ゲームは、人との繋がり、交流の場を作る | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

 

10月13日にともちゃんとトークライブをさせてもらいました。

 

ともちゃんとは、岐阜県多治見市で「森のわらべ」という森のようちえんの園長先生をしている浅井智子さんのこと。

 

3年前からお付き合いのあるお友達なのです。

 

 

 

最初、ともちゃんはゲーム反対派どころか、ゲーム大嫌い派で。

 

でも、息子がゲームにハマり、困り果ててたところに僕と出会いました。

 

 

 

そんなところからの出会いで、今日まで3年半。

 

今回も、一緒にお話をさせていただく場を用意してもらってですね。

 

楽しく話をさせてもらいました(*´-`)

 

 

↓ Facebook、良かったら見てみて

浅井智子|Facebook

 

 

 

 

 

 

今回は、ゲームに悩んでいる人がたくさん来てくれたのもあって、ゲーム話が多めでした。

 

親の悩みは、

 

「子どもがゲームばかりして、勉強をしないし、外でも遊ばない」

 

「このままゲームばかりして、堕落していってしまうのではないか」

 

っていうような感じなんだと思うんですね。

 

 

 

でも、現代のゲームって、僕らが子どもの頃に遊んでいたようなゲームとは、もはや別物だと考えた方がいい。

 

現代のゲームは、

 

「人と人とを繋ぐツール」

 

なんだな、って思っています。

 

 

 

そういう意味では、昔のゲームも、

 

・同じゲームで一緒に遊ぶ

 

・同じゲームの話題をする

 

っていうような使い方で、ゲームをキッカケにして人との交流は生まれていました。

 

 

 

現代のゲームは、人との交流を生むんだけど、それは1対1の関係だけじゃなく、

 

「大勢の人が集える場」

 

すら作れる。

 

 

 

言ってみれば、現代のゲームは、そのゲームを媒介として小さな、いや、大きく世界規模にもなるような『社会』を作ることができる。

 

 

 

 

 

東京ゲームショウ2018(以下:TGS)に行ってね、

 

『eスポーツ』

 

ってやつを見てきました。

 

 

 

『eスポーツ』

 

ってのは、

 

「対戦型のゲームを使用した競技大会」

 

のことです。

 

 

 

オリンピック競技に導入されるとかされないとか、っていう噂も立つほど、世界的にはメジャーになってきている競技です。

 

日本でも増えてきているけれど、まだまだ海外の方が多い。

 

 

 

TGSで見に行ってきたのは、

 

「ストリートファイターV」

 

っていうゲームの大会です。

 

他にも、PUBGや、ボンバーマンなどのゲームでも大会が行われていました。

 

 

 

僕はこのゲームをあんまり知らんのですが、それでも会場が、そして、動画配信を通して世界中が一体感を感じられる。

 

大会なので、選手がいるわけですよ。

 

実況や解説もいます。

 

関根勤さん、歌広場淳さんなどの有名人も来てる。

 

 

 

スーパープレイが出ると、会場が沸く。

 

きっと、画面の向こう側で見ている人も沸いているはず。

 

 

 

ゲームって、その場にいる人だけじゃなく、インターネットを通じて、世界中の人と繋がり合える。

 

そして、ゲームを介して一緒に遊んで、仲良くなれる。

 

 

 

TGSでは、その規模の大きさを体感しました。

 

あと、ゲームでおもしろい現象が起こるんです。

 

それは、

 

「不登校の子ども同士が繋がれる」

 

ってこと。

 

 

 

学校では、絶対に起こり得ない現象です。

 

だって、学校に行っていない子同士なんだから、学校では知り合う術がないよね。

 

 

 

でも、ゲームでなら、交流が生まれ、仲良くなれる。

 

不登校でも一人にはならない。

 

 

 

一見すると引きこもっているように見えて、彼らはちゃんと社会と繋がっている。

 

「リアルで会える人だけを関係にカウントする」

 

っていうのはもはや時代遅れなのかもしれません。

 

 

 

 

 

ゲームは、そういう

 

「人と人とを繋げる」

 

っていう役割があります。

 

 

 

なぜなら、ゲームもまた、

 

『遊び』

 

だからね。

 

 

 

名前や、言葉が分からなくても、一緒に遊んでしまえば、もう友達。

 

誰かが言ってました。

 

 

 

僕らは、人と人との繋がりを求めているわけですが、学校では人との繋がりよりも、勉強をすることが求められるから、誰とも話が合わなければ、居心地はすこぶる悪くなる。

 

先生は良い人。

 

いじめられているわけでもない。

 

でも、誰とも話が合わないから、学校に行かない選択をする子もいる。

 

