「今晩は外食だから早めに帰ってきて」と妻に言われ,
「実験は午前中に終わるから大丈夫」と答えて大学の動物実験棟に向かう。
この週末は,ラット10匹に小手術をしなければならない。
ラットと言ってもピンとこないかも知れないが,500mlのペットボトルを一回り小さくしたようなサイズのネズミと考えればいい。
そんなラットたちを,まずは麻酔薬を打って眠らせる。
次にその上腹部をハサミで縦に少し切り,そこに顔を出した肝臓に細工をする。
そしてお腹を糸で縫い合わせて終わり・・・という比較的簡単なもの。
計画通りに行けば1-2時間して麻酔が醒めるラットは,先ほどお腹を開けたとは思えないほどの回復ぶりで・・・・・となる予定だった。
っが,
このたびの術後の経過はよろしくない。
術後4-5時間経過しても,目覚めたラットは1匹のみ。
あとの9匹は,手術が終わって飼育ケージに入れたそのまんまの姿で横たわっている。
死んでるんちゃう?と思ってよーーく観察すると,ゆーーっくりと呼吸はしている。
そのろっ骨の動きは弱々しく,呼吸の深さはすごく浅い。
心配になって,ラットを取り出し刺激してみる。
っが,そんなことくらいでは目覚めることはない。
こびり付いた血液で,術創近辺の体毛が黒っぽく束になって硬くなっている。
体はひんやりと少し冷たくなっているが,まだ硬直はしていない。
両手の中で温めてやるも,ほんの気休めだ。
腹に傷を負い,普段よりも3倍くらいゆっくりと呼吸をしているラットたち。
いわゆる虫の息みたいで,今にも死にそうだ。
哺乳類という生命体では,摂取した糖や脂肪を酸化的に分解する。
その結果,産生されたATPをエネルギー源として,生命活動という化学反応を引き起こしている。
生命を宿す哺乳類は,その恩恵を受けて身体は温かく,当たり前のように軟らかで,そして辺り構わず動き回ることができる。
その活動が終わりを迎える時に起こる,非可逆的な移行。
温から冷へ。
軟から硬へ。
動から静へ。
そして有から無へ・・・・・
その移行を目の当たりにする時,
特にその移行の引き金が自分たちの所作によるとなった場合,
敬虔で恐れに似た厳粛さに襲われる。
遅かれ早かれ直面する死から逃れられない運命のなせる業なのかもしれない。
手伝ってくれたH先生が様子を見に来てくれる。
「麻酔が強すぎましたかね・・・・」
「わからんけど・・・ダメかもしれん」
飼育ケージを並べて一匹一匹の様子をもう一度見てみる。
9匹のラットが仰向けになって並んでいるが,やはり揃って虫の息だ。
二人してラットを抱き上げてはさすってやるが,どうすることもできない。
「んーー・・・意外に大丈夫なハズなんですけど・・・」
「そうやな・・・明日まで待ってみんことには分からんなぁ」
そんなこんなで帰宅は大幅に遅れる。
シノ妻の機嫌はよくない。
「実験がうまくいかなくって・・・」という毎度の言い訳をするも,説得力ゼロ。
気まずい夕食を家で取ることになる。
こんなふうに,予定が狂って歯車が噛み合わない日もたまにはある・・・・・糧にせねば。