『しのゼミ』 -24ページ目

『しのゼミ』

日常で出会った「気付き・笑い・学び」を綴っています

同級生の女子から突然電話がある。

「あのさー,明日の昼,時間ある?」

「あるよ」

久し振りというか,十数年ぶりに聞く声なんだが,学生時代と変わらない。

「ちょっと顔見に行っていい?」

「ええけど」

学生時代には一緒に飲み屋に繰り出すような,ほとんど男友達のような間柄だった。

「別になんも用ないんやけど・・・」

「ええよ,大歓迎」

今や彼女は同級生同士で結婚し,子育てと勤務医の両立で忙しい毎日を送っている。



ところで何の用だろう・・・・・?

この歳になって,久しぶりに顔を見たいなどと言うワケがない。

何か対面で話したいこと・聞きたいことがあるんだろう,きっと。

でも経験的には,自分などを頼って来るヒトなどほぼ皆無だ。

自分が役に立ちそうなことを敢えて探してみれば・・・・・たぶん留学経験?。

たとえば旦那が留学する予定だったりして,留学先のアパートはどうやって探したのかとか,英会話はどうしてたのかとか,遅れてついていってもええやんねとか,単身で行かせてはマズイやろかとか。

それ以外には・・・・・同窓会の幹事?。

十数年やっていない同窓会をそろそろやりたいねってな話に偶々なってるとして,その幹事の労をなんとか頼むとか,こんなメンドーなことを頼めるのはあんたしかいないとか,同窓会をやるとしてみんな集まってくれるやろかとか,やっぱ年末の休みが集まりやすいやんねとか。

あるいはひょっとして・・・・・病理医派遣のお願い?。

絶対数が圧倒的に少ない病理医なので,たとえば彼女が働いているA病院に病理医を派遣してくれという依頼があっても不思議ではなく,A病院長から「君は大学病院のシノという病理医の同級生らしいから,なんとか彼に頼んでくれへんやろか」と頼まれたかもしれず,そんなメンドーな話に関わり合いたくないなーと無視しようとしたけれど,頼まれれば断れない性格を完全に読まれていて,「手土産のケーキ代くらいは持たせてもらうからね」と言われてたりとか。

まぁどーせそんなようなところなんだろう。



その日は時間通りに病院病理を訪ねて来てくれた彼女。

「おー久しぶりやのー,シノさん」

「10年ぶりくらいやんなー」

手土産にケーキやらクッキーやらをどっさりと持っている。

「変わらんなー」

「そっちこそ」

・・・・・

積もりに積もった世間話に花が咲く。

しかしそんな楽しい会話の途切れ途切れで,

“なにを聞かれるんだろう?”
“なにか頼まれるんじゃないか?”