 

 

それくらい、学校という場で、交流できる人がいるのかどうか、っていうことは大事なんです。

 

だから、

 

「ゲーム」

 

っていう共通の話題で友達ができるなら、全然いいじゃん、って思うのね。

 

 

 

僕も実際、小学校、中学校時代は、友達とゲームの話をしたり、友達と一緒にゲームをしたりして遊んでいました。

 

だから、学校は居心地が良かったんです。

 

 

 

「子どもからゲームを取り上げる」

 

っていうのは、すなわち、

 

「ゲームで繋がっている友達との関係を切ろうとしている」

 

って言い換えることができるわけですね。

 

 

 

そして、

 

「友達との関係が切れる」

 

ってことは、子どもにとって、

 

「学校に行く理由を一つ失う」

 

っていうことでもある。

 

 

 

もちろん、その過程で子どもの心を傷付けてしまう。

 

僕の個人的な感情ですけど、子どものゲームを制限したり、取り上げたりするなら、

 

・子どもが学校に行かなくなるかも

 

・子どもが友達を失うかも

 

・子どもの心がひどく傷ついてしまうかも

 

それくらいのリスクを取っているんだ、っていうことを知っておいてもらえればな、って思います。

 

 

 

 

 

で。

 

 

 

 

質疑応答の時間に、こんな質問をいただきました。

 

「もし、子どもがまだ小学校にも上がらない、幼児だった場合はどうなんでしょう?」

 

と。

 

 

 

幼児だと、まだ右も左も分からないから、ゲームにハマりやすいんじゃないか、って言うわけですね。

 

これも、

 

「ゲームは人との繋がりを作るもの」

 

っていう観点で考えてみます。

 

 

 

質問をしてくれた人に、逆に質問で返してみました。

 

「彼(幼児)は、どうやってゲームの存在を知ったんですか?」

 

と。

 

 

 

そしたら、

 

「お兄ちゃんの影響です」

 

って答えてくれました。

 

 

 

また、会場にいた別の人は、たしか、子どもが5歳で、

 

「父親に勧められたからです」

 

と。

 

 

 

彼らは、幼児ではありますが、

 

「お兄ちゃんと一緒に遊びたいから」

 

「お父さんと一緒に遊びたいから」

 

っていうのでゲームを手に取り始めたわけですよ。

 

 

 

子どもが自然とゲームの存在を知るのは、

 

「家族や、身近な存在」

 

である可能性が高いです。

 

 

 

なぜなら、子どもは何歳であっても、人との繋がりを求めているから。

 

そして、特に、子どもが小さければ小さいほど、彼らと接するのは家族であることが多いから、です。

 

 

 

ってことは、幼児がゲームを知るキッカケの多くは、家族や身近な存在から、です。

 

もちろん、例外はあるので、家族以外から知ることもあるでしょう。

 

 

 

 

 

んでね。

 

 

 

 

 

これは僕の仮説ですけど、

 

「身近な人と繋がるために、手に取ったゲームは、親が心配をするようなハマり方はしない」

 

と思うんですね。

 

 

 

なぜなら、彼らの目的は、

 

「ゲームをすること」

 

ではなく、

 

「人と繋がること」

 

だから。

 

 

 

逆に言えば、親が心配するような

 

「引きこもって、ゲーム以外のことをしなくなる」

 

っていうハマり方をする場合、さっき質問してくれた人の子どもとは違う経路でゲームを知ることになるのかなぁ、って思うわけです。

 

 

 

例えば、僕が親の幼児に対する関わりで危惧しているのは、

 

「子どもを静かにさせるために、スマホを使う」

 

っていう関わり方。

 

 

 

親は、忙しいと思うのよ。

 

家事をしたり、仕事をしたりね。

 

 

 

でも、ちっちゃい子は、そんなのお構いなしに、親に関わりを求めてくる。

 

「ママー、これ見てー」

 

とか、

 

「パパー、抱っこー」

 

とか。

 

 

 

でも、親が忙しいと、スマホでゲームさせたり、動画を見させていると集中してくれるのを知っているから、

 

「後でね。これでも見てなさい」

 

とかって、スマホをホイと渡す。

 

 

 

これって、

 

「子どもが求めてきた、人と関わりを持とうとする気持ち」

 

をスパッと寸断している行動なわけです。

 

 

 

子どもは、ママや、パパとコミュニケーションを取りたかった。

 

でも、それは叶わず、代わりにスマホを見せられる。

 

 

 

スマホは、子どもを夢中にさせてくれます。

 

“人との交流の代償に”

 

ね。

 

 

 

1回や、2回ならなんてことはない関わりですけど、これが習慣化したらどうなるでしょう。

 

