不登校は解決するものじゃない | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

 

 

「なんとかして学校に行かせなければ」

 

「子どもに学校に行って欲しい」

 

そう思い始めた瞬間から、不登校が問題になる。

 

 

 

問題だということは、原因があり、それを解決する必要が出てくる。

 

「なんで、学校に行けないの?」

 

「何が解決できたら、学校に行けるの?」

 

って考えたくなるやんか。

 

 

 

原因を見つけて、それを解決したり、取り除けば、学校に行けるんじゃないか?って。

 

キッパリと言い切るけど、この考え方は間違ってる。

 

 

 

まず、大前提で押さえておきたいんやけど、不登校の子どものほとんどは、

 

「学校に行ける子ども」

 

です。

 

 

 

「学校に行けない」

 

っていうのは、

 

「入院が必要な怪我や病気をしていて、学校に行けない」

 

「学級閉鎖になっている」

 

「旅行や留学など、長期的に学校から離れることになり、その期間中、学校に行けない」

 

「災害が起こって、学校に問題が発生していたり、登校するのに危険が伴う」

 

みたいなことを言います。

 

 

 

そうじゃないなら、子どもは「学校に行ける」んです。

 

だから、大人が、

 

「問題が解決すれば学校に行けるはずだ」

 

って考えたとしても、問題が無いんだから、原因だってない。

 

解決するもの(=原因)がないんだから、解決できないし、仮に問題らしきものを解決したって、しばらくしたらまた不登校になる。

 

 

 

子どもは、学校に行けないわけじゃない。

 

学校に行かない。

 

学校に行きたくない。

 

そう思ってるから、学校に行かないんです。

 

 

 

 

 

子ども自身も、

 

「学校に行きたいのに、行けない」

 

って言ったりします。

 

 

 

これは十中八九、周りの大人の反応を見て言っています。

 

中高生になってくると、世間体や一般常識から来る固定観念です。

 

 

 

本心は学校に行きたくないんだけど、

 

「学校に行きたいのに、行けない」

 

っていうていにしておいた方が、

 

「学校に行かない免罪符」

 

になるんよね。

 

 

 

誰も文句を言わなくなるし、行かせようとしなくなる。

 

親が何も言わなくなったり、先生が優しくなったりする。

 

よくあるのが、

 

「宿題をやらなくていいから、学校には来て欲しい」

 

みたいなこと。

 

 

 

「学校に行けない」

 

って言うと、大人が優しくなったり、めんどうなことをやらなくて良くなる。

 

教室に行かなくてよくなったり、嫌なことや面倒なことが免除されていく。

 

 

 

そうやって、何とかして、子どもが通いやすいような学校環境に変えていこう、みたいなことをやり始める。

 

「学校に行けるようになること」

 

を目標にして、周りの大人たちが一生懸命動く。

 

 

 

誰も、子どもが感じている本心には気付かないまま、、、

 

 

 

子どもは、

 

「学校に行けない」

 

わけでもないし、

 

「学校に行きたいのに、行けない」

 

わけでもない。

 

 

 

「学校に行かない選択をした」

 

とか、

 

「学校に行きたくない」

 

って思っているだけ。

 

 

 

言い換えれば、

 

「子どもの中に、学校に行こうと思えるほどの理由が無い」

 

ってことです。

 

 

 

例えば、子どもが「宿題をやりたくないから学校に行きたくない」って思ってるとするやんか。

 

裏を返せば、

 

「宿題をやってまで、学校に行きたくない」

 

「宿題をやるほどの学校に行きたい気持ちは無い」

 

っていうこと。

 

 

 

学校側に何の改善も必要無い、って言ってるんじゃないよ。

 

「同じ漢字を何十回も書かせる」

 

みたいな狂気じみた意味不明な宿題とかは、即刻やめた方がいいんやけど。

 

 

 

今は、子どもの話をしてるから、学校側の話は脇に置いて考えています。

 

それはそれとして、僕ら大人も、

 

「子どもに寄り添う」

 

っていうコミュニケーション技法を身に付ける必要があるんよ。

 

 

 

子どもが不登校になった、って悩んでいる親の話を聴いていると、

 

「何とかして、子どもに学校に行って欲しい」

 

っていう想いが強かったり、

 

「子どもにどうやって話を聴いたらいいか分からない」

 

っていう状態で、子どもの気持ちがあんまり考慮されていないんよな。

 

 

 

親が悪いわけじゃない。

 

ただ知らんだけ。

 

知らないことに罪は無い。

 

 

 

 

 

 

 

僕ら親が、子どもに寄り添って何を聴きたいのか?っていうと、

 

「子どもがどうしたいのか?」

 

です。

 

 

 

子どもがどうしたいのかを聴きたいんやけど、それは

 

「子どもに『あなたはどうしたいの?』って質問をすればいい」

 

ってことじゃない。

 

 

 

子どもの話を聴く = 子どもに質問をする

 

が同じわけがない。

 

 

 

考えていることのサイズ感が違うんよ。

 

僕が言ってる、

 

「子どもがどうしたいのか?を聴きたい」

 

っていうのが、

 

「レストランのフルコース」

 

だとしたら、

 

「子どもに『あなたはどうしたいの?』って質問をする」

 

っていうのは、3皿目に出てくる「牛のあばら骨のソテー」に添えられたグリーンピースです。

 

 

 

牛のあばら骨のソテーって、骨をソテーしたんか。

 

骨をソテーして、どないするねん。

 

食べるんか。

 

骨、食べるんか。

 

せめて、肉を食わせろよ。

 

 

 

そう思わん?