そんなことが頭の片隅に常に巣食っている。



「・・・じゃー帰るわ」

「えっ,そう」

「また来るわ」

「ふーん,わかった」

結局そう言ってあっけなく帰って行く彼女。

前日に想像したいろんなことは,残念ながらすべてハズレ。

それにしても一体何しに来たんやねん,彼女?。



顔を見に来ると言って,ほんとにそれだけで帰っていく。

まるでホーッと一息つくような,そんな「清涼剤」的な一服タイム。

今のコチコチに凝り固まった自分の時間において,完全に忘れていた一時の過ごし方だったのかもしれん。


外科の准教授ロッカー先生から電話がある。

「・・・っということで,書類記入をお願いできませんか?」

ロッカー先生は4年上の先輩だ。

「ハイ,わかりました」

先輩からの突然の電話に少し緊張して答える自分。

「じゃあこれからお持ちします」

「ハイ,わかりました」

なにやらメンドーなアンケートの依頼らしい。

それにしても後輩である自分に対して,バカと言ってしまいたくなるほど丁寧な物腰のロッカー先生。



このロッカー先生の前に立つと,自分は自然に直立不動になる。

なぜかと言えばそれははるか昔,自分が大学一年生の秋の頃。

初めて学園祭に行った折,お付き合いで覗いた体育館での軽音コンサートにおいて。

たまたま演奏していたバンドのボーカルが若きロッカー先生だった。

ギターを弾きながらがなり立てるように唄う曲に,思わず立ち止まる。

なんちゅーか,ド迫力があるというか臭味があるというか。

確かストリートスライダーズの「エンジェルダスター」だったような記憶があるけれど。

こういう少しスローな曲は誤魔化しが効かん(と思う,よく知らんけど)。

ボーカルのキャラが立ってないと「場持ち」がしない(と思う,経験無いけど)。

それ以来,自分の中ではロッカー先生を「スゲー人物」として密かに尊敬している。



しばらくすると,書類を手にしたロッカー先生が自分の部屋にやってくる。

通常なら,秘書さんが持って来るだろうと思っていた書類。

それをなんと,御自ら持参されるとは!。

「さっきの件ですけど,書類のここなんですけどね・・・・・」

「ハッ,ハイ!」

ロッカー先生の直々のお出ましに面食らう自分。

機先を制せられるというか,出鼻を挫かれるというか・・・・・

自分の部屋なのに,なぜか精神的に不利な状況に置かれている。



ならば一分でも一秒でも早く仕上げねば・・・と,すぐに書類を書き終えて,秘書さんに外科まで届けてもらう。

これでよし・・・っとホッとしていると,しばらくしてまたロッカー先生から電話だ。

「シノ先生?」

「あっ,ハイ」

「今書類を受け取りました。早々に対応して頂いてすいませんでした」

「いえいえ,こちらこそ・・・」

なんと直々のお礼の電話だ。

そこまでせんでもええのに・・・とチラッと思うが,これがロッカー流なんだろう。



過剰とも言えるほど下手に出たRocker先生の依頼に,むしろ恐縮してしまった今回のケース。

ヒトに何かを頼む際には,「よろしく」と言って頭を下げる。

自分のような後輩に対しても決して礼を失しない。

当たり前なことかもしれんが,それを当たり前として自然に実践中のロッカー先生はやっぱすごい。
長男いっ君(中一)の宿題が終わらない。

残った宿題は,技術・美術・読書感想文・理科・・・・・要はイヤなもんはやってない。

今日は美術の火の用心の啓発ポスター書き。

ポスター・ネタをどこからか手に入れてきたいっ君。

デザインを簡単に言えば,画用紙左側が森の一軒家で,右半分にはそれらが燃えた後・・・という構図。

色使いは,向かって左(森の一軒家)は緑と薄茶が基調なのに対して,右(燃えた後)は黒と赤が基調。

っで最後に,真ん中に横書きで「火の恐ろしさ」と大書して終わり。

絶対どっかで見たことあるよなぁ・・っていうか,誰かの写してるよなぁ・・・っていうか・・・・・まぁこの手のポスターでよくあるデザインだ。



「はぁ~メンドクセーなー,もう」

とにかくやる気がないいっ君。

簡単に鉛筆でデッサンしてある状態では,そんなに悪くはないポスター。

じゃあ・・・ということで,水性絵具で色塗りの段階になると,こりゃもう見ちゃおれん。

無計画に簡単なものから塗っていくので,右側の枯れ木をまず黒に塗り終える。

次に右側の赤い背景・・・と,ドギツイ色から塗っていく。

次にようやく薄茶や緑のやさしい色で,左側の家や木の幹やらを塗っていく。

そうすると賢明なる諸氏なら容易に想像できるんだろうが,左右の境界部分に問題が発生する。

本来はやさしい薄茶色が,境界部ではヘンに黒っぽくなっている。

黒との境界を薄い色で塗ったので,黒が染みている。

黒はすべての色に勝る。

なので黒や赤のドギツイ色塗りは,なるべく後にする。

・・・それは水性絵具の定石だ。



背景を何とか塗り終え,最後に黄色で「火の恐ろしさ」と書く。

ここで重大な間違いに気づくいっ君。

最初のデッサンの段階で送り仮名を間違えて,なんと「恐しさ」になっている。

「アッチャー,どうしよう・・・」と困るいっ君。

「う~~~ん・・・」と言われて気づく父 (ナサケナ)

