自己受容は子どものためにはできないんだな | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

 

 

パソコンでスクショ撮ったら、なんかズレた(笑)

 

 

 

あ、公式LINEに届いた相談です!

 

公式LINEでは随時、相談を受け付けているので、どしどし相談してください!

 

今なら、あんまり相談来てないから、めっちゃ懇切丁寧に回答します!

 

とか書いて急にたくさん来たら、あんまり丁寧には解説できません(笑)

 

今のうちですよ!!笑

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「子どものための自己受容」

 

って、矛盾してるの分かる?

 

 

 

自己受容って、

 

「ありのままの自分でいることを受け容れる」

 

ってことなんだよね。

 

 

 

「子どものため」

 

ってなった瞬間から、それってもう

 

「子どものための自分」

 

になってるんだから、ありのままの自分じゃなくなってる。

 

 

 

自分とは自分のためにいるものよ。

 

このお母さんがなんで自己肯定感が低くなったのか?っていうと、

 

「ずっと他者のために生きてきたから」

 

です。

 

 

 

子どもを産んでから、子どものために生きるようになったんじゃないよ。

 

子どもを産む前から、他人のために生きてたの。

 

それが、子どもを産んだことで加速しただけ。

 

 

 

親が自己受容できていない、すなわち、他人軸で生きていると、子どもの人生はハードモードになる。

 

なんでかというと、親の人生もハードモードになってる(=自分が他人に左右されるからね)から、子どもにもハードモードな生き方が継承されるから。

 

 

 

だから、親の自己受容はなるはやで子どもが小さい時にできていたいし、なんなら子どもを産む前にしておきたい。

 

さらに言えば、親が子どもの頃からできていたいけど、それはさすがに自分の親に左右されちゃう。

 

 

 

他人軸で生きてる親の子どもが、自分軸で生きられるようになるのは、かなり難しい。

 

そういう子どももおるけど、大抵は「育てにくい子」認定されちゃって、他人軸に修正されてしまうことが多い。

 

「他人軸で生きる」

 

っていうのは、自分以外のために生き、誰かの期待やご機嫌窺い、指示・命令に従う生き方をしていること。

 

 

 

他人軸の生き方をしている自分のみを評価して、

 

自分のために、自分の幸せのために生きること(=自分軸)を否定する。

 

 

 

他人軸の生き方をやめて、自分軸の生き方を取り戻すことが

 

「自己受容」

 

なんです。

 

 

 

だから、自己受容は、

 

「自分のためにするもの」

 

であって、

 

「子どものためにするもの」

 

じゃないんです。

 

 

 

いくら親であろうとも、

 

「子どものために」

 

って思ったところから、他人軸になり、自己受容できなくなる。

 

 

 

 

 

 

 

「子どものために」

 

は2段階ある。

 

 

 

1段階目は、

 

「他人軸の子どものため」

 

で、これが今回メッセージを送ってくれたお母さんの言う「子どものために」です。

 

 

 

自己犠牲的で、自分を後回しにして、

 

「自分はどうなってもいいから、せめて子どもだけでも幸せになってほしい」

 

っていう願いに基づいた「子どものため」です。

 

 

 

残念ながら、自己犠牲的な「子どものため」では子どもは幸せになれません。

 

子どもの立場に立ってよく考えてみてほしい。

 

 

 

自分の最愛の親が、

 

「自分のことはどうなってもいいから、せめてあなただけでも幸せになってほしい」

 

って言われて、

 

「はい、そうです」

 

とはならないよね。

 

 

 

子どもの幸せは、親の幸せの下で実現されるんよ。

 

親が幸せじゃないなら、子どもは親を幸せにするために全力を尽くす。

 

 

 

それこそ、子どもが自分の心身を犠牲にして、

 

「親に幸せになってほしい」

 

「親に笑顔になってほしい」

 

と思って、がんばり始める。

 

 

 

でも、子どもが親を幸せにすることはできないから、子どもの行動はどんどんねじ曲がっていく。

 

この行動群のことを

 

「子どもの不適切な行動」

 

って言います。

 

 

 

興味ある人は、子どもの不適切な行動についてもまとめたから、そっちも読んでみて

 

 

 

 

 

親が幸せじゃないと分かれば、子どもは親の幸せのためにがんばる。

 

自分の幸せを犠牲にするから、子どもはどんどん幸せから遠ざかっていく。

 

 

 

親は、子どものために自分を犠牲にする。

 

子どもは、親のために自分を犠牲にする。

 

その結果、

 

「親も、子どもも、幸せじゃなくなる」

 

んです。

 

 

 

つまり、

 

「親が自己犠牲的に『子どものため』に生きると、親も、子どもも幸せにはなれない」

 

っていうことです。

 

 

 

 

 

そこで、2段階目の「子どものため」がある。

 

こっちは、

 

「自己受容に基づいた子どものため」

 