 

思うよね。

 

僕も思ったわ。

 

「こいつ、意味不明なことを書いてるな」

 

って。

 

 

 

気の利いた料理がパッと出てこないあたりが、フルコースなんて贅沢なものを普段から食べてない証拠。

 

インデアンカレー(528円)、美味しいよ。

 

 

 

 

 

どうでもいい話を少し差し込んだところで、話を戻します。

 

 

 

「子どもがどうしたいのか?を聴く」

 

っていうのと、

 

「子どもに『あなたはどうしたいの?』って質問する」

 

っていうのは、全く違う。

 

 

 

そもそも、そんな質問1つで、

 

「僕は(私は)、NASAに行きたい」

 

みたいに答えられるんなら、不登校になんてなってへんわ、って話でな。

 

 

 

「子どもの話を聴く」

 

っていうのは、

 

「聴く」

 

のであって、

 

「親が質問をする」

 

のが主体じゃないし、

 

「親が話をする」

 

のが主体でもない。

 

 

 

子どもの話をする時には、

 

親の質問も、

 

親の話も、

 

「牛のあばら骨のソテー」

 

を引き立てるためのグリーンピースです。

 

 

 

親が主役になろうとすると、親が話をし始めて、子どもをグリーンピースにしちゃうんよな。

 

「私があなたを引き立てるんじゃなくて、あなたが私を引き立てなさいよ!」

 

って言わんばかりに、親がめっちゃ喋るし、めっちゃ行動するし、バンバン質問をし始める。

 

 

 

どっかから謎のカウンセラーを見つけてきて、子どもの心の問題を解決しようとしたり・・・

 

「不登校を99.99%解決する」

 

みたいな本を読み漁って、めちゃくちゃに勉強をしたり。

 

そういうセミナーに参加したり・・・

 

 

 

いや、そういう親の熱心さを否定してるんじゃないよ。

 

不登校の悩みを乗り越えていく親たちの話を聴いていると、そういうプロセスも必要みたいなんよね。

 

 

 

ただ、不登校の悩みを素早く乗り越えていくなら、

 

「自分は、あばら骨になりたいのか、グリーンピースでいるのか、どっちやろ?」

 

っていうことは意識しててもいいかもしれないなと思うんよね。

 

 

 

親が、不登校について熱心になり、勉強をし、がんばればがんばるほど、親はあばら骨になっていく。

 

そして、子どもをグリーンピースにしてしまう。

 

 

 

逆に、親が子どものグリーンピースに徹すれば、子どもは少しずつあばら骨になっていく。

 

あばら骨になった子どもは、少しずつ自分の気持ちや、

 

「自分が、この先、どうしていきたいか?」

 

を話してくれるようになる。

 

 

 

この話を聴くんよ。

 

僕らが聴きたいのは、この話です。

 

 

 

グリーンピースの話を聴きたいわけじゃない。

 

あばら骨の話を聴きたいのよ。

 

 

 

子どもがあばら骨になると、子ども自身が考えていることを話してくれる。

 

なんでかっていうと、親がグリーンピースに徹してくれてるから。

 

自分を引き立ててくれる、自分の味方でいてくれる、そう思えるから。

 

 

 

 

 

ほんで、子どもが

 

「学校に行きたい」

 

って思ってるんなら、

 

子どもが、

 

どうやって、学校に行くか?

 

いつから、学校に行くか?

 

学校に行って、どないするんか?

 

みたいなことを考え始めて、ちゃんと行動にも移し始める。

 

 

 

それが、

 

「学校に行きたい」

 

っていうことです。

 

 

 

3月20日にYoutube Liveやるんやけどさ、まさにそういう関わり方をして、子どもが自分の意思で高校受験をして、合格をした、っていうお母さんの話を聴きます。

 

対談ね。

 

 

 

「高校に合格したのがすごい」

 

みたいな話というよりも、

 

「子どもが不登校を経験してても、自分の意思で、全日制の高校を受験して、進学するケースだってあるんだよ」

 

っていう話です。

 

 

 

子どもだって考えてる。

 

親は、その話をワクワクしながら、うきうきしながら、おもしろがりながら、聴くだけでいい。

 

 

 

不登校を解決しようとか、

 

子どもの本心を引き出そうとか、

 

子どもに将来の話をさせようとか、

 

子どもに学校やフリースクールについて興味付けしようとか、

 

子どもに学校情報をいっぱい提供したりとか、

 

全部要らんのよね。

 

 

 

それは全部、親があばら骨になろうとしてる。

 

親があばら骨になろうとすると、必然的に子どもはグリーンピースになる。

 

 

 

親はグリーンピースに徹する。

 

少しずつ、子どもがあばら骨性を取り戻していったら、考える力を取り戻す。

 

考え始めると、話してくれるようになるから、あとは、その話を聴けばいいだけ。

 

 

 

そしたら、子どもは自ずと、

 

「自分が幸せでいられるための進路選択」

 

をし始めます。

 

 

 

なぜなら、

 

「今が幸せだから」

 

です。

 

 

 

 

 

 

 

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