相手に、どういう話の聴き方を求めているのかを伝える | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

夫婦でさ、

 

「話を聞いてほしかっただけなのに、一生懸命アドバイスされて、全然聞いてもらえなかった」

 

っていうこと、ありますよね。

 

 

 

よく、

 

「女性は、話を聞いてほしいだけの時がある」

 

「女性は、話に共感してほしいだけの時がある」

 

「男性は、具体的な解決策を求めている時がある」

 

「男性は、結論を求めたがる時がある」

 

って言うんやけど、これって、

 

男女共にある

 

よね。

 

 

 

例えば、お母さんが、子どもの話を延々と聞かされる時。

 

ゲームがどうしたこうした・・・

 

そういう話を聞いている時に、長話にうんざりしてくる。

 

 

 

これは

 

「結論を求めたくなる」

 

っていうのと同じです。

 

 

 

「で、結局、何がどうなってるの?」

 

と聞きたくなってるわけですよね。

 

 

 

また、女性が"いつも"共感を求めているわけではないですよね。

 

具体的な解決策が欲しい時もある。

 

例えば、子どもの成績がピンチの時。

 

夫に相談すれども、話は聴いてくれるけど、

 

「ま、何とかなるって!大丈夫やって」

 

しか言わない。

 

 

 

こういう時に、

 

「夫は、子どものことを真剣に考えてくれていない」

 

とか思うわけよね。

 

 

 

でも、それって、女性が、旦那さんに

 

「具体的な解決策を考えてくれること」

 

を求めていて、それが

 

「ちゃんと話を聞いてくれている(考えてくれている)」

 

って思うことに繋がってる。

 

 

 

男女ともに、何でもかんでも共感を求めているわけでもないし、結論を求めているわけでもありません。

 

男性が結論ばかり求めるなら、漫画とかゲームとかせーへんでしょ。

 

あんなの時間の無駄以外の何物でもないんだから(笑)

 

 

 

推理小説を読んでる時に、

 

「俺は、男だから、真犯人だけ教えてくれ」

 

ってならないんだよ(笑)

 

 

 

 

 

つまり、コミュニケーションの話題として、

 

共感を求めたり、

 

解決策を求めたり、

 

結論を求めたりするのは、

 

「性差の話」

 

じゃなくて、

 

「時と場合による」

 

って話よね。

 

 

 

男女差は関係ない。

 

状況による。

 

 

 

言い換えれば、

 

「男性はいつでも結論を求めているわけではない」

 

「男性はいつでも解決策を求めているわけではない」

 

「女性はいつでも共感を求めているわけではなない」

 

ってことだし、裏を返せば、

 

「男性は全く共感を求めていない」

 

「女性は全く結論を求めていない」

 

「女性は全く解決策を求めていない」

 

ってこと。

 

 

 

「女性は全く解決策を求めていない」

 

っていうのは、

 

「女性は問題まみれでも気にしない」

 

っていう話になるじゃん。

 

そんなわけないよね(笑)

 

 

 

さすがにここまで書いたら、

 

「男性は~」

 

「女性は~」

 

って大きな主語でひとくくりにすることのおかしさが分かってもらえると思います。

 

 

 

男性・女性の区別じゃない。

 

その人が何を求めているのか?っていう話なのよ。

 

 

 

時と場合によって、

 

共感を求めている時もあるし、

 

結論を求めている時もあるし、

 

解決策を求めている時もある。

 

 

 

すなわち、

 

「いつも何を求めているのかが変わる」

 

っていうこと。

 

 

 

ということは、

 

「相手が求める話の聴き方がある」

 

があるはずです。

 

 

 

そして、相手が求める話の聴き方は、

 

「毎回、違う」

 

んです。

 

 

 

僕が

 

「どこでもいいんとちゃうんかい!理論」

 

って呼んでるものがあります。

 

 

 

これは、男女のカップルで

 

「ご飯、どこに行こうか?」

 

って言っている時の話です。

 

 

 

男が

 

「ご飯、どこに行こう?」

 

って聞くと、女の方が、

 

「どこでもいいよ~!まーくんと一緒ならどこでも楽しい!」

 

とか言うんです。

 

 

 

ここで、ご飯をどこにするのかは、男に決定権が委ねられているはずじゃないですか。

 

男の好み、男のセンスで、選んでもいいはずですよね。

 

 

 

この男が

 

「無類の吉野家好き」

 

だったら、きっとデートのご飯でも吉野家に連れていかれることがあるはずです。

 

 

 

その時に、女が言います。

 

「どこでもいいとは言ったけど、まさか、吉野家に連れてこられるなんて思わなかった」

 

って。

 

 

 

どこでも良いって言ったのに、どこでも良くなかった

 

