「子どもが楽な方へと流れていってしまうことが心配」 | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

「子どもが楽な方へと流れていってしまうことが心配」

 

ということは、親が

 

「本来は、もっと苦しみ、辛くあるべき」

 

「苦しみや辛さを感じ、それに耐えて、我慢してやるべき」

 

って考えてる、ってことよね。

 

 

 

苦しみや辛み、我慢の方に行こうとしないから、

 

「心配」

 

なわけです。

 

 

 

僕は、その考えも否定しません。

 

ただ、

 

「苦しむべき」

 

「辛くあるべき」

 

って親が思ってるわけなんだけど、それって、

 

「子どもに苦しんでほしい

 

「子どもには辛い体験をしてほしい

 

って言ってるのと同じなんだよね。

 

 

 

「楽をしてはいけない」

 

ってことは、

 

「苦しまないといけない」

 

「辛くないといけない」

 

「我慢しないといけない」

 

って思ってるということ。

 

 

 

「楽な方へと流されていくのが心配」

 

ってことは、

 

「本当は、苦しい方へと流れていってほしい」

 

「本当は、辛い方へと流れていってほしい」

 

「本当は、楽をすることを我慢してほしい」

 

って思っているということ。

 

 

 

かなり丁寧に書いたけど、この理屈分かるかなぁ?

 

 

 

このことに同意ができたなら、今一度、自分に問いたい。

 

「本当に、子どもに苦しんでほしいとか、辛い体験をしてほしいと願っているの?」

 

って。

 

 

 

こうやって改めて言葉にしてみると、

 

「そんなことない!子どもには苦しんでほしくないし、辛い体験もしてほしくない!」

 

って反発できる。

 

 

 

そう思うということは、

 

「子どもには楽をしてもらいたいし、幸せでいてもらいたい」

 

って思ってることよね。

 

 

 

ってことは、

 

「子どもが楽な方へと流れていってしまうことが心配」

 

っていう心配が間違ってて、本心は、

 

「子どもには楽をしてもらいたいし、幸せでいてもらいたい」

 

こっちってこと。

 

 

 

 

 

じゃあ、なんで、

 

「子どもが楽な方へと流れていってしまうことが心配」

 

って思っちゃったかっていうと、答えは簡単です。

 

 

 

親が、

 

自分に対して、

 

「私は、幸せになってはいけない」

 

って思っていたから。

 

 

 

すなわち、

 

親が、

 

自分に対して、

 

「私は、苦しまないといけない」

 

「私は、辛い体験をしないといけない」

 

「そして、その苦しみ、辛さに耐えないといけない」

 

って思っているんだということ。

 

 

 

この心理はとってもおもしろいんよね。

 

あ、苦しんでる人を見ておもしろがってるんじゃなくて、

 

「興味深い」

 

って意味よ(笑)

 

僕はそこまで外道じゃない(笑)

 

 

 

何がおもしろいかっていうと、もし、親が今、苦しくないとするじゃない?

 

そしたら、

 

「私は、苦しまないといけない」

 

んだから、

 

「わざわざ苦しむようなことを見つけてくる」

 

んよ(笑)

 

 

 

自分が苦しむようなことを選択する。

 

より辛くなるような選択をする。

 

 

 

平穏が嫌なんよな。

 

楽をするのが嫌なんよ。

 

平和が嫌だから争いや面倒ごとを起こす。

 

争いや面倒ごとに繋がるような選択をする。

 

直感で選択しても、じっくり考えて選んだものも、なぜか苦痛に繋がる。

 

苦しみから解放されたり、楽になっても、またすぐに苦しみを見つけ出して、苦しい方を選択しちゃう。

 

 

 

「苦しみに対する嗅覚」

 

がものすごいのよ(笑)

 

 

 

くんくんくん・・・

 

ピコーンひらめき電球

 

「ここに苦しみが埋まってます!」

 

 

 

トリュフ犬よりも苦しみを見つけられるし、

 

麻薬探知犬よりも苦しみを検挙できる。

 

1km向こうの苦しみだってかぎ分けられる。

 

 

 

そして、気付いたら苦しんでるし、

 

せっかく楽になったのに、またすぐに苦しみだす。

 

 

 

 

 

 

 

苦しみの嗅覚が優れてる理由は、

 

「私は、幸せになってはいけない。

 

私は、苦しまないといけない」

 

って思ってるから。

 

 

 

ずっと頭の中で、

 

「私は、幸せになってはいけない。

 

私は、苦しまないといけない」

 

この言葉が流れてくる。

 

 

 

この言葉を小声でいいから口に出してみてほしいんやけど、すごくしっくりけーへん?笑

 

しっくりくる人は、普段からこの言葉を言い慣れているということ。

 

すなわち、

 

「いつもそう思っている」

 

ってこと(笑)

 

あんまりしっくりこない人は、普段はそうは思ってない、ってこと。

 

 

 

で、苦しみの嗅覚をお休みさせて、楽しさや幸せの嗅覚を磨きたいやん?

 

その場合は、やり方は簡単で、この言葉と逆のものを流せばいい。

 

 

 

「私は、もう苦しまなくてもいい。

 

苦しみは十分に体験したし、もう満足した。

 

これからは、幸せでいたいし、幸せでいてもいい」

 

です。

 

 

 

苦しむのはダメなことではないし、排除しなきゃいけないものでもない。

 

苦しんでもいいし、必要があって苦しんでいた。

 

今までは「苦しみたかった」わけやん?

 

 

 

やから、苦しんでいた自分を否定しなくてもよくて、肯定したらいい。

 

「もう十分に満足したよ」

 

って教えてあげるんです。

 

自分に。

 

 

 

もう十分に満足したから、もう苦しまなくていい。

 

また苦しみたくなったら時々苦しんでいいけど、もう積極的に望まない限りは苦しまなくてもいい。

 

そして、ここからは幸せになっていいし、幸せでいてもいいんだよ。

 

 

 

そういうことを自分に教えてあげる。

 

そうやって、まずは親が幸せでいられるようにする。

 

 

 

そしたら、

 

「子どもも苦しむべき」

 

「子どもにも苦しんでほしい」

 

ってことを願わなくなる(笑)

 

 

 

「子どもには幸せでいてほしい」

 

って願えるようになる。

 

言葉だけではなく、心からね。

 

 

 

 

ほんで、子どもの自己肯定感が上がってきたら、今度は、

 

「自分はもっとできるはず」

 

って思うようになるから、自分に対するハードルをどんどん上げていく。

 

 

 

そうすると、

 

「子どもも苦しむべき」

 

って思ってた時よりもはるかにしんどいことを平然とやってのけたりするようになる。

 

 

 

逆に、

 

「え、そんなにがんばって大丈夫?」

 

って心配になるくらいがんばり始めたりする。

 

 

 

でも、それは「苦しむため」ではなく、「自分を成長させるため」だから、本人は目的意識持って楽しくやってたりするんよな。

 

そうやって、子どもはどんどん限界を超えて成長していくようになる。

 

 

 

 

 

 

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