたし,支えてくれている家族のみんなや友人たちに感謝する毎日を送っています」
けっこう深刻な話だが,吹っ切れたような淡々とした口調で話す相談者である.
話の合間合間に相槌したり質問するDrローラの口調も,普段とうって変わってやさしいトーンである.
相談者の話は続く.
「あなた(=Drローラ)の番組はいつも聞かせてもらっていて,とてもエネルギーをもらっています.
どうもありがとう.・・・(途中略というか忘れた)・・・残り少ない人生で,私にできることについて何かアドバイス頂けないかしら?」
「・・・・・・・・・・・」
質問を受けたDrローラは黙っていた.
いつまでも,沈黙が続いた.
なんかしゃべってくれ~・・・仕事してくれ~・・・がんばれ~・・・
ラジオの前で,思わず応援をしてしまう.
しばらくすると,なにやら押し殺した嗚咽らしき音がわずかに聞こえた.
・・・あのDrローラが・・・泣いてる・・・
沈黙のままCMへ.
ラジオという音声メディアにおいて,10秒くらいにわたる緊張ある長い沈黙を聞いたのはこれがはじめてであった.
CMのあと,しゃべり始めたDrローラの声はふるえており,深く心動かされた様子が伝わってきた.
この相談に対してどのような返事をしたのかはもう覚えていないが,冷静を装おうとしても震えてしまう声でエンディングまでしゃべり続けたDrローラ.
個人的にはとても好感を持ったし,この後にさらにファンになったような気がする.
振り返れば,意外な一面を見ることになったこのハプニング,結局は最終兵器である「女性の涙」によって完全にKOされた気がする.
Drローラは,今でもまだあの毒舌?とも言えるようなカウンセリングをしているのであろうか?
米国では,「Drローラの人生相談」というような名のFM番組があって,機会があれば聞いていた.
詳細は忘れてしまったが,相談者が電話をかけてきて,番組のホストであるDrローラに諸々の相談をする番組である.
日本にも類似する番組はあるので,だいたい想像はつくだろう.
米国ではいわゆる「トークラジオ」といって,ラジオ番組に視聴者が電話をかけてきて,えんえんと自説を述べたりするプログラムがけっこう多い.
たとえば,我が街のフットボールチームに来年何が必要かという質問が発せられると,
ある視聴者は「監督をクビにして,○○にしたらどうだ」とか述べるし,
またあるヒトは「クォーターバックは肩が良いので,足の速いワイドレシーバーを数人取るべし」と言うし,
別のヒトは「ディフェンスラインの新人に期待して,ディフェンス中心に立て直すべき」と説くし・・・
こんな感じで雑多な意見が延々と述べられて,それで一つの番組が成立する・・・というもの.
これはお国柄なのであろうし,番組制作上ある意味では安上がりなんだろうか?.
はじめは英語のリスニングの勉強にもなるかな・・・程度の軽い気持ちでこの種のプログラムを聞きはじめ,その中でDrローラの番組はなぜか気に入ってよく聞いたものの一つであった.
Drローラは女性カウンセラーであり,番組では視聴者からいろんな人生における悩みや相談が寄せられてくる.
それらの悩みや相談に対して,さすがとか,確かにとか思わせるような答えを与えなければならない.
しかもラジオという枠の中でそんなやり取りをするのはホントに難しいと思うし,そこがカウンセラーの「腕の見せ所」であろう.
Drローラの番組は人気があるものだったろうが,そのカウンセリング内容たるや懇切丁寧にやさしく・・・などというものではない.
たとえば・・・
相談者(仮にマークさんとすると)の話す内容が迷走しそうになると「マーク,マーク,マーク.マーク,マーク」と連呼して黙らせる・・・(マークにしゃべらせたれや~)
「○○をなんでやらないの?」「どうしてそのヒトに言わないの?」「どうして電話して聞かないの?」っと,剥き出しの本質を突いた指摘がズバッとくる・・・(それができないから相談してるんちゃう?)
相談者が話そうとすると「ちょっと待って!私の話を聞いて!」とか「最後までしゃべらせて!」と遮る・・・(もうちょっとやさしく言ったれや・・・)
どう形容したらいいのだろう・・・サディスティックなまでの物言い・厳しい命令断定口調・私が絶対に正しいというような信念・歯に衣着せぬ・有無を言わせぬ・・・
文化の違いがあるので,この方法の是非に立ち入るつもりはないけれど,最初は「なんちゅうこわいカウンセラーや?こんなカウンセリングありか?」と思ったのも事実である.
しかし,ある意味強烈な個性を感じたし,珍しさや興味があったし,ここまで言うか・・・というようなゲテモノ?見たさ(聞きたさ?)もあって,自分のお気に入りのプログラムになった.
ある時,番組の終了間際にこんな相談があった.(英語のやりとりだったので,細かい点には推測や想像が入っている)
「ハーイ,Drローラ」
「ハーイ,△△,ハウアーユー?」
「私は70代女性で,最近リンパ腫の診断で,余命6ヶ月の宣告を受けました.
最初はすごくショックでうつ状態にもなりましたが,今では与えられた残り少ない人生を前向きに生きようと思っています.
それまではあまり行かなかった教会にも行くようになりましたし,支えてくれている家族のみんなや友人たちに感謝する毎日を送っています」
けっこう深刻な話だが,吹っ切れたような淡々とした口調で話す相談者である.
話の合間合間に相槌したり質問するDrローラの口調も,普段とうって変わってやさしいトーンである.
相談者の話は続く.
「あなた(=Drローラ)の番組はいつも聞かせてもらっていて,とてもエネルギーをもらっています.
どうもありがとう.・・・(途中略というか忘れた)・・・残り少ない人生で,私にできることについて何かアドバイス頂けないかしら?」
「・・・・・・・・・・・」
質問を受けたDrローラは黙っていた.
いつまでも,沈黙が続いた.
なんかしゃべってくれ~・・・仕事してくれ~・・・がんばれ~・・・
ラジオの前で,思わず応援をしてしまう.
しばらくすると,なにやら押し殺した嗚咽らしき音がわずかに聞こえた.
・・・あのDrローラが・・・泣いてる・・・
沈黙のままCMへ.
ラジオという音声メディアにおいて,10秒くらいにわたる緊張ある長い沈黙を聞いたのはこれがはじめてであった.
CMのあと,しゃべり始めたDrローラの声はふるえており,深く心動かされた様子が伝わってきた.
この相談に対してどのような返事をしたのかはもう覚えていないが,冷静を装おうとしても震えてしまう声でエンディングまでしゃべり続けたDrローラ.
個人的にはとても好感を持ったし,この後にさらにファンになったような気がする.
振り返れば,意外な一面を見ることになったこのハプニング,結局は最終兵器である「女性の涙」によって完全にKOされた気がする.
Drローラは,今でもまだあの毒舌?とも言えるようなカウンセリングをしているのであろうか?