 

 

「デートでは、吉野家はあり得ない」

 

っていう感覚の人もいるんじゃないかしら。

 

実際、高校時代の友人のYくんは、彼女とデートで吉野家を選択し、しばらくした後に別れていました(笑)

 

 

 

デートで吉野家がありか無しかはどうでもいいんです。

 

この話で重要なのは、女の方が

 

「どこでもいい」

 

って言っておきながら、

 

「実は、正解/不正解があった」

 

つまり、

 

「求めているお店/ご飯があった」

 

っていうことです。

 

 

 

もし、女の方に、

 

「デートならこういう店に行くべき」

 

みたいなのがあったのに、

 

「まーくんとならどこでもいい」

 

って言っているんだとしたら、

 

「ただの嘘つき」

 

なわけだよね。

 

 

 

もしかしたら、言った時には本当に

 

「どこでもいい」

 

っていう気持ちやったけど、実際に吉野家に連れてこられて、それで感情が動いて、

 

「え、、、吉野家かよ・・・」

 

ってなったのかもしれません。

 

 

 

つまり、

 

「女の方が、自分の求めていることに気付いていなかった」

 

っていうことです。

 

 

 

こうなるともはや、男が「ご飯どこ行こうか?」って聞いた時には、

 

誰も答えについて知らなかった

 

っていうことになります。

 

 

 

本人すらも、「求めていることがある」っていうことに気付いてなかったわけですよね。

 

仮に男がエスパーであっても、彼女の心を探っても

 

「あれ、何も無い」

 

ってなるはず。

 

 

 

本当に最初はどこでもいいと思っていたのだとしても、どちらにせよ、

 

実は、求めているものがあった

 

のよね。

 

 

 

これが

 

「どこでもいいんとちゃうんかい!理論」

 

です。

 

 

 

 

 

 

 

求めているものが無いように見えて、実は、ある、っていう話。

 

「話の聴き方」

 

についても同じことが言えます。

 

 

 

夫婦で話す時に、話し始めは何の前置きも無く、唐突に話し始めます。

 

何の前置きも無いんやから、相手は、どういうスタンスで聴いたっていいはずやんか。

 

聴き終えた後にアドバイスしたっていいはずやし、共感し続けたっていいはずやし、途中で割り込んだっていいはずよね。

 

 

 

でも、話し終えた後に、

 

「話を聞いてもらえなかった」

 

とかって言われちゃうんよね。

 

 

 

話を聞いてる方からしたら、

 

「いや、聴いてるし」

 

ってなるはずなんよ。

 

 

 

例えば、アドバイスをするんなら、どうアドバイスをするのかは、話を聴いてやんとできひんやんか。

 

でも、アドバイスをしたら嫌な顔をされてしまう。

 

 

 

僕はよく

 

「どっちかが悪いわけじゃなくて、コミュニケーションの問題」

 

っていう言い方をするんですが、この時に大事なのは、

 

「話し手の方が『この話は、どういうスタンスで聴いてほしいんかな?』って自問しておく」

 

ってことなのよ。

 

 

 

そして、自分が相手に

 

「話を聴いてもらいたい」

 

って思うならば、

 

「こういう感じで話を聴いてほしい」

 

っていうのは伝えておいた方がいいんです。

 

 

 

そうしないと、相手が分かるわけないから

 

です。

 

 

 

「何年かしたら気付くやろ」

 

とかはありません。

 

 

 

伝えない限り、何年経っても、同じ聴き方をします。

 

これは、

 

「相手が鈍感」

 

とかじゃなくて、

 

「コミュニケーションに関して、何の取り決めも無いから」

 

です。

 

 

 

何の取り決めも無いんやから、相手も聴きたいように聴くんです。

 

求める話の聴き方があるなら、まれに察してもらえることもあるけど、それは何年先になるかは分かりません。

 

やから、話を聴いてほしいんなら、

 

「こういう話の聴き方をしてほしい」

 

っていうのを最初に要望を出しておいた方がいいんです。

 

 

 

そのために、

 

「これからしようとする話は、どう聴いてもらえると嬉しいんかな?」

 

っていうのを考えておくのが大事です。

 

 

 

例えば、

 

「この悩みに対して、アドバイスが欲しい」

 

のであれば、

 

「このことに関して、アドバイスが欲しいんやけど、話を聴いてもらってもいいかな?」

 

って前置きを置いて話し始める。

 

 

 

「ただ共感して聴いてほしいだけ」

 

であれば、

 

「アドバイスとかいらんくて、ただ共感して、最後まで聴いてほしいねんけど、聴いてもらえる?」

 

って前置きを置く。

 

 

 

相手の気持ちや、考えを聞かせてほしい場合は、

 

「このことに関して、あなたの気持ちを教えてほしい」

 

ってお願いしてから、話を始める。

 

 

 

そうすると、求めているものを明確にしてるんやから、相手が

 

「いいよ」

 

とさえ言えば、アドバイスくれたり、共感的に聴いてくれたり、気持ちを教えてくれたりする。

 

 

 

ただ、一つ注意しとかなあかんのが、

 

「無条件で教えてもらえるとは限らない」

 

ってことね。

 

 

 

例えば、夫婦であれば、

 

「子どもの進路のことで、あなたの考えを聞かせてほしい」

 

って前置きして、話を始めたとするやろ?