親と交流したい ⇒ スマホを渡される

 

親と交流したい ⇒ スマホを渡される

 

親と交流したい ⇒ スマホを渡される

 

親と交流したい ⇒ スマホを渡される

 

親と交流したい ⇒ スマホを渡される

 

っていうことが、何度も繰り返されます。

 

 

 

子どもからしたら、

 

「親と交流したい」

 

が、

 

「スマホをいじりたい」

 

にいつの間にかすり替わっていきます。

 

 

 

そして、これが続けば、さすがに子どもも分かってくるから、

 

「ママ、スマホ貸して」

 

になってくる。

 

 

 

親との交流を求めなくなる。

 

そして、

 

「人との交流を求めずに、スマホや、ゲームばっかり」

 

っていう子どもが誕生します。

 

 

 

つまり、何が言いたいかっていうと、僕は、仮説として、

 

「親が子どもからの交流の要求を断ち切り続けて、代わりにスマホを与えていると、子どもは人との交流を求めずに、スマホを求めるようになる」

 

って思っているんです。

 

 

 

「ゲームをしたくて引きこもる」

 

とか、

 

「ゲーム以外のことは何もしない」

 

っていうことを怖れるのであれば、ゲームをどうこうする前に、

 

「子どもとの交流を持ちましょう」

 

って思うんです。

 

 

 

「スマホに子守りをさせる」

 

以外にも、子どもからの交流を絶ってしまうようなコミュニケーションを取り続けると、子どもは人との交流を持とうとしなくなる。

 

 

 

そして、スマホや、ゲームは、子どもに対して、いつも無条件に受け入れてくれて、しかも、達成感や快感も与えてくれるから、もうスマホや、ゲームさえあれば十分、ってなっていく。

 

これは、いわゆる

 

『ゲーム依存』

 

ですよね。

 

 

 

つまり、

 

「ゲーム依存は、親が作っている(ことが多い)」

 

ってわけです。

 

 

 

親がゲームに注目し、ゲームにこだわり、何とかして、子どもをゲームから離そうとする。

 

でも、実際に離れていたのは、子どもの心でした・・・と。

 

 

 

そして、実際に、ゲームに依存していたのは、親の方だったんじゃないか、と。

 

子どもがゲームをしていたら、親はゲームのことしか話さない。

 

子どもがゲームをしていたら、親はゲームのことばかり考える。

 

子どもがそばにいなくても、親はゲームのことを考えている。

 

 

 

だから、子どもがゲーム依存になるなら、それより前に、親自身が、ゲームのことばかり考えちゃってる。

 

 

 

でもさ。

 

 

 

親は、知っているはずなんだよ。

 

 

 

この世の中には、ゲーム以外の楽しいこともあることも。

 

それを教えてあげなきゃ。

 

 

 

さっきも書いたように、ゲームは人との繋がりを作ってくれる。

 

だから、子どもがゲームしたいなら、ゲームを通じて人と繋がりたい、交流したいなら、それはそれでいいと思うのね。

 

 

 

親がゲームに興味があれば、一緒にゲームをして遊んだらいいと思うのよ。

 

親がゲームに興味が無ければ、親が楽しいと思うこと、おもろいと思うこと、やりたいこと。

 

子どもに教えてあげたり、一緒にやろうとしてみたらいいと思うのよ。

 

 

 

それも、

 

「子どもにゲーム以外のことをさせたいから」

 

なんていう下心見え見えのいやらしい気持ちでじゃなくて、

 

「親がそれをやるのが好きすぎて、楽しいから、子どもにもやってみてほしい!」

 

っていう気持ち。

 

 

 

親は、楽しさを知っている。

 

だったら、子どもにも楽しさを知ってほしい、って思うじゃない。

 

思わないなら、無理に子どもを誘う必要はないよ(笑)

 

 

 

そうやって、親が知っている楽しさ、魅力、面白さ。

 

ゲームに制限なんてかけなくてもいいから、親は、自分が知っているこの世界のおもしろさを子どもに教えてあげてほしい、って思う。

 

 

 

そしたら、子どもが

 

・ゲームをするし、それで人と交流する

 

し、

 

・ゲーム以外の楽しさも知る

 

し、

 

・親子の交流もできる

 

から、とっても幸せを感じると思うのだ。

 

 

 

そして、

 

・ゲームのおもしろさ

 

・ゲーム以外のおもしろさ

 

の両方から、子どもは学ぶことができる。

 

 

 

それだけ学びを蓄積した子どもは、

 

「子どもが自分から勉強を始める」

 

っていうことも、それほど苦ではなくなります。

 

 

 

 

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