二人一緒にしばし悩む。

「こわさ」にしたらと思いつくが,残念ながら「恐さ」となって今度は「し」が邪魔だ。

しょうがない・・・・・

無理やり「恐しさ」の「恐」と「し」の間に「ろ」を黄色でねじ込んでみる。

字と字の間隔がヘンになるが,間違っているよりまだマシか。

しかし,ここでもまた黒が邪魔をする。

運が悪いことに,「ろ」を書き入れた当にその場所に,すでに黒色がふんだんに塗ってある。

なので黄色で上塗りしても黒くボケる。

強く塗ったら塗ったで,下の黒が染みてくる。

黒はすべての色に勝る。

なので黒の上に薄い色を上塗りすることは難しい。

・・・それも水性絵具の定石だ。



  火 の 恐し さ

こんなふうに間抜けに書かれ,しかも「ろ」が黒染みて読みにくいポスターが出来上がる。

「まぁ~これでええわ・・・」と,いちおう出来に不満そうないっ君。

「こんなんじゃ・・・努力賞ももらえんことは確実やなぁ」とあきれる父。

「そんでもええねん・・・・・アレ?黒色の絵具がもう無いやん」

見れば,黒の絵具の減りだけが極端に早い。

クレヨンでも当てはまるが,こういう手合いは絵心がない。

・・・これも水性絵具の定石か?