です。

 

 

 

まずは親が幸せでいて、笑顔で、ご機嫌でいられる。

 

親が幸せでいられているなら、そこから自然な感情として、

 

「子どもにも幸せでいてほしいな」

 

って思うようになる。

 

 

 

「子どもの幸せのために、何とかしてがんばらないと」

 

みたいな苦しい感じではなく、

 

「私が幸せだから、子どもも当然幸せに生きようとするだろうし、そうなってほしい」

 

っていう願いを持ちます。

 

 

 

そして、親がしてあげたいことを子どもにしてあげる。

 

子どもの気持ちも受け止められるし、子どもの困難にも協力することができる。

 

 

 

 

 

親が今までしてきたことに後悔や失敗があっても、それさえ受け容れて、

 

「今までよくがんばってきた」

 

「子どもを幸せにしようとしたけど、上手くいかなかったな」

 

「本当は、子どもに幸せになってほしかったんだよな」

 

「私だって幸せでいたい」

 

「自分の幸せを後回しにしちゃったな」

 

「私も幸せになっていいのに」

 

「私も幸せになっていいなら、子どもだって幸せになっていい」

 

「子どもが幸せになっていいなら、私も幸せになってもいいよね」

 

「今までずっと、私は幸せになっちゃいけないと思ってきた」

 

「もっと早く『私も幸せになっていい』って思えていたら、もっと長く幸せでいられたのに」

 

「悲しいな」

 

「辛いな」

 

「今まで辛く生きてきたなんて、もったいなかったな」

 

「これまでがんばってきた自分、お疲れさま」

 

「これまでのことは取り返せないけど、これからまずは自分が幸せでいよう」

 

「子どもを幸せにするためではなく、まずは自分が幸せでいよう」

 

「これまでに自分がしてきた選択も受け容れて、ここから幸せな自分として生きていこう」

 

「今の自分だって幸せになっていいんだから」

 

とかなんとか思いながら、まずは親が幸せでいられるようにする。

 

 

 

やりたくないことはやめて

 

やりたくないことをやる。

 

食べたいものを食べて

 

行きたいところへ行って、

 

言いたいことを言って

 

会いたい人に会って

 

見たいドラマを見て

 

読みたい本を読んで

 

遊びたい遊びをして

 

したい仕事をし

 

居たい人と一緒にいる

 

 

 

そうやって、自分が

 

「あぁ、幸せだな」

 

って思えるような生き方にシフトしていく。

 

 

 

これが「自己受容」であり、親が自己受容できている時にのみ、子どもは幸せになっていける。

 

親が自己受容できていると、子どもは親を気にしなくてもよくなる。

 

 

 

親が自己受容できていると、親はすでに幸せでいるし、気持ちにも余裕がある。

 

だから、子どもは思う存分、親に甘えられるし、親を頼れるし、困った時に助けを求めることができる。

 

親が子どもの味方になれるから、子ども1人では乗り越えられないことも、親と一緒に乗り越えていける。

 

 

 

親が自己受容できていないなら、親がどれほど「子どもの力になりたい」と思っても、子どもの邪魔にしかならんのよな。

 

この時の「子どもの力になりたい」の意味は、

 

「何とかしてあげたい」

 

だから。

 

 

 

心配で心配で見ていられない。

 

子どもを信頼できないし、子どもの気持ちに寄り添うこともできない。

 

親の「助けてあげたい」っていう気持ちのまま、子どもを飛び越えて、何とかしちゃう。

 

心配もぶつけるし、子どもの行動を制限もするし、親が弱弱しくなってしまう。

 

 

 

そういう親には、頼られへんやん?

 

 

 

温かく包んでくれたり、

 

受け止めてくれたり、

 

寄り添ってくれたり、

 

気持ちの余裕があって抱きしめてくれるからこそ、

 

子どもは安心して、親の胸に飛び込んでいける。

 

子どもの話を落ち着いて、最後まで、共感しながら聴いてくれる。

 

だから、親に相談しようと思える。

 

 

 

親が自己受容できているなら、

 

子どもが自分で幸せになろうとするのを信じて見守れるし、

 

子どもが困難にぶち当たった時には、子どもが胸に飛び込んでくれるのを受け止められる。

 

親が幸せだからこそ、子どもの幸せのために必要な関わりをすることができる。

 

 

 

 

 

親が自己受容できていない「子どものために」は、親も、子どもも、幸せにはなれない。

 

親が自己受容できている「子どものために」は、親も、子どもも、幸せになれる。

 

 

 

親が幸せじゃないのに、子どもだけが幸せになることはない。

 

子どもの幸せを願うなら、

 

「真っ先に親が幸せでいること」

 

です。

 

 

 

これはもう必須課題です。

 

だから、まずは親が自己受容しないといけない。

 

親が幸せにならないといけないんです。

 

 

 

 

 

 

 

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