子どもがじじばばに会いたがらない | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

BASE6期でおもしろい話が出てました。

 

「子どもがじじばばに会いたがらない」

 

って話。

 

 

 

親は、じじばばに会ってほしいんだよね。

 

BASE内で色々な話が出てたんだけど、ここでは僕の考えを書いておこうと思います。

 

 

 

僕の子どもの頃は、じじばばが遠くに住んでいることもあって、会うのは年1、2回でした。

 

それくらいだったから、行くのには特に負担でもなかったから行ってた。

 

1年のうちの家族のイベントみたいな感じやったんよな。

 

 

 

じじばばが嫌いなわけじゃない。

 

僕は会いに行くのはいいけど、特に電話するのは嫌いやった。

 

 

 

お年玉とかもらったら、親がお礼を言わせようとするんやけど、それ以上に喋ることがない。

 

日頃、そんなに交流してるわけじゃないから、話が合わんのよな。

 

 

 

ゲームをしたいお年頃やったけど、ゲーム機やWi-Fiがあれば行くわけでもない。

 

だって、自宅でやってる方が便利やんか。

 

 

 

じじばばが孫にいらんこと言ったり、したりしていないなら、それは

 

「会いに行く理由が無い」

 

からやと思うのね。

 

 

 

「会ってどうするの?」

 

みたいな。

 

 

 

「会って何を話すの?」

 

みたいな。

 

 

 

自分がしたい話ができるわけでもない。

 

自宅でできる以上におもしろいことがあるわけでもない。

 

 

 

会いたくないわけじゃないんだけど、会って話すこととか、行ってやることが無いから、行かない選択をする。

 

 

 

「小さい頃に、たくさんお世話になったのに、その恩返しをしてほしい」

 

っていう話も出てたんだけど、これって子どもからすると、

 

「小さい頃のお世話は、親やじじばばがしたくてやってたんじゃないの?」

 

って思ってたりするんよな。

 

 

 

子どもに元気でいてほしくて、

 

子どもに快適に過ごしてほしくて、

 

子どもに楽しく過ごしてほしくて、

 

色々と手を尽くしてくれてたんだと思う。

 

 

 

それは感謝。

 

 

 

ただ、

 

「だから、じじばばに会いに行きなさい」

 

っていう強制力が発動すると、子どもにも反論したい気持ちがむくむくと出てきて、

 

「お世話をしてくれと頼んだわけじゃない」

 

ってなる。

 

 

 

だってさ、生まれてきたばかりの子どもが

 

「父上、母上、じーさま、ばーさま、あなた方のお手を煩わせてしまうことになりますが、何卒、よろしくお願いします」

 

なんて言わんやん。

 

 

 

子どもが自分で親やじじばばにお世話をしてほしいとお願いしたわけじゃない。

 

親やじじばばが、自分で考えて、自分で判断したことやんね。

 

 

 

「そんなこと言っても、お世話しないと死んじゃうじゃないですか」

 

って言われると、

 

「子どもが死ぬと嫌で、生きててほしいから、お世話したんじゃないの?」

 

ってなる。

 

 

 

もし、親やじじばばが

 

「子どもなんて死んでも構わない」

 

って思ってたら、お世話なんてしてないはずよね。

 

 

 

子どもには生きててほしい。

 

子どもには元気でいてほしい。

 

子どもには快適でいてほしい。

 

そんな気持ちがあったから、親やじじばばが主体的に子どものお世話をしてたんじゃないのかしら。

 

 

 

そしたら、

 

子どもが元気に生きててくれてることが、最大の見返り

 

よね。

 

 

 

もし、そうじゃなくて、親やじじばばが

 

「実は、子どもが死んでも構わないと思って、子どものお世話を嫌々やってた」

 

ってなったら、子どもからしたら、

 

「生まれてこなければ良かった」

 

ってなるよね。

 

 

 

子どもは生まれてくるかどうかは選べない。

 

親は子どもを産むかどうかは選べる。

 

「こんなはずじゃなかった」

 

ってのはあるかもしれんけどね(笑)

 

 

 

子どもは基本的には、

 

「自分がいるだけで、親やじじばばは喜んでくれる」

 

って思って生きてると思うのよな。

 

 

 

「自分は生きてるだけじゃダメなのか!」

 

って思い始めると、親やじじばばに気を遣い始めたり、顔色を窺い始めたりする。

 

 

 

生きてるだけじゃダメだから、プラスαで何かせなあかん、って思うからね。

 

その時、子どもの自己肯定感はグンッと下がってる。

 

 

 

子どもからしたら、親やじじばばは自分が生きててくれるだけで喜んでくれてるはずなので、

 

「会うと喜んでくれる」

 

のは理解できるけど、

 

「喜ばせるために会いに行かないといけない」

 

は理解できないんじゃないかな。

 

 

 

「会いたいんなら、会いに来てくれたらいいやんか」

 

と思ってみたり(笑)

 

 

 

子どもとじじばばの関係が悪くないんなら、

 

子どもがじじばばに会いに行かないのは、

「じじばばは、自分を無条件で愛してくれている」

っていう気持ちの表れ

 

なんじゃないか、って思う。

 

 

 

子どもとじじばばの関係が悪いんなら、それはシンプルに

 

「会いたくない」

 

ってことやね(笑)

 

 

 

 

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