 

 

 

この時、相手は、きっと、

 

「自分の気持ちを大事にしたい」

 

って思ってるとするよね。

 

 

 

やから、普段から、相手の気持ちを否定しまくってる時なんかは、

 

「え~、なんとかなるんじゃないかなぁ」

 

ってはぐらかしたり、

 

「え~、教えたくない」

 

って拒否されたりすることがあります。

 

 

 

なぜなら、

 

「自分の気持ちを話すと、否定されたり、嫌な顔されたりして、自分が嫌な気持ちになるかもしれないから」

 

です。

 

 

 

やから、

 

「あなたの気持ちを教えて」

 

って言う以上は、

 

「教えてもらった気持ちは丁重に扱うべき」

 

です。

 

 

 

「べき」

 

って書いたけど、これは、僕が

 

「丁重に扱え」

 

って言いたいんじゃなくて、

 

「相手の気持ちをぞんざいに扱えば、教えてもらえなくなるよ」

 

っていうことです。

 

 

 

 

 

 

あと、これも1つ覚えておいてほしいことなんやけど、

 

「話の聴き方には、練習が必要」

 

ってことです。

 

 

 

例えば、相手に、

 

「共感的に話を聴いてほしい」

 

って言ったとしても、

 

「共感的に話を聴く」

 

とか、

 

「最後まで黙って話を聴く」

 

とか、

 

「いい感じにご機嫌で話を聴く」

 

とかっていうのは、

 

「生得的な技術ではない」

 

のよ。

 

 

 

「共感的に話を聴く」

 

ためには、

 

「自分自身も共感的に話を聴いてもらった体験」(実感を得る)

 

も必要やし、

 

「自分自身が共感的に話を聴いた経験」(実践経験)

 

も必要です。

 

 

 

この実感&実践が必要なんです。

 

やから、いくら前置きを置いたとしても、

 

「相手の技術的に難しい」

 

っていうこともあります。

 

 

 

「だからこそ、前置きを置き続ける」

 

んやけどね。

 

 

 

自分も、相手の話は、普段から共感的に聴いてあげている。

 

そして、相手が共感的に話を聴くのが不得意だとしても、

 

「共感的に話を聴いてほしい」

 

って前置きを置き続けて、意識をしてもらう。

 

 

 

そして、話し終えたら、

 

「聴いてくれてありがとう」

 

ってお礼を言う。

 

 

 

そういう繰り返しをしていくと、夫婦間でも、

 

「聴き方の練習」

 

ができるはずです。

 

 

 

聴き方の練習をもしやるんなら、

 

「相手に黙ってこっそり」

 

よりも

 

「こういう話の聴き方を練習したい」

 

とか、

 

「こういう話の聴き方ができるようになってほしい」

 

みたいにオープンにして進めるのがオススメ。

 

 

 

なんでかっていうと、

 

「相手に黙ってこっそり」

 

って、

 

「自分が相手に操られているような気持ち」

 

になることがあるから。

 

 

 

そんな気持ちを持たれると、コミュニケーションを取ろうとするたびに、警戒されるよね(笑)

 

だから、コミュニケーションの練習をする時には、オープンにした方がいいのです。

 

 

 

 


話を戻すと、

 

「自分が気持ちよく話を聴いてもらう」

 

ためには、

 

「自分がどんな聴き方を望んでいるのかを最初に伝える」

 

っていうのが大事です。

 

 

 

そのために、

 

「この話は、相手にどういうスタンスで聴いてほしいんやろ?」

 

っていうのをちょっとでも自問してから話すのがオススメです。

 

 

 

「ちょっとまだまとまってないから、黙って話を聴いてほしい」

 

とかもいいよね。

 

 

 

ただ、話の聴き方を求める時に、

 

「相手が応えるかどうかは相手の自由」

 

やし、

 

「相手が応えようとしても、技術的に難しい」

 

っていう場合もあります。

 

 

 

そこら辺も頭の片隅に置いておきながら、求めてる聴き方を伝えるのがいいかな、と思います。

 

 

 

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