「今晩は外食だから早めに帰ってきて」と妻に言われ,

「実験は午前中に終わるから大丈夫」と答えて大学の動物実験棟に向かう。

この週末は,ラット10匹に小手術をしなければならない。

ラットと言ってもピンとこないかも知れないが,500mlのペットボトルを一回り小さくしたようなサイズのネズミと考えればいい。

そんなラットたちを,まずは麻酔薬を打って眠らせる。

次にその上腹部をハサミで縦に少し切り,そこに顔を出した肝臓に細工をする。

そしてお腹を糸で縫い合わせて終わり・・・という比較的簡単なもの。

計画通りに行けば1-2時間して麻酔が醒めるラットは,先ほどお腹を開けたとは思えないほどの回復ぶりで・・・・・となる予定だった。

っが,

このたびの術後の経過はよろしくない。



術後4-5時間経過しても,目覚めたラットは1匹のみ。

あとの9匹は,手術が終わって飼育ケージに入れたそのまんまの姿で横たわっている。

死んでるんちゃう?と思ってよーーく観察すると,ゆーーっくりと呼吸はしている。

そのろっ骨の動きは弱々しく,呼吸の深さはすごく浅い。

心配になって,ラットを取り出し刺激してみる。

っが,そんなことくらいでは目覚めることはない。

こびり付いた血液で,術創近辺の体毛が黒っぽく束になって硬くなっている。

体はひんやりと少し冷たくなっているが,まだ硬直はしていない。

両手の中で温めてやるも,ほんの気休めだ。

腹に傷を負い,普段よりも3倍くらいゆっくりと呼吸をしているラットたち。

いわゆる虫の息みたいで,今にも死にそうだ。



哺乳類という生命体では,摂取した糖や脂肪を酸化的に分解する。

その結果,産生されたATPをエネルギー源として,生命活動という化学反応を引き起こしている。

生命を宿す哺乳類は,その恩恵を受けて身体は温かく,当たり前のように軟らかで,そして辺り構わず動き回ることができる。

その活動が終わりを迎える時に起こる,非可逆的な移行。

温から冷へ。

軟から硬へ。

動から静へ。

そして有から無へ・・・・・

その移行を目の当たりにする時,

特にその移行の引き金が自分たちの所作によるとなった場合,

敬虔で恐れに似た厳粛さに襲われる。

遅かれ早かれ直面する死から逃れられない運命のなせる業なのかもしれない。



手伝ってくれたH先生が様子を見に来てくれる。

「麻酔が強すぎましたかね・・・・」

「わからんけど・・・ダメかもしれん」

飼育ケージを並べて一匹一匹の様子をもう一度見てみる。

9匹のラットが仰向けになって並んでいるが,やはり揃って虫の息だ。

二人してラットを抱き上げてはさすってやるが,どうすることもできない。

「んーー・・・意外に大丈夫なハズなんですけど・・・」

「そうやな・・・明日まで待ってみんことには分からんなぁ」



そんなこんなで帰宅は大幅に遅れる。

シノ妻の機嫌はよくない。

「実験がうまくいかなくって・・・」という毎度の言い訳をするも,説得力ゼロ。

気まずい夕食を家で取ることになる。

こんなふうに,予定が狂って歯車が噛み合わない日もたまにはある・・・・・糧にせねば。




▼ 市図書館の貸出カウンターにて

本を返そうとすると,いつもの職員さんの他に,中学生と思しき数名が居る。

「返却です」と返す本を差し出すと,手続きをその中学生の子がしてくれる。

どうやら夏休みにおける,地域奉仕型体験学習のようなものらしい。

「じゃあ,本の裏表紙についてるバーコードを読ませて・・・」

職員さんに手取り足取り対応法を伝授してもらう,体操服をまとった中学生(♀)。

どうやら今日が初日のようで,まったく手慣れていない。

「(ピッとバーコードリーダーを鳴らして)・・・こんな感じ・・・ですか?」

「そうそう,じゃあ次の本も・・・」

「ハイ・・・(ピッ)」

なんとか手続きが終わったようだが,返却者への心配りをする余裕などまだ無いようだ。

「もういいかな?」と自分。

「アッ,ハイ・・・ありがとうございました」と顔を赤らめる少女。

あまりの初々しさに,自然に笑みが零れる。



▼ 二十年ほど前の某八百屋さんで

学生時代に,人材派遣のアルバイトをしたことがある。

その日の職種は,ちょっと大きめな八百屋さんでの販促活動。

よく,スーパーなどで新商品を一口試食してもらおうという宣伝コーナーを見かけるが,そんな仕事。

自分は,当時はまだあまりポピュラーではなかった「アボガド」販売の担当になる。

現場のリーダーから仕事の詳細を教わる。

いきなりナイフと共に,封も切っていない醤油・プラスチック製大皿と小皿ひとパックずつ・爪楊枝ひとパック・新品のチューブ入りわさびを,どさーっと手渡される。

まず,アボガドの皮はナイフを使って剥き,三日月形の一口サイズに切る。

それを大皿にきれいに並べて,爪楊枝を添える。

味付け用のわさび醤油を,たくさんの小皿に用意しておく。

準備はこれでお終い。

アボガドのおいしい食べ方を紹介しつつ売る・・・といっても,単に「わさび醤油がいいよ」ということだけだったように思う。

こんなメッチャ簡略的かつエエ加減な説明を受けて,「じゃあがんばって!」といきなり現場に立たされる。



▼ 何やってんねん・・・オレ!

今なら「いらっしゃーい,アボガドおいしいよ」とか「奥さん,一口食べてって」とか,カラ元気出して景気良く販促出来そうな気がする。

しかし,元来がシャイで閉鎖的で自己収束的な自分。

「いらっしゃい」とか小声で言ってみるも,ほとんどの客は通り過ぎていく。

「アボガド,一口どうですか?」と小声で言ってみるも,ほとんど興味を示してくれない。

客少ないし・・・ツンってすましてるヒトばっかやし・・・どれどれって絡んで来てくれるヒトおらんし・・・こりゃあ売れんわ・・・と,自分の無能無策は棚に上げて早々とやる気をなくす。

しかし,ほとんど販促活動してないにも関わらず,不思議なことにアボガドは少しずつ売れていく。

販促してないアボガドが売れる・・・・・それは失くしたやる気を更にヘンなふうに捻じ曲げる。

こんなんなら,自分なんておらんでもええやん・・・・・ったく役立たずな自分,やっぱこんな仕事,向いてねーわ・・・・・でも,ちょっとでも売れてるんならまぁええか・・・・・

自分の存在意義にまで遡って堂々巡りの問答を繰り返し,ほとんど自棄になって販促活動をせずにいたら,突然おばちゃんに話しかけられる。

おばちゃんというより,有閑マダム的な雰囲気を醸す金持ちの熟女だ。

「これ,何?」

「えっ?・・・えーと,アボガドです」

「どうやって食べたらいいの?」

「わさび醤油なんかがおススメだそうです」

「へー,そう・・・」

そう言って一つ試食したマダム嬢。

「じゃあ,二つもらうわね」

「あ・・・ありがとうございます」

「どーも・・・」

うっ・・・売れたやん!

それで気を良くした自分,発奮して販促活動を再開する。

それから,確か15個くらい売れたような記憶がある。



その時の自分には,図書館でのあの中学生のような初々しさがあったのかもしれんなぁ・